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1: 人間七七四年
 徳川史観と豊臣史観、どちらの影響力が強い?

関ヶ原の問い鉄砲の決断や大坂城の惣堀埋めなど、 関ヶ原や大坂の陣などで語られる逸話など権力者による勝者の視点による徳川史観史観と、判官贔屓による敗者の視点による豊臣史観(そんな史観があるかは知りませんが) 


イメージや通説、俗説などに与えた影響はどちらが強いのでしょうか。 好き勝手に語り合いましょう。 

3: 人間七七四年
豊臣信者は小説や大河で得た程度で語るから始末に悪い
しかもそれって何年前の研究論だよって話したり
秀吉は人格者って厭きもせず繰り返したり

>>3で書き忘れたけど、根拠が自分の妄想というのもあったな

4: 人間七七四年
スレ主も言っているけど豊臣史観なんて存在するのか?

>>4
司馬史観が実質そんな感じ

>>4
豊臣史観は秀吉自身のプロパガンダ『天正記』『太閤軍記』に始まる

>>4
徳川史観のように名付けられていないだけで「豊臣史観」なる思想は存在する
例えば司馬遼太郎のラノベで持ち上げるタイプ、漫画や大河で持ち上げるタイプ、そして史料を捻じ曲げてまで持ち上げるタイプの3つがそれに当たる
前者2つは史料で殴って黙らせることが出来るが後者は声のデカい働く無能タイプかつ豊臣第一で聴く耳持たずだから厄介
まともな神経してたら秀次が勝手に切腹した説や後北条氏無罪を掲げる個人ブログに暴言を書き込む様なことはしないわ

7: 人間七七四年
三成や秀頼を勝たせたがる奴の数を考えろ
もしかしたら日本を米英に勝たせたがる奴より多いかもしれん

9: 人間七七四年
秀次は勝手に自害しました説のオッサンといい 
豊臣史観を主張する学者モドキはキチガイが多い印象

12: 人間七七四年
利休は勝手に自害しました
秀次は勝手に自害しました
大谷は勝手に自害しました
淀と秀頼は勝手に自害しました

豊臣関係者は勝手に自害する奴ばかりだな

14: 人間七七四年
豊臣史観の典型的な主張
・秀次は勝手に自害しただけ
・東軍は賊軍で西軍こそが豊臣公儀だった
・西軍が関ヶ原で倒れても豊臣は公儀だった
・関ヶ原の後も諸大名は豊臣恩顧で秀頼を慕っていた
・秀頼は関白になることを日本中が望んでいた
・大坂冬の陣では豊臣は勝っていた
・大坂夏の陣でも勝つ寸前だった

15: 人間七七四年
そもそも徳川史観に認定されている諸説なんて研究者&徳川シンパですら嘘と認識しているのに徳川史観ガーと喚くのは「私は学術レベルの知識がないうつけ者です」と自己紹介しているも同然
ぶっちゃけ「豊臣の悪評は徳川史観のせい!」とほざいている学者はいても逆はいない時点でどちらの史観が必死で主観的かは明らか

16: 人間七七四年
長年講談や軍記物を基に語られて来た通説で散々秀吉持ち上げられ、家康は貶められて来たのに
それはほとんど無視だったしな

>>16
トンキン人の元祖徳川家康は詐欺師の親玉である、ということが現代では通説になってるからね

>>17
笠谷の新説ってどんなこと言っているの?

>>18
それはいまだに小説や講談、軍記物の知識で語る関西人の中での話だろう

17: 人間七七四年
方広寺鐘銘問題や大坂城の惣堀埋め立て、福島正則の改易など
徳川の陰謀と言われた件は否定されてきているし
熊本加藤家の改易にも笠谷が新説出しているんだっけ

>>17
家康の目的は豊臣の臣従であって滅亡じゃ無かった説が色々な研究者から徐々に出始めてきているし昔の俗説、講談頼りの徳川アンチは都合が悪くなったらレッテル貼りで逃げるしか無いもんね 

24: 人間七七四年
清正とかはタイミング良く死んだというのもあるよね
 浅野幸長とか池田輝政、蒲生氏郷とか肝心な時死んでいなかったため持ち上げられている気がするね 


加藤や浅野、池田が生きていたとしても福島や黒田みたいな事にならなかったかや、蒲生が生きていたとして上杉や佐竹あたりと違った行動をしたかと言えば怪しいな 

21: 人間七七四年
豊臣贔屓の人からやたらと持ち上げられる「真田幸村」と「加藤清正」、そして「石田三成」についてだが、 そもそもこの三人が「忠義者の鑑」として多くの人から愛される理由はそれこそ徳川史観によるものなのかも。 


戦の無い平和な江戸時代では主君に忠義を尽くすサムライこそが理想とされ、天下分け目の大合戦で土壇場で裏切るようなヘタレ(異説あり) 主君を何度も変える不忠者の成り上がり (実際は仕えて直ぐにトノサマがタイミング悪く死んじゃうだけで、亡くなったかつての主君の墓をいつまでもキチンと管理したりと、相当な忠義者だったが) は論外だったので、そのプロパガンダに彼ら三人は利用されたのでは、と個人的に考える。 

27: 人間七七四年
豊臣にとって都合の悪い話、徳川にとって都合の良い話は
皆徳川史観の所為にすればいいんだから主張している研究者は楽だよね

28: 人間七七四年
現実にはそんなのなかったからな歴史を歩んでるだけなのに
豊臣は秀吉が遺した権威も秀頼個人の器量も申し分なかったのに是と非が逆さまになってしまったな立場の人が絶えない

29: 人間七七四年
徳川、特に家康が明治後どれだけ貶められたか知らないのかね

31: 人間七七四年
家康は朝廷をないがしろにしてきた極悪人だからな。

明治天皇もそう言っている。

逆に豊臣秀吉は朝廷の権威をナイガイニ知らしめてきた善人だともw

明治天皇が豊国神社と豊国廟の再建を指示したのは有名な話

33: 人間七七四年
現在の主流は基本的に徳川史観でしょ
徳川が叩かれるのは豊臣史観でもなんでもなく
新しく政権ができたら前の政権は悪かったとしないと政権の正当性が伝わりにくいんだよ

徳川だって、前政権の豊臣を神社までぶっ壊すくらい徹底排除してるやろ
これは現代でも行われてる事
民主党に政権に交代したとき問題あれば自民ガー自民ガーと言ってたけど
あれは民主党がおかしいわけでもなく、新政権ができたら前政権を叩くのは恒例行事みたいなもん。

>>33
徳川はとうの昔に前の政権ではなくなったんだけど
末期幕府が持ち上げられて明治政府が叩かれる流れは全然ないのに、秀吉どころか西軍や大坂軍が持ち上げられて家康や秀忠が叩かれるのはなんで

40: 人間七七四年
あと、1662年6月(寛文2年5月)に京都で地震が起きたとき、豊国神社周辺に被害がなかったため、地震除けの流行神として参詣者が集まった。

42: 人間七七四年
徳川は畜生塚や鼻塚など豊臣の建造物の多くを保護している
豊国神社なんてどうでもいい過大評価でしかない

43: 人間七七四年
豊国神社は家光が修復しようとしたんだけど
老中の誰かが猛反対して取りやめになったんだっけ

47: 人間七七四年
大坂の陣の惣堀の件とか福島正則の改易の件とか徳川の陰謀説は否定されてきているのに
豊臣信者は今だに古い俗説で主張してくるから始末に悪い

>>47
普通に陰謀ですよ。徳川信者が必死に否定しているだけ。
否定する資料は徳川側のものだからな。
大阪方や福島家の家臣は否定しているもの。信じているのは徳川信者だけ。

>>58
陰謀論否定してるのは主に笠谷で「歴史の虚像を衝く」あたりが一番分かりやすいけど、陰謀論肯定してる研究者の名前とその主張が読める著作があれば教えて欲しいんだが 

>>61
大阪の陣の掘り埋めの話で幕府を擁護する話を残しているのは、林羅山などのお抱え連中でこいつらは幕府を肯定するためになんでもする連中。 


徳川将軍は凄いんだとか、源氏最高、平氏なので信長はなれなかった、秀吉は農民なので将軍になれず、 仕方なく関白になったとかねつ造していた連中。 

福島改易の件でもあれは正しかったと主張しているのは幕府が残したものしかない。 福島家臣は申請して許可もらっていたのに、それがのちに取り消されて勝手にやったことにされたとしている。 

56: 人間七七四年
そもそも豊臣信者など存在しないだろ
徳川厨は家康が嫌われている事実を認めたくなくて家康を批判する奴はみんな豊臣信者だと思いたいようだが

>>56
石田信者と豊臣信者は本来は別物なのに混同されることが多いな
石田史観は三成の意思が豊臣の意思になるべきという思想であり
だから三成が戦を始めるのに豊臣家の許可など要らない
むしろ豊臣恩顧はもちろん淀も秀頼も三成の言うことに従えという思想だ

三成を豊臣の上に置いているんだから本来は豊臣史観とは相容れない思想なのだが
なぜか豊臣史観との違いが理解されずに混同される傾向がある

67: 人間七七四年
政権の正統性は疑われるものだ。
フランス革命は随分前から試練に立たされているし、日本でも明治維新を疑う傾向が最近流行って来た。
検証されることで初めて、正史とされて来た価値観が試されて次の世代へ受け継がれる。

徳川政権など江戸時代半ばから散々中傷され続けて来た訳だし、それでもなお、豊臣史観のような屁のような存在よりは現代に与える影響は大きいものがあるだろう。
いずれにせよ影響力など語る価値もないほどに小さいことに違いはない。

71: 人間七七四年
幕府の捏造歪曲を疑うなら当然大坂方の史料も自己正当化の為の捏造歪曲を疑わねばならず
その場合複数の事例や史料から比較検討できる後世の専門家の評価も参考にはなるでしょ

>>71
それは当然あるだろうな。だが後世の専門家よりは信頼に足るね。
なぜなら研究者とやらの著書を読んだことがあればわかるが、どの研究者でも公平中立な書き方などはしていない。
自分の史観や一つの結論に基づいて史料のつまみ食いをしているのが明らかだからな。

彼らは名か物を売らなければならない。通説を覆す為とか言って史料のつまみ食いをする事で自らが陰謀論を唱えている事が多々あるからだ。
明智の子孫みたいな連中ばかりしかいない。

72: 人間七七四年
71に賛成。どんな事象も相当時間が経った後の研究者の文献を参考にした方が良い。
できるならば肯定的な方と否定的な方の双方を同時に紹介できるような人が望ましい。

75: 人間七七四年
だから肯定的否定的両面語れというのに。

あと、大きな歴史上のイベントは表裏両面あることが当たり前だろう。
侵略者は裏から見れば英雄だ。片方が正解で他方が陰謀と言うわけではない。
全て同時に矛盾なく起こり得て、視点が人の数だけある。
革命や戦争のような規模が大きくなればなるほど矛盾に満ちた記述になるのは当たり前。

物事の一面しか採用しようとしない、その単純さは問題だと思うね。

92: 人間七七四年
徳川に都合のいいことは嘘と捉えよ
徳川の250年は日本にとって負の歴史で今もそのツケを払い続けてる

93: 人間七七四年
むしろ徳川あっての今の日本人の美意識だわ

94: 人間七七四年
国民奴隷化してお上に従えという美意識ですかね?

>>94
それは負け犬根性しみついた考えかた

96: 人間七七四年
けど江戸時代なんて完全に縁故採用で、新規採用なんてねーだろw
特定の団体が利権を世襲して、仕事もない武士がぶらついている時代。
頑張っても上を目指せず、ただニート武士に税だけ取られる時代。

>>96
新規採用はちゃんとあるよ。
勿論人並み以上の優秀さを持ち、上役に気に入られたうえで、 きちんとした成果を上げる必要があるが。 
 で、一代限りにしない為には、古株や同僚にも気を使って、周辺との無用な軋轢を起こさぬようにすればいい。まあそんなん当たり前だけど。 

>>96
田沼意次は大抜擢の中途採用

98: 人間七七四年
ゼロに等しいものを持ち出してあったと言い張られてもなw

99: 人間七七四年
若い武士がなぜ道場通いをしたか、わかるかい?
免許皆伝の意味がわかるかい?
重要ポストに縁故採用を続けられるほど体制はお気楽ではない。
候補者が出揃った後で、担当者は道場なり学校なりに、評価の裏付けを求める。
人気ポストには優秀な若者を選んで採用していた。
先生も後の評価が己自身に跳ね返るので、出すところへ出す評価については無茶もできない。

ゼロに等しいと言い張るのなら流派の乱立を説明してみよ。
軍学などの学問の隆盛を説明してみよ。
若い武士は受験勉強に明け暮れていたわけだ。

ボンクラにこそ、縁故採用があった訳だ。
縁故が主であれば道場通いの競争は起こらない。

105: 人間七七四年
当時は平均寿命も短いからさ、普通に生きてるだけでは数世代で家は絶えるわけだ。
そういう実感も欠けているんじゃないのかね?
農民だって次男坊三男坊が返り咲く事など珍しくもない。
庄屋はすべての農地が耕されることに責任があるから、あそこの爺さん息子が全員死んだからお前継げ、なんて事は日常沙汰。
武士も、おなじ。人材の流動性は極めて高かった。継続するのは家という器だけだ。
採用はワンチャンスじゃない。身分という足切りはあったが、これさえも飛び越える事例には事欠かない。

106: 人間七七四年
別にバラ色のユートピアだというつもりはない。
しかし、前時代を暗黒だとする暗黒史観は訂正が必要だ。

文明の小道具が変わるだけで、喜怒哀楽は今と同じ人間が生きていたんだよ。

112: 人間七七四年
江戸時代に限らず世襲ってのは安定するんだよ。
仕事が、環境もろともセットで次世代へ継承される訳だからな。
その中で、適任でなければ長子と言えども世襲を許さずに優れた人材を迎えることさえあった。
家に結びついた仕事が、親子の継承を許さない事さえあった。
そういう多様性を、もっと学習した方が良いと思うんだけどなぁ。

まぁボンクラ息子に継がせた家は、例えば武道の流派などが典型なんだけど、競争に負けて没落して行く。
武道は優劣明快だから、優れた弟子に道場を継がせる傾向が特に強かったね。娘と夫婦にするとかして。
それが世襲というものだ。

144: 人間七七四年
徳富蘇峰以来徳川陰謀論がずっと幅聞かせてきたから
豊臣史観の方がずっと世間一般には浸透しているだろう
 ただ敵も味方も手のひらの上で操り、自分の思い描いた通りに世の中を家康はどんだけ凄いんだよって話になるとか考えなかったのかな 
実際は世の中一人の人間が頭に描いたとおりに進むほど都合良く出来ていないだろう

145: 人間七七四年
司馬の家康とか特にそうだな

ネタ元: ・徳川史観と豊臣史観、どちらの影響力が強い?2