1: 歴ネタななしさん
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モンゴル帝国崩壊後、西アジアをほぼ制覇しながら、明への遠征途上に倒れたティムール。もし倒れることなく、明に攻め込んでいたら果たしてどうなっただろうか?

待ち受ける明を束ねるのは、靖難の変の激戦を勝ち抜いて、甥から帝位を奪った永楽帝朱棣。

いずれ劣らぬ歴戦の覇王が束ねる東西の二大帝国の激突。 世界帝国の座を賭した激戦の行方や如何に?


2: 歴ネタななしさん
まあ遠征して来たティムールの方が不利だろうね。
敵地で戦う形になるし。

モンゴル高原の遊牧民をどれだけ糾合できるかにもよると思う。

3: 歴ネタななしさん
敵地で戦うことは不利ではないよ。むしろ軍の一体化という意味では敵地で戦いなさいと孫子なんかは言ってるし、歴史的に見ても敵地で戦うほうが勝率なんか高いよ。 まあロシア遠征とかは別だけど。

4: 歴ネタななしさん
まともに戦えば漢人部隊より遊牧民のほうが強いのは歴史が証明するところ。結局永楽帝は敗れて北京を放棄、南京あたりに遷都して、金宋時代のように北に遊牧民の政権、南に漢人の政権が鼎立することになるような気がす(ただし、その前にチムールの部隊の兵站がもつかどうか気がかりだが…)

6: 歴ネタななしさん
>>3>>4
敵地で戦う不利ってのはやっぱり兵站の問題が一番大きいと思う。
かなりの遠征になるわけだから。
まあ遊牧民だからそのあたりは強いのかも知れないけど。

実際に攻め込むとなると、どういう進路を取るかな?
河西回廊を通って陝西方面へ侵攻するか、あるいはモンゴル高原を迂回して北方から山西、河北に侵攻するか。

14: 歴ネタななしさん
>>4
永楽帝もその配下の漢人部隊も、対遊牧民戦を長年繰り返してきたエキスパート。
遊牧民出身の将軍も多いし。
正面から野戦を行なっても、簡単に負けるとは思えん。

5: 歴ネタななしさん
永楽年間のティムールは老衰してまぶたが常に垂れ下がっていた程の状態だし
果たして長途の遠征に耐えられたかが疑問。
それに対して永楽帝は壮年の男盛りで前線でバリバリ戦える。
難を言えば靖難の変の後遺症で江南の支配階層(士大夫)が
素直に永楽帝に従うかどうか。
最悪の場合、腹背に敵を抱えかねない危険性を抱えている。

7: 歴ネタななしさん
>>5
逆に外患に対して一致団結って可能性も

9: 歴ネタななしさん
まあ普通に甘粛あたりで衝突だろうな。
西安が包囲されるかも。

10: 歴ネタななしさん
とりあえず永楽帝は鄭和を呼び寄せて、できるだけ陸で戦わない。
大きい川で戦おう。

11: 歴ネタななしさん
初歩的な疑問で申し訳ないけど、ティムールには優秀で覇業を継いでくれそうな後継者(非血縁も含む)がいたの?

モンゴルの時は金・南宋を滅ぼすまでに数代費やしてるから、ティムール一代だと時間制限が厳しそうな気がします。


12: 歴ネタななしさん
ティムール死後、後継争いで一時的に帝国が分裂してしまったから、そのへんはかなりやばいだろうな。

長男が早くに死んで、朱元璋と同じように嫡孫を後継者に定めていたんだけど、地に領土を持った王子がいたから、それが内戦の原因となってしまった。

結局四男シャールフが何とか帝国を再統一することはできたけど、基本的に征服はしない穏健政策で、近隣国とは友好関係を結んだし。

13: 歴ネタななしさん
長男が先に死んでしまって、後継者が孫ってあたり、
朱元璋に似ているんだよね。
年齢的にも、朱元璋に近いし。

15: 歴ネタななしさん
戦力はあるが、長距離の遠征で兵站に不安が残るティムール軍、 大してティムール軍より戦力は劣るであろうがカリスマのある永楽帝が率いており、兵站も万全で士気は高いであろう明軍。

16: 歴ネタななしさん
ティムール軍は、正攻法ばかりだと、がっちり守りを固めてしまった明軍を撃ち破るのが難しくなると思う。

明側は、ティムール朝の版図を占領する意図はなく、勝たなくても負けなければいいのだから。

17: 歴ネタななしさん
鄭和の大艦隊でティムールの背後を突くなんてできたら面白いんだけど、現実問題無理だよな。

19: 歴ネタななしさん
永楽帝は雷帝バジットと同じような運命をたどる気がする
洪武帝なら勝てないまでも負けないとは思うが

永楽帝の不戦勝は世界史ファンの最もガッカリのひとつ

20: 歴ネタななしさん
いくら永楽帝が軍人皇帝と威張っても、
オヤジには勝てないだろうしな。

むしろ朱元璋vsティムールの方が燃える。
いかにもモンゴル帝国の後継者の座を巡る決戦みたいで。

21: 歴ネタななしさん
>>20
性格がどっちもひねくれてるな、その二人
二人とも政治には熱心だが、かたや粛清、こなた捕虜虐待
どっちかと言えば、朱元璋のほうが庶民には優しそうだから、応援したいな

22: 歴ネタななしさん
永楽帝は800で10万の軍に勝った実績もあるし、相当なもんだと思う。

23: 歴ネタななしさん
まー、靖難の変で、簒奪に成功できただけでもかなりのもの。

でも父親が凄まじすぎるから。

24: 歴ネタななしさん
戦場がどこになるかでかなり違ってくるだろうな。
ティムール軍は遊牧民主体だろうから。

モンゴル高原の遊牧民たちにしたら、
ティムールと永楽帝のどちらに親近感があったんだろう?

25: 歴ネタななしさん
>>24
モンゴルはティムール側に付くんじゃない?
元々、明が元を北へ追いやったわけだし、その辺を考えるとかつて敵だった
明に味方するのもどうかと思う。

71: 歴ネタななしさん
>>25
オレもそう思うな
チムールのやり方は遠方は完全支配を目指すというよりは
有好勢力などを活用して安定した体制を築くやり方を取っている
北元側も力を借りるために下手に出ただろうと思う

26: 歴ネタななしさん
明はモンゴルと不仲なのでティムールについて当然だな

                   モンゴル軍
                    ↓
ティムール軍→          ↑
                  永楽帝

27: 歴ネタななしさん
ティムールについて明滅ぼしたら、モンゴルもやばいだろ。
しかもどこから出てきたか分からん奴にチンギスの後継まで名乗られてるんだ、ティムールの覇道に協力するとは思えんけどな。

強大な敵が出てきたら、昨日の敵も今日の味方ってのは普通だぞ戦の世は。

28: 歴ネタななしさん
じゃあ、モンゴルは中立を保つ、と。

29: 歴ネタななしさん
モンゴルはひとまずティムールに道を貸しながら明との戦いを見てチャンスを狙うってのがありそうだな

88: 歴ネタななしさん
43 :世界@名無史さん:2008/08/06(水) 21:38:24 0
>>29
永楽帝が即位した頃の明朝が所有する馬は約二万三千七百頭だったそうな
交通、軍事などで大体六、七十万頭必要としていたそうだから、永楽帝が即位した時の明朝は国家機能が麻痺していたものと考えられる
(馬市を開いてウリャンカや女真から馬を購入し、早急に馬を補充しようとしてたようだが)
ティムールが侵攻してきたら、明朝は相当やばかっただろうな

32: 歴ネタななしさん
チムールがインド遠征をやってなかったら
靖難の役に乗じて中国へ侵入した可能性が高いから
けっこう勝率は高かったと思われ

33: 歴ネタななしさん
インドはモンゴル帝国の版図に組み込まれなかったから、
直接支配しようとは思わなかったのかな?

インドってよく西方からの侵入勢力に支配されているから、
明を征服するより容易だったと思うけど。

34: 歴ネタななしさん
ティムールの子孫がインドを征服してモンゴル帝国を再興している

35: 歴ネタななしさん
ムガール帝国はモンゴルのなまりだっけ

37: 歴ネタななしさん
インドってモンゴル帝国の版図には組み込まれなかった地域だからね。
モンゴル帝国と言われてもぴんと来なかったかも。

39: 歴ネタななしさん
>>37
さすがにちょくちょく侵入はされてるけどね

38: 歴ネタななしさん
インドのデリーあたりは侵略され慣れていたと思う。
いっつもアフガンの方から侵入されて王朝立てられているし。
そういう意味では華北と似ているのかな?

40: 歴ネタななしさん
インドはヒマラヤ山脈が超強固な万里の長城になっているね。

でなきゃ、チベット人からも侵攻を受けただろうな。

41: 歴ネタななしさん
95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 04:13:12 ID:+ek+Hk5j0
>>93
中国本土を攻めるには、

1.ゴビ越え
2.雲南迂回
3.山海関

の3つのルートしか絶対にありえない。
歴代の北方騎馬民は1だったし、元朝は2だった。
3と言えばもちろん清朝の入関が有名だけど、
実は日中戦争で日本軍がとったルートもこれだよね。

ティムールの場合、実は明を攻めようとしてたんじゃなくて、
本家争いで北元を攻めようとしてたんじゃないかって説もある。

いずれにせよ、中央アジアから直接中国本土を攻めることは
ほぼ不可能。一回モンゴル高原を制圧しとかんことには。

42: 歴ネタななしさん
河西回廊の東進は無理なのか?

43: 歴ネタななしさん
>>42
河西回廊の東進で問題ないとおも
寧夏の六盤山や祁連山、青海の一帯は遊牧民の騎兵の基地たり得るでしょ
チンギス、モンケ、クビライも六盤山を基地にして西夏、南宋、雲南攻略にあたったし
月氏、吐谷渾、オイラトのホシュートは祁連山、青海の一帯を根拠地にしていたしさ

46: 歴ネタななしさん
西安城の城壁が強化されたのは、モンゴルの残党の脅威もあるだろうけど、 その背後のティムールも意識していたのかな?

47: 歴ネタななしさん
>>46
朱元璋の代で、西安府が置かれて防衛体制が強化されているし、 どう見ても、北元への警戒。

当時は一応の天下統一を果たしたとは言え、 モンゴル高原に退いた元朝が、虎視眈々と中原への再進出を狙っていたわけだし。

49: 歴ネタななしさん
ティムールはどちらかと言うと朱元璋と同世代だよね。
モンゴル帝国の東西の後継者と言える。

51: 歴ネタななしさん
明の側からティムールの勢力圏へ密偵は送られていたのかな?

52: 歴ネタななしさん
両国を往来している貿易商人などを通じて情報を収集していたと思われる。
それに使者の往来もあったわけだし。

53: 歴ネタななしさん
ティムールの中国への遠征は本拠地からあまりにも離れすぎているし、 明の側だって、サマルカンドまで遠征する力はとてもない。

互いに相手にとどめを刺す決定力はない以上、 だらだらとした戦いが続きそう。

54: 歴ネタななしさん
>>53
二人とも世界史上に名高い名将だし国政の決定権も持ってるから、互いの国力を消耗する戦をだらだら続けるような馬鹿な真似はしないだろうな。
膠着状態になった所で和議を講じると見た。

56: 歴ネタななしさん
自国の英雄であるチンギスハーンを騙るイスラム人と自国を不毛の賽北の地に追いやった中国人
モンゴル族はどっちの味方するだろう

68: 歴ネタななしさん
年齢や中国側の事情からみて
ティムールの勝機は建文帝の時代、特に末期だと思われる
インドから余計な使者が来ず、モンゴル高原方面に進出していたとしたら状況次第で中国本土に侵攻したかも
ただ、明は長江以南で生き残ったとは思うが

78: 歴ネタななしさん
ティムールが延命したとして明に攻めいる前に明と対立関係にあったタタールと同盟し明に多正面作戦を強いる策が最もティムール側として望ましいと思えるが

79: 歴ネタななしさん
ティムールが、モンゴル帝国の後継者として認められるかどうかにかかっているだろうな。
内陸アジアの遊牧民を糾合できればいいけど。

82: 歴ネタななしさん
>>79
ティムールとその息子たちはチンギス・ハンの血をかなり意識していたと思える
ティムール自身、キュレゲン(ハン家の娘婿)の称号により国書など発していた 

ティムールの息子たちもハン家の血を引く女性たちと婚姻していました
長庶子ウマル・シャイフは1394年に戦死ないしは事故死しましたが、彼の妻でチャガタイ・ハン傍系ヒズル・オグランの娘マリカトをわざわざレヴィレート婚させ四男シャールフに嫁がせたほどです

また同じく次男で嫡男のジャハーンギールの妻でジョチ・ウルスの血を引くソユン・ベグを三男アミーラーンシャーにレヴィレート婚させてます

80: 歴ネタななしさん
本家モンゴルと比べるとチムール政権は中央アジアが根拠地だから
そのままでは少なくとも江南までは取れなかったと思う
元も南宋を滅ぼしたのは、東だけが分離したクビライの時代だし
当時の明は南京を首都とする経済システムが機能していたから

華北も長期占領維持できたか微妙だが
もし北で占領時代にムスリム化が進んだとしたら
北と南が別民族化して近代を迎えた可能性もあるんじゃないか

83: 歴ネタななしさん
ティムールは1397年に対明遠征のため、前哨地域となるモグーリスタンに兵站基地を作り、増産命令により作られた穀物をそこへ備蓄し、4万の先遣隊を既に駐
留させていた
 
ティムールが急拠、明ではなくインド遠征に変更したため明遠征は幻になったが、もしこの時、明に遠征されていたならば明は太祖が気が触れたような粛清により軍が弱体化していたため、明にとりかなり苦しい状況となったのは確実だと思う

90: 歴ネタななしさん
ティムールの生涯を知りたいんだけど何読めばいい?

91: 歴ネタななしさん
小説だと森下研の「草原の彗星チムール」がいいと思う。

93: 歴ネタななしさん
>>91
今も売ってますかね?
まあ古本屋でのんびり探します

97: 歴ネタななしさん
動員兵力という点で中華王朝に適う国はないだろう。
勝敗は戦う場所次第だと思う。

98: 歴ネタななしさん
明は万暦年間には、大幅な定員割れで実質兵力が五十万人以下になっていたようだけど、永楽年間には、それなりに定員を充足した二百万人ぐらいの兵力は擁していたのかな

101: 歴ネタななしさん
もしティムールは明を占領できないまでも、
野戦で永楽帝を敗走させていれば、
軍事面で世界史上最強の称号を得られただろうね

102: 歴ネタななしさん
アンカラの戦いで敗れたバヤジットにしても、
コソボの戦いを制し、ニコポリス十字軍を撃破して、ヨーロッパ勢を圧倒していた軍事天才だからね

それを一撃で粉砕したティムールは驚異的

104: 歴ネタななしさん
>>102
しかしそのアンカラの戦いでオスマン側として最も奮戦したのはセルビア人騎兵部隊という皮肉

107: 歴ネタななしさん
ティムールってモンゴル人?トルコ人?

108: 歴ネタななしさん
>>107
簡単に言えば民族的組成や文化・言語がテュルク化イスラム化したモグール人

143: 歴ネタななしさん
>>108
それって現在で言えばモンゴル系トルコ人って事?

144: 歴ネタななしさん
>>143
テュルク化したモンゴル人

109: 歴ネタななしさん
モグール人って何人?

110: 歴ネタななしさん
>>109
ペルシャ語でモンゴル人のこと

111: 歴ネタななしさん
人種的にはどうだっただろうね?
モンゴロイドとコーカソイドのどちらに近かっただろうか

112: 歴ネタななしさん
>>111
微妙なとこだ
中央アジアはテュルク、モンゴルが入ってくる以前は全くイラン系の世界
それにセム系のアラブがイスラムひっさげ入ってきて混沌としたからね
確実な話ではないが、コーカソイドの血が混じったモンゴロイドで妥協したら?

120: 歴ネタななしさん
ティムールは軍事なら人類史でも最強候補の1人と言ってもよさそうだ

121: 歴ネタななしさん
ティムールは軍事的才能よりも
ドラマチックないかにも英雄的な生き様が凄いと思ふ

ネタ元: ・永楽帝朱棣vsティムール、もし戦わば?