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1: 歴ネタななしさん
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。
織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。
上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。
軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像として現在でもよく知られている。

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3: 歴ネタななしさん
真田昌幸の人生は「面従腹背(めんじゅうふくはい)」だと思う

4: 歴ネタななしさん
武田が滅ぶ → 織田に従う

滝川 (織田)が関東から逃げる → 北条に従う

信濃が家康の手に → 家康に従う

家康が約束を破る → 上杉の庇護を受ける

上杉が秀吉に降る → 秀吉に従う

秀吉他界、東西に分裂 → 昌幸・信繁(西)、信之(東)

13: 歴ネタななしさん
>>4
仮に勝頼が岩櫃に来てたら小山田か武田信豊みたいになってたかもな

7: 歴ネタななしさん
昌幸、信繁の戦強さの根拠がほとんど「あの家康に相手に!」ってことなんだけど、家康ってあんま戦上手ってわけじゃないと思うけどな。

14: 歴ネタななしさん
>>7
それ以前に昌幸の指揮で家康と戦ったことすらない

8: 歴ネタななしさん
家康公は野戦は得手ではなかったか?

10: 歴ネタななしさん
>>8
どっから、そんな風評が立ったんだろうね?
俺も不思議だ

11: 歴ネタななしさん
小牧長久手だろ

17: 歴ネタななしさん
真田昌幸ってこの人本当に凄いよ

18: 歴ネタななしさん
何で幸村こと信繁ばかりが取り上げられるのか解らん
真田家の名を世間に広めたのは正に昌幸だろうに
小説やドラマ等も昌幸を主人公に描くべきだ

19: 歴ネタななしさん
昌幸さんは終わりが半端だから歴史小説の主人公としては微妙
主人公の偉大な父親という役がしっくりくるんだよ

21: 歴ネタななしさん
>>19
単軍で徳川を敗退させて全体で負けて左遷されて病没
それなりに面白い終わり方だと思われ

23: 歴ネタななしさん
>>19>>21
息子の幸村とは対称的な哀しい終わり方でこれはこれで絵になるやん

20: 歴ネタななしさん
策謀、知略、計略、謀略
これほどこんな言葉が似合う人もいない
幸隆とか松永以外では

22: 歴ネタななしさん
以前よりも格落ちとはいえ職務が与えられる「左遷」じゃない
職務も生き甲斐も生業も取り上げられたような、まさに幽閉に近い「蟄居」

25: 歴ネタななしさん
過大評価

27: 歴ネタななしさん
真田昌幸の楠木正成流ゲリラ戦術は凄かったんだよ

ネタ元: ・【表裏比興の者】真田昌幸【知将・謀将】

小勢力だからできることには限りがあるけども、なんかやってくれそう感がすごい人