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1: 歴ネタななしさん
苦手な人は読まないでね

出典は三国演義の第十九回
呂布に攻められて夏侯惇が助けに来たが目を射られて敗走したあと劉備も呂布に負けて敗走中の出来事

2: 歴ネタななしさん

且説玄徳匹馬逃難、正行間、背後一人?至、視之乃孫乾也。
(さて玄徳は単騎で難を逃れ、まさに進んでいると、背後からある一人が追いついて、見てみると彼は孫乾でした。)

玄徳曰:「吾今両弟不知存亡、妻小失散、為之奈何?」
(玄徳は言いました。「私は今二人の弟(関羽・張飛)の生死もわからず、妻子と別れてしまい、どうすればよかろうか?」)

孫乾曰:「不若且投曹操、以図後計。」
(孫乾は言いました。「とりあえず曹操を頼り、後のことを考えましょう。」)

玄徳依言、尋小路投許都。
(玄徳はその言葉に従い、小路を探して許都に行きました。)

4: 歴ネタななしさん

途次絶糧、嘗往村中求食。
(途中で食糧がなくなり、それまで村に行って食糧を求めておりました。)

但到処、聞劉豫州、皆争進飲食。
(行ったところでは、劉豫州(劉備)と聞くと、みなが競って飲み物食べ物を出しました。)

一日、到一家投宿、其家一少年出拝、問其姓名、乃獵戸劉安也。
(ある日、ある家にたどり着いて宿を取ろうとすると、その家の少年が出てきて拝礼したので、姓名を尋ねると、猟師の劉安といいました。)

7: 歴ネタななしさん

当下劉安聞豫州牧至、欲尋野味供食、一時不能得、乃殺其妻以食之。
(このとき劉安は豫州牧が来たと聞くと、鳥獣の肉を手に入れて食べさせようとしましたが、すぐには手に入らないので、妻を殺して食べさせました。)

玄徳曰:「此何肉也?」安曰:「乃狼肉也。」玄徳不疑、乃飽食了一頓、天?就宿。
(玄徳は言いました。「これは何の肉だ?」安は言いました。「狼の肉です。」玄徳は疑わず、腹いっぱいになるまで食べ、その夜は就寝しました。)

至暁将去、往後院取馬、忽見一婦人殺於厨下、臂上肉已都割去。
(夜が明けて出発しようとし、裏庭に行って馬を取ろうとすると、突然一婦人が厨房で殺されており、臂の肉がすべて削ぎ取られているのが目に入りました。)

玄徳驚問、方知昨夜食者、乃其妻之肉也。玄徳不勝傷感。
(玄徳が驚いて問うと、ようやく昨夜食べたものが、(劉安の)妻の肉だとわかりました。玄徳は悲しみを堪えられませんでした。)

洒涙上馬。劉安告玄徳曰:「本欲相随使君、因老母在堂、未敢遠行。」
(涙を流して馬に乗りました。劉安は玄徳に告げました。「本来なら使君に従いたいのですが、老母が家にいるので、遠くには行けないのです。」)

12: 歴ネタななしさん

玄徳称謝而別、取路出梁城。忽見塵頭蔽日、一彪大軍来到。
(玄徳は感謝して別れ、道を選んで梁城に行きました。突然塵が日を覆い、一隊の大軍が到来しました。)

玄徳知是曹操之軍、同孫乾径至中軍旗下、與曹操相見、具説失沛城、散二弟、陥妻小之事。操亦為之下涙。
(玄徳は曹操の軍だとわかるや、孫乾とともにまっすぐと中軍の旗の下に行き、曹操と会い、つぶさに沛城を失い、二弟(関張)と離れ離れになり、妻子が捕まったことを話しました。操もまたそのために涙を流しました。)

又説劉安殺妻為食之事、操乃令孫乾以金百両往賜之。
(また劉安が妻を殺して食べさせてくれたことを話すと、操は孫乾に命じて金百両を彼に賜りに行かせました。)

6: 歴ネタななしさん
まあ程昱も兵糧に人肉混ぜてたし人肉食うぐらい大したことやない(錯乱

8: 歴ネタななしさん
>>6
ぶっちゃけ中国の古典を読めば絶対に人肉に行き当たるからそれほど驚くもんでもなくなる
ワイは中国古典慣れして人肉ごときどうでもよくなった

9: 歴ネタななしさん
おいしそうに食べる奴と食べない奴の差が激しすぎんねん

13: 歴ネタななしさん
演義なのが救いやな
先主伝に書いてあったらガクブルもんや

15: 歴ネタななしさん
空箱オナシャス

19: 歴ネタななしさん
空箱は第何回だっけ?

24: 歴ネタななしさん
空箱は第六十一回やった
原文はこれ
短いから即興で訳せそう

侍中荀彧曰:「不可。丞相本興義兵,匡扶漢室,當秉忠貞之志,守謙退之節。君子愛人以德,不宜如此。」
曹操聞言,勃然變色。
董昭曰:「豈可以一人而阻?望?」遂上表請尊操為魏公,加九錫。
荀彧歎曰:「吾不想今日見此事!」

  操聞深恨之,以為不助己也。
建安十七年冬十月,曹操興兵下江南,就命荀彧同行。
彧已知操有殺己之心,託病止於壽春。
忽曹操使人送飲食一盒至。盒上有操親筆封記。
開盒視之,並無一物。彧會其意,遂服毒而亡。年五十?。

後人有詩歎曰:
文若才華天下聞,可憐失足在權門。
後人漫把留侯比,臨歿無顏見漢君。

28: 歴ネタななしさん
まずはすぐできる詩から

後人有詩嘆曰:
(後世の人は詩を作って嘆いた、)

文若才華天下聞、可憐失足在権門。
(文若(荀彧の字)の才能は天下に広まっているが、憐れむべきは足を権門に失ってしまった(曹操に仕えてしまった)。)

後人漫把留侯比、臨歿無顔見漢君。
(後世の人はみだりに留侯(漢の張子房。荀彧は曹操に我が子房と言われたことがある。)と比べているけど、死んだら漢君に会わせる顔はないぞ。)

29: 歴ネタななしさん
以下は曹操が九錫を貰おうとするのに反対するシーン。九錫を貰うことはそのまま簒奪に繋がる。

侍中荀彧曰:「不可。丞相本興義兵、匡扶漢室、当秉忠貞之志、守謙退之節。君子愛人以徳、不宜如此。」
(侍中の荀彧は言った「だめです。丞相はもともと義兵を起こし、漢室を助けられたのですから、忠貞の志を持ち続け、謙譲する節義を守らなければならないのです。君子は人を愛するのに徳をもってするものですから、このようにするのはよろしくありません。」)

曹操聞言、勃然変色。董昭曰:「豈可以一人而阻衆望?」遂上表請尊操為魏公、加九錫。
(曹操はその言葉を聞くと、突然顔色を変えました。董昭は言いました。「どうして一人(荀彧)のために人々の望みを阻めましょうか?」ついに上表して操を魏公にさせ、九錫を与えさせました。)

荀彧嘆曰:「吾不想今日見此事!」
(荀彧は嘆きました。「私は今日この事(魏公と九錫)を見るとは思わなかったぞ!」)

31: 歴ネタななしさん
サンガツ!イクさぁん…

32: 歴ネタななしさん
あんだけ曹操の側におった荀彧が曹操の野心に気づかないわけがないんだよな

34: 歴ネタななしさん
>>32
荀彧は忠臣という意見もあるがワイは確信犯やと思うで

せっかくなので

操聞深恨之、以為不助己也。
(操は聞いてそれを深く恨み、自分を助けてくれないのだと思いました。)

建安十七年冬十月、曹操興兵下江南、就命荀彧同行。
(建安十七年冬十月、曹操は兵を起こして江南に行こうとし、荀彧に同行を命じました。)

彧已知操有殺己之心、託病止於寿春。
(彧は操が自分を殺そうとしているのをわかっていたので、病と称して寿春に留まりました。

忽曹操使人送飲食一盒至。盒上有操親筆封記。
(突然曹操が人に飲食物の(入った)一箱を送らせてきました。箱の上は操の親筆で封印が書かれておりました。)

開盒視之、並無一物。彧会其意、遂服毒而亡。年五十?。
(箱を開いてみてみると、何一つとしてありませんでした。彧はその意味を理解し、ついに毒を飲んで亡くなりました。五十?でした。)

35: 歴ネタななしさん
>>34
ワイも同じ意見やがただ献帝の側におって年取って漢に対する忠義が芽生えた可能性も無きにしも非ずやと思う

36: 歴ネタななしさん
>>35
そうかもしれないね
正史の荀彧伝は昔訳したけど記述が少なくてどうとでも取れるって印象やった
それだからこそ色々想像できて楽しいわ

42: 歴ネタななしさん
人肉食べた話って嘘なんか?
何が三国志は本当の話に近いんや

44: 歴ネタななしさん
>>42
嘘というか創作
正史に近い二次創作なら演義だよ

46: 歴ネタななしさん
>>44
人肉は違うけど演義自体は正史に近いんやな
横山光輝verはどうなんや?

47: 歴ネタななしさん
>>46
そうやで
演義は基本正史の話をそのまま切り貼りしたもんやから七実三虚もあながち間違いやない
横山は正史→民間伝承→三国志平話→三国志演義(李卓吾)→三国志演義(江戸時代に和訳された。オリジナル設定も入れてる→吉川→横山と改変されてる
李本の演義から吉川まででかなり改変されてるから五実五虚ぐらい……?

48: 歴ネタななしさん
>>47
一応事実は混ざってるんやな

49: 歴ネタななしさん
>>47
完全に史実無視というわけにはいかないからね
ちなみに今日本で流通してる毛本の演義は李本より正史に近い(というか毛宗崗が近づけた)からそっち読んでみるのもおすすめしますやで

45: 歴ネタななしさん
>>42
劉備が人肉食べた話はないはず
ただ程昱が兵糧に人肉混ぜたはなしは史実にある
あとあのころ飢饉多くてそのたびに「人相食」って記述が出てくる

ネタ元: ・暇つぶしに劉備が人肉を食べた話を翻訳してみたぞ