1: 歴ネタななしさん
朝廷から与えられる官位とか
11: 歴ネタななしさん
>>1
北条時宗は五位だったか。死んでから従一位だな。
一応将軍は別にいての執権だからだろうか
北条時宗は五位だったか。死んでから従一位だな。
一応将軍は別にいての執権だからだろうか
34: 歴ネタななしさん
>>11
北条時宗は得宗だし、若くして執権になったし元寇を退けたり実績もあるから凄く偉いようなイメージがあるけど、実は官位は最高でも正五位下 相模守でしかないんだよな
執権北条氏は皆優秀だし権力も持っていたけど、身分そのものは一様に低かったんだな
北条時宗は得宗だし、若くして執権になったし元寇を退けたり実績もあるから凄く偉いようなイメージがあるけど、実は官位は最高でも正五位下 相模守でしかないんだよな
執権北条氏は皆優秀だし権力も持っていたけど、身分そのものは一様に低かったんだな
12: 歴ネタななしさん
>>1
そんな執権北条氏も、鎌倉末期はそのまた執事の長崎氏の方が実際は権力者だったけどなぁ
そんな執権北条氏も、鎌倉末期はそのまた執事の長崎氏の方が実際は権力者だったけどなぁ
2: 歴ネタななしさん
官位なんて飾りです
偉くない人にはそれがわからんのです
偉くない人にはそれがわからんのです
3: 歴ネタななしさん
鎌倉幕府は朝廷支配を形骸化して武家の実効支配を推し進めたわけだから
朝廷内での序列には意味がなかったんだよ
朝廷内での序列には意味がなかったんだよ
15: 歴ネタななしさん
>>3
たぶんこれだよね
朝廷のお墨付きの最たるものである「将軍位」でさえ
源頼朝にとっては大したものじゃなかったらしいし
(晩年に返上して将軍位が空位になってる)
おそらく
武家の棟梁・頼朝の権威>征夷大将軍
ってことなんだろう
たぶんこれだよね
朝廷のお墨付きの最たるものである「将軍位」でさえ
源頼朝にとっては大したものじゃなかったらしいし
(晩年に返上して将軍位が空位になってる)
おそらく
武家の棟梁・頼朝の権威>征夷大将軍
ってことなんだろう
4: 歴ネタななしさん
極位極官
鎌倉幕府第3代将軍 源実朝
→正二位右大臣
鎌倉幕府第3代執権 北条泰時
→正四位下左京権大夫
室町幕府第3代将軍 足利義満
→従一位太政大臣
江戸幕府第3代将軍 徳川家光
→従一位左大臣
差は歴然だ
鎌倉幕府第3代将軍 源実朝
→正二位右大臣
鎌倉幕府第3代執権 北条泰時
→正四位下左京権大夫
室町幕府第3代将軍 足利義満
→従一位太政大臣
江戸幕府第3代将軍 徳川家光
→従一位左大臣
差は歴然だ
5: 歴ネタななしさん
平家の傍流の傍流だからじゃね?
7: 歴ネタななしさん
そもそも「執権」自体が公卿の一歩手前っていう扱いだろ
8: 歴ネタななしさん
君主ではなくあくまでも家臣としての立場を貫いたんだな
9: 歴ネタななしさん
家柄的に家来代表が精一杯
あと義満と徳川将軍は源氏長者ってのがあるからな
あと義満と徳川将軍は源氏長者ってのがあるからな
10: 歴ネタななしさん
江戸時代の大老や老中と同格
将軍と比較すると明らかに格下
将軍と比較すると明らかに格下
17: 歴ネタななしさん
北条なんてド田舎国士だろが
頼朝との出会いがなければ官位なんて無縁の家柄だ
頼朝との出会いがなければ官位なんて無縁の家柄だ
18: 歴ネタななしさん
源氏の木曽義仲って将軍になったけど従五位だったみたいだ
21: 歴ネタななしさん
家格としては元々は七位下の家だったかな
時政さんが平家の官位ついてのゴタゴタみてうんざりして
あのおっちゃん気骨があるから一生ワシは一生無位無冠でいいってごねて
打診があっても断り続けたり天皇様御謀反ってのがわりときいてる
誠意大将軍って本来は四位下格だからそれ以上は遠慮っていうか
お互いに妥協っていうか頑張った方
時政さんが平家の官位ついてのゴタゴタみてうんざりして
あのおっちゃん気骨があるから一生ワシは一生無位無冠でいいってごねて
打診があっても断り続けたり天皇様御謀反ってのがわりときいてる
誠意大将軍って本来は四位下格だからそれ以上は遠慮っていうか
お互いに妥協っていうか頑張った方
23: 歴ネタななしさん
頼朝は将軍は既にやってる事とたいしてかわらんから
敵を討ち終えたらわりとどうでもよくて
武官の頂点でそれらの任命権のある近衛大将になりたくて仕方なかった
敵を討ち終えたらわりとどうでもよくて
武官の頂点でそれらの任命権のある近衛大将になりたくて仕方なかった
25: 歴ネタななしさん
頼朝以前の征夷大将軍と頼朝以降の征夷大将軍は別物。頼朝以降はいわゆる日本国王的なニュアンス。やりかたはオクタビアヌスと似ている。
凱旋将軍エンペラー、元老院主席プリンス、尊厳者オーソリティ、護民官特権者を名門ユリウス家の跡取りが一人で占めれば、漢訳すればこの立場は皇帝。
源家の棟梁(準皇族の長)、鎌倉殿(鎌倉御家人の支配者)、全国総地頭(徴税権)、 全国総追捕使(警察権)を幕府を開ける征夷大将軍の名のもとに一人が占めれば、 それは東日本王、あるいは大君。
源家の棟梁(準皇族の長)、鎌倉殿(鎌倉御家人の支配者)、全国総地頭(徴税権)、 全国総追捕使(警察権)を幕府を開ける征夷大将軍の名のもとに一人が占めれば、 それは東日本王、あるいは大君。
27: 歴ネタななしさん
承久の乱ってドラマティックだな
北条政子「朝廷につくなら私を殺してから行きなさい!」
で、実際朝廷の軍が都を出た知らせにびびる御家人を尻目に、北条一門のわずか七騎の武士が迎え撃つため鎌倉を出る。
それで他の御家人たちも覚悟を決めてぞくぞくついてきて結局圧勝w
もし北条の7人が行かなかったら幕府は終わってかもしれない
北条政子「朝廷につくなら私を殺してから行きなさい!」
で、実際朝廷の軍が都を出た知らせにびびる御家人を尻目に、北条一門のわずか七騎の武士が迎え撃つため鎌倉を出る。
それで他の御家人たちも覚悟を決めてぞくぞくついてきて結局圧勝w
もし北条の7人が行かなかったら幕府は終わってかもしれない
28: 歴ネタななしさん
執権という言葉の響きがかっこいい
30: 歴ネタななしさん
平氏の傍流で家格的に源氏嫡流はおろか、足利にも劣るから、傀儡将軍を操る執権(執権にも得宗家以外の北条が就くことがあり、その場合は得宗家が遠隔操作)にしかなれなかった(天皇の親王とかが供の公家を伴い東下りした)し、そうしないと他の御家人が承知しない
まあ、得宗家も長崎氏みたいな執事が実務を取り仕切るようになって操り人形化していったみたいだが
まあ、得宗家も長崎氏みたいな執事が実務を取り仕切るようになって操り人形化していったみたいだが
32: 歴ネタななしさん
源氏を潰して乗っ取ったけど北条自体元々関東の身分の低い武家だったし
あと摂家将軍もいた
あと摂家将軍もいた
35: 歴ネタななしさん
そうかと思えば、戦国時代になると身分・家柄なんてものはまるで意味をなさなくなり、北条氏のように身分が低かった徳川家康が実力でのし上がって君主になり260年の天下を築いたんだからわからんものだよな
コメント
実力者だからといって官位持てたわけじゃないからじゃない?
そうなるのは安土桃山時代からでしょう
それまでは朝廷の官位を持つには一にも二にも家柄。
んで例外としてこういう執権北条みたいに実力者にもあげることはあるよ。みたいな
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