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1: 人間七七四年
東海地方が基盤のままでも、やはり天下を取っていたでしょうか?

2: 人間七七四年
その場合、関東がどうなってるかが大きいな
中規模大名で分割ならまだマシ
北条がでかいまま臣従して残ってるならかなり大変そう

4: 人間七七四年
場所よりも家康の政治的なポジションが重要だろう
秀頼の後見人かつ家老でなければ天下は取れないと思う
もし秀次がそのまま政権継いだならなおさら無理

5: 人間七七四年
関東に転封されたあとのことだが、さらにどこか(おそらく東北)に転封されるかもという噂はあったようだな

7: 人間七七四年
どの道、秀吉が死ねば武将としてのキャリア・実績で家康の右に出る者はいないから、 やっぱ家康の天下になる。その場合恐らく浜松あたりが日本の首都だったわけか… 

20: 人間七七四年
>>7 その場合浜松からそれほど遠くもなく、鎌倉あたりを国政の中心にすると思う。家康は源頼朝にあこがれてたらしいしな 

25: 人間七七四年
>>20
家康は三河政権たる鎌倉幕府、源頼朝の跡継ぎの正室の兄の血を引くからだろ
そりゃ三河の先輩だから尊敬もするだろう


源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ


源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁


・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている


・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁

・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁


■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)

木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%9B%E3%BC%E3%A0/%E9%9D%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。

11: 人間七七四年
秀吉に臣従後はだいたい京大坂にいるし。駿遠三甲信で内大臣なら無問題。関ヶ原後に関東にいる大名を転封して自分が入ることもできる

12: 人間七七四年
家康に限らず幼君を奉って主家から徐々に力を抜いて簒奪するやり方ってのは珍しくも何ともない 


それができるのは大義名分がいるから天下を取るかどうかはここにかかってるな それでも移封がなけりゃ厳しくなる 


なんせ大名としての力は130万石程度だから無理強いするには力が足らない


秀次が残れば家康は箸にも棒にも引っかからないだろうし、秀頼を利用できても力が心もとないし 

13: 人間七七四年
東海時代の実力で大老・姻戚になれるかってことだな

14: 人間七七四年
関東は別に北条のままでもよくないか?
関東で引き篭もってるから秀吉死後も天下への野心は低いだろう
東海に置いておくのは危険だから、東北あたりに飛ばしたらどうだろう
もっといえば蝦夷地にやって、開拓を命じる
拒否したら信雄と同じく改易
これくらいしないと豊臣の安全は測れないなw

15: 人間七七四年
徳川家康が関東に転封されないというIFに北条が滅びないないという、より大きなIF前提を重ねるのは良くない 


スレの焦点が曖昧になる


堀秀政が若死しなかった等、家康転封以外はなるべく史実に即した前提で語るべきであろう

16: 人間七七四年
うむ
北条が滅んでないと秀吉は東国の平定をしなかったレベルの仮想世界になるからな

17: 人間七七四年
じゃあ関東は上杉が治めてるのか

18: 人間七七四年
堀秀政か上杉景勝か
あるいは織田信雄あたりか
いずれにせよ史実の家康ほどの大領は任せられないだろう

19: 人間七七四年
家康を東海に置いとくなら実際に東海に配置した大名を関東に置くだろ。山内や中村あたり。秀吉死後は天正壬午の乱よろしく大混乱ですわ

21: 人間七七四年
>>19
その場合、甲斐の浅野や信濃の仙石、石川あたりも関東だな
関東の旗頭は浅野長政あたりか

26: 人間七七四年
>>19
あー確かにそいつらの置場所は関東しかなくなるのか

22: 人間七七四年
なんというかアホすぎない?
家康の転封で空いた領地に入った奴らがそのまま関東に配属されるって本気で考えてるの?

24: 人間七七四年
>>22
甲信東海の大名は秀吉子飼いや親族がほとんど
史実の結果を知らなければ、家康の代わりに加増転封で関東に入れてもおかしくないし
なにより史実との齟齬が一番少ない

23: 人間七七四年
東海甲信だけでも秀吉や利家死後に豊臣臣下で最高権力者になってれば全国の大名に難癖付けまくって自分や親徳川の大名の領土増やしまくっていけるだろう 
いずれ家康許さねえ、って反徳川連中が蜂起して関ヶ原に似た状態になる可能性が高いかな

27: 人間七七四年
この仮定って家康の領地は一切増やさない仮定なの?
秀吉の義弟が外様の毛利より石高少ないって微妙じゃないかな。
後の徳川のように一門が多ければ別にいいけど豊臣は一門が少ないから家康はもうちょっと強化した方がいいと思うんだが。 
具体的には尾張位加増してやるべきじゃないかな、と。

32: 人間七七四年
>>27
東海時代の家康は120万石の毛利より1割くらい多いはず
小田原後も伊豆を加増されると思ってたから尾張ほど大加増はないだろうね

34: 人間七七四年
>>32
ああ、すいません。毛利の石高勘違いしてました。
多分伊豆加増で妥当だと思います。

28: 人間七七四年
まあ名目上は「加増」転封だからな。据え置きならどこか増やさないと。

29: 人間七七四年
逆だろ
加増「転封」なんだから「転封」という負担がないなら加増も無用

30: 人間七七四年
>>29
うん、外様ならそれでいいと思うよ。
ただ、秀吉視点だと家康は外様とは言い難いんじゃないかな。
 別に史実のように250万石もやれとは言わないよ。毛利より多い170~180万石位はやってもいいんじゃないのって話。 
唐入りの事を考えると毛利を減らすのは微妙だし。

31: 人間七七四年
結城秀康に下総だけくれてやれば

38: 人間七七四年
>>31
下総の北部と常陸南部も良い、坂東平氏の末裔たちの統治はてこずる
佐竹には磐城を与える

33: 人間七七四年
関東への転封がないなら秀康も結城の養子無いかも
変わりに秀吉の養子として西国に十万石くらい貰ったり

35: 人間七七四年
北条滅んで家康入れないぽっかり空いた関東、やっぱ上杉でも置くのか。じゃあ越後はってなるし、伊達の抑えは史実通り蒲生か。んーやっぱ家康を関東に移して東海道を親豊臣にするほうが実利がありそうだなあ

36: 人間七七四年
そもそも上杉なんだから関東でええやん
上杉旧領に転封という感じで

41: 人間七七四年
家康が転封無しなら朝鮮の役参戦しただろう
疲弊するだろうし本人や重臣が病死する可能性もあるな

42: 人間七七四年
あらためて、秀吉の配置はさすがだと思う。関東は家康じゃないと安定しなかったろう。

43: 人間七七四年
もし家康が肥後に転封されていたら?

44: 人間七七四年
>>43
家康が断るだけ
東北でも嫌がるだろうし東海には居させたくない
結局落ち着く所は関東か

45: 人間七七四年
関東を安定させなおかつ奥羽に睨みを効かせる

や家神

46: 人間七七四年
家康は八丈島に島流し

ネタ元: ・もし徳川家康が関東に転封されなければ?