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1: 人間七七四年
小説を読んだり、ドラマや映画を見たりしながら、「作り話だ」
と思っていた出来事が、実は史実だったと驚いたことはありませんか

2: 人間七七四年
面白いテーマだから何か一個出したいと思ったけど一個もでんw
竹中半兵衛(と安藤守就)が稲葉山を少数人で落としたってのは一応信長公記から来てるから史実として良いんだろかね
あれは凄いな

3: 人間七七四年
大河ドラマ「功名が辻」

頬に矢が刺さった重症の山内一豊。 家来の五藤吉兵衛が一豊の顔を草鞋で踏んで頬の矢を抜いた。 

大河ドラマだけあって大げさな演出だ、と思っていました。

ところが、後日びっくり。五藤家には一豊の顔を踏んだ草鞋が家宝 として保存されていた。 

NHKの演出ではなく、一応ソースのあるシーンだった。

4: 人間七七四年
もう一例。
昭和58年の大河ドラマ「徳川家康」

 おふうという女性が武田軍によって処刑されるシーンを見て、さては・・・主役(家康)のライバル(武田)の印象を悪くさせるための疑似世論形成の手法だな、おふうなんてありがちな名前を付けて。と思いました。 


しかし、 友人から「おふうは実在の人物。お墓も残っている」と言われて赤っ恥をかきました。 

7: 人間七七四年
大河ドラマ「八重の桜」

明日は早起きして奇襲の予定なのに深酒して大寝坊した中村獅童。

戦国じゃなくて幕末だけど。

10: 人間七七四年
火縄銃でロシアンルーレットしてた薩摩武士

11: 人間七七四年
それも誇張つー話

12: 人間七七四年
立花宗茂が肥後一揆の後始末で
預かってた隈部親永等12人を立花家臣と12対12の決闘方式で処刑した
黒門の放し討ちについて調べたら、ちゃんと記録が残ってて驚いたな
まあ、伝承と若干違うとこもあるけど

13: 人間七七四年
隈部さんは配下が結構生き残ってたからな
徹底抗戦したわけじゃないから
そいつらをおとなしくさせるためにもいい名目の死を賜りたかったんでしょ

14: 人間七七四年
親永の処刑の後宗茂は隈部一族の者に密かに隈部家を継がせて隈部家が清和源氏宇野氏を名乗っていたことから 、宇野成真と名乗らせて仕えさせたって記録もあるから 、処刑の前に一族を存続させる密約をしてたのかもしれんな 

15: 人間七七四年
ばあちゃんが「ご先祖が水戸黄門を船に乗せた」まーたテレビ観すぎと思っていた
博物館に行くと光圀が先祖が住んでいる場所から船で移動した展示物があった
そう言えば先祖が回船屋をやっていた

圀rz

17: 人間七七四年
謙信女性説がガチになってきたこと
昔1%⇒今10%ぐらいか?

18: 人間七七四年
今も1%です

ネタ元: ・実は史実だったと驚いた話