1: 歴ネタななしさん
10位から発表します
2: 歴ネタななしさん
10位「羅憲」
蜀の武将。後に魏晋に仕える。羅蒙の子。羅襲の父。
【演義】記述なし。
【正史】劉禅が劉璿を太子に立てると、太子舎人に就任。
政権を握った黄皓に同調しなかったため、巴東太守に左遷され、都督・閻宇の副将となる。263年、魏軍が蜀領内に侵入し、閻宇が中央に召還されると、閻宇の兵を指揮し永安を守る。蜀降伏後、呉の陸抗、歩協、留平、盛曼が攻め寄せると、半年以上籠城し、晋の胡烈が救援に来るまで永安を守り抜いた。その功で旧職のまま魏に仕える。晋代に冠軍将軍となり、呉の巫城を攻略した。
蜀の武将。後に魏晋に仕える。羅蒙の子。羅襲の父。
【演義】記述なし。
【正史】劉禅が劉璿を太子に立てると、太子舎人に就任。
政権を握った黄皓に同調しなかったため、巴東太守に左遷され、都督・閻宇の副将となる。263年、魏軍が蜀領内に侵入し、閻宇が中央に召還されると、閻宇の兵を指揮し永安を守る。蜀降伏後、呉の陸抗、歩協、留平、盛曼が攻め寄せると、半年以上籠城し、晋の胡烈が救援に来るまで永安を守り抜いた。その功で旧職のまま魏に仕える。晋代に冠軍将軍となり、呉の巫城を攻略した。
3: 歴ネタななしさん
9位「王渾」
王昶の子。王沈の従兄弟。魏、晋に仕えた。
【演義】晋の侍中。王濬が呉討伐を上表した時、あと1年様子を見て呉の疲弊を待つべきと進言。司馬炎が呉討伐を決意すると安東大将軍となり、長江を下って進軍した。
【正史】呉討伐戦で張悌、沈瑩を斬り、王濬と功績を争う。
司徒まで昇り、一族も高職に就いた。
王昶の子。王沈の従兄弟。魏、晋に仕えた。
【演義】晋の侍中。王濬が呉討伐を上表した時、あと1年様子を見て呉の疲弊を待つべきと進言。司馬炎が呉討伐を決意すると安東大将軍となり、長江を下って進軍した。
【正史】呉討伐戦で張悌、沈瑩を斬り、王濬と功績を争う。
司徒まで昇り、一族も高職に就いた。
4: 歴ネタななしさん
8位「王濬」
晋の益州刺史。
【演義】陸抗の死後、呉討伐を奏上。279年に呉討伐戦が始まると龍驤将軍[リュウジョウショウグン]に任ぜられ、唐彬と共に益州から長江を下って侵攻した。呉の岑昏が晋軍の艦隊を防ぐため水中に設けた鉄錐を、いかだを用いて破壊。石頭城で張象を下し、孫晧を降伏させた。杜預、司馬伷らと合流して呉を完全に平定すると、その功績から輔国大将軍に任ぜられた。
【正史】呉討伐戦では王渾と功績を争った。
晋の益州刺史。
【演義】陸抗の死後、呉討伐を奏上。279年に呉討伐戦が始まると龍驤将軍[リュウジョウショウグン]に任ぜられ、唐彬と共に益州から長江を下って侵攻した。呉の岑昏が晋軍の艦隊を防ぐため水中に設けた鉄錐を、いかだを用いて破壊。石頭城で張象を下し、孫晧を降伏させた。杜預、司馬伷らと合流して呉を完全に平定すると、その功績から輔国大将軍に任ぜられた。
【正史】呉討伐戦では王渾と功績を争った。
7: 歴ネタななしさん
王濬が8位なんか
5: 歴ネタななしさん
7位「陶璜」
呉の武将。交州刺史・陶基の子。弟に陶濬、陶抗。
【演義】記述なし。
【正史】269年、交州を晋から奪還すべく、薛珝、虞汜らと共に合浦に向かった。緒戦こそ軍の統制が取れずに敗北したが、自らが軍全体を統べるようになると各地で連戦連勝。271年には交趾奪還に成功し、孫晧から交州牧に任命された。のち呉が滅んで晋に帰順した後もそのまま交州の統治を任され、長く善政を施した。
呉の武将。交州刺史・陶基の子。弟に陶濬、陶抗。
【演義】記述なし。
【正史】269年、交州を晋から奪還すべく、薛珝、虞汜らと共に合浦に向かった。緒戦こそ軍の統制が取れずに敗北したが、自らが軍全体を統べるようになると各地で連戦連勝。271年には交趾奪還に成功し、孫晧から交州牧に任命された。のち呉が滅んで晋に帰順した後もそのまま交州の統治を任され、長く善政を施した。
6: 歴ネタななしさん
6位「馬隆」
魏、晋の武将。
【演義】記述なし。
【正史】司馬炎が呉を討伐せんと良将を募った際、兗州から推挙されて司馬督となった。鮮卑の禿髪樹機能[トクハツジュキノウ]が涼州で乱を起こすと、自薦して討伐に赴き、奇謀奇策を駆使して鮮卑を大破した。そのまま進んで西平太守を任されると、やはり見事な用兵で異民族を退け、その威信は隴右に響き渡った。のち厳舒の讒言で免官されることもあったが、すぐに復帰し、死ぬまで隴右に平穏をもたらし続けた。
魏、晋の武将。
【演義】記述なし。
【正史】司馬炎が呉を討伐せんと良将を募った際、兗州から推挙されて司馬督となった。鮮卑の禿髪樹機能[トクハツジュキノウ]が涼州で乱を起こすと、自薦して討伐に赴き、奇謀奇策を駆使して鮮卑を大破した。そのまま進んで西平太守を任されると、やはり見事な用兵で異民族を退け、その威信は隴右に響き渡った。のち厳舒の讒言で免官されることもあったが、すぐに復帰し、死ぬまで隴右に平穏をもたらし続けた。
12: 歴ネタななしさん
>>6
禿髪樹機能ってすごい名前やな
禿髪樹機能ってすごい名前やな
17: 歴ネタななしさん
>>6
禿髪樹機能、本当におってワラタ
禿髪樹機能、本当におってワラタ
26: 歴ネタななしさん
>>6
ハゲの敵やんけ
ハゲの敵やんけ
8: 歴ネタななしさん
5位「陳泰」
魏の重臣・陳羣の子。母は荀彧の娘。
【演義】郭淮と共に、魏に造反した夏侯覇を撃退。以後、相次ぐ姜維の北伐軍と戦う。狄道[テキドウ]の戦いで王経の窮地を救った鄧艾を高く評価し、忘年の交わり(年齢差を越えた交わり)」を結んだ。司馬昭の腹心・賈充の策謀で皇帝・曹髦が暗殺されると、魏臣の中でただ1人、司馬昭の招集を拒否。荀顗が迎えに来ると「叔父上は私以下の人間になられた」と嘆き、司馬昭に「賈充を斬らねば天下に示しがつかない」と言い切った。
【正史】軍勢を統率し功績を立てる力は父以上と評される。
魏の重臣・陳羣の子。母は荀彧の娘。
【演義】郭淮と共に、魏に造反した夏侯覇を撃退。以後、相次ぐ姜維の北伐軍と戦う。狄道[テキドウ]の戦いで王経の窮地を救った鄧艾を高く評価し、忘年の交わり(年齢差を越えた交わり)」を結んだ。司馬昭の腹心・賈充の策謀で皇帝・曹髦が暗殺されると、魏臣の中でただ1人、司馬昭の招集を拒否。荀顗が迎えに来ると「叔父上は私以下の人間になられた」と嘆き、司馬昭に「賈充を斬らねば天下に示しがつかない」と言い切った。
【正史】軍勢を統率し功績を立てる力は父以上と評される。
9: 歴ネタななしさん
4位「杜預」
晋の武将。杜畿の孫、杜恕の子。司馬懿の女婿。
【演義】羊祜の遺言で鎮南大将軍、都督荊州諸軍事に任ぜられる。279年、呉討伐軍を指揮し、江陵、武昌を連破。呉を降伏させた。その際、慎重論を唱える胡奮に「竹を割るような勢いで進軍すれば、呉は戦わずに降伏する」と諭したことが「破竹の勢い」の語源となる。「春秋左氏伝」を愛読し、「左伝癖」と自称した。
【正史】父の杜恕が司馬懿と対立したため、政界への参加は遅かった。
鍾会の蜀討伐戦に副官として参戦。
著作に「春秋左氏経伝集解」がある。
馬術、武術は不得手。
晋の武将。杜畿の孫、杜恕の子。司馬懿の女婿。
【演義】羊祜の遺言で鎮南大将軍、都督荊州諸軍事に任ぜられる。279年、呉討伐軍を指揮し、江陵、武昌を連破。呉を降伏させた。その際、慎重論を唱える胡奮に「竹を割るような勢いで進軍すれば、呉は戦わずに降伏する」と諭したことが「破竹の勢い」の語源となる。「春秋左氏伝」を愛読し、「左伝癖」と自称した。
【正史】父の杜恕が司馬懿と対立したため、政界への参加は遅かった。
鍾会の蜀討伐戦に副官として参戦。
著作に「春秋左氏経伝集解」がある。
馬術、武術は不得手。
11: 歴ネタななしさん
3位「羊祜」
晋の武将。姉は司馬師の妻。妻は夏侯覇の娘。
【演義】呉の陸抗と対抗し、襄陽に駐屯。互いの才覚を認め合い、陸抗が病気になると薬を送った。陸抗が孫晧に晋への内通を疑われ左遷されると、呉を討つ好機と上表。しかし、賈充らに反対され、出兵は見送られる。間もなく病気になり、杜預を後任に推薦して死亡。領民はその死を嘆いて碑と廟を建て、後に「堕涙の碑」と呼ばれた。
【正史】272年、晋に投降した歩闡を救うため西陵を救援したが、陸抗に阻まれた。
呉討伐のため、王濬に軍船の建造を命令。
船は杜預が呉を討伐した際に使用された。
晋の武将。姉は司馬師の妻。妻は夏侯覇の娘。
【演義】呉の陸抗と対抗し、襄陽に駐屯。互いの才覚を認め合い、陸抗が病気になると薬を送った。陸抗が孫晧に晋への内通を疑われ左遷されると、呉を討つ好機と上表。しかし、賈充らに反対され、出兵は見送られる。間もなく病気になり、杜預を後任に推薦して死亡。領民はその死を嘆いて碑と廟を建て、後に「堕涙の碑」と呼ばれた。
【正史】272年、晋に投降した歩闡を救うため西陵を救援したが、陸抗に阻まれた。
呉討伐のため、王濬に軍船の建造を命令。
船は杜預が呉を討伐した際に使用された。
13: 歴ネタななしさん
2位「陸抗」
呉の武将。陸遜の次男。孫策の外孫。
【演義】孫休の代に鎮東大将軍、荊州牧となり、荊州戦線の軍事を一任される。孫晧から襄陽攻略の命を受け、晋の羊祜と対陣。互いの才覚を認め合い、羊祜に酒を贈って敬意を表した。その後、再度襄陽攻略の命を受けるが、晋を攻めることの不利を説いたため内通の疑いを買い、軍権を奪われ降格された。
【正史】272年、西陵で謀反した歩闡を討伐した時、歩闡の救援に来た羊祜を撃退。
大司馬、荊州牧となるが、程なく病死。
演義に書かれている降格の事実はない。
呉の武将。陸遜の次男。孫策の外孫。
【演義】孫休の代に鎮東大将軍、荊州牧となり、荊州戦線の軍事を一任される。孫晧から襄陽攻略の命を受け、晋の羊祜と対陣。互いの才覚を認め合い、羊祜に酒を贈って敬意を表した。その後、再度襄陽攻略の命を受けるが、晋を攻めることの不利を説いたため内通の疑いを買い、軍権を奪われ降格された。
【正史】272年、西陵で謀反した歩闡を討伐した時、歩闡の救援に来た羊祜を撃退。
大司馬、荊州牧となるが、程なく病死。
演義に書かれている降格の事実はない。
14: 歴ネタななしさん
1位【松
15: 歴ネタななしさん
やったぜ
20: 歴ネタななしさん
1位は張悌や
21: 歴ネタななしさん
>>20
そいつ突撃して死ぬだけやん
皇帝道連れにしないのは甘えやって後の時代が証明しとるぞ
そいつ突撃して死ぬだけやん
皇帝道連れにしないのは甘えやって後の時代が証明しとるぞ
25: 歴ネタななしさん
やっぱ一位は陸抗か
27: 歴ネタななしさん
ゲームに存在してるけどそこまでの年までプレイして使わずに終わる人たち
28: 歴ネタななしさん
陳泰すき
30: 歴ネタななしさん
鄧艾=松尾昇説すこ
34: 歴ネタななしさん
>>30
じゃあ鍾会は誰や
じゃあ鍾会は誰や
35: 歴ネタななしさん
>>34
おまけ
おまけ
36: 歴ネタななしさん
陸抗とかいう牧
37: 歴ネタななしさん
生姜は?
コメント
あと姜維は入れないのはワザと?
羊祜は名将というより名為政者って感じ
文鴦・周処は個人的に好き
鍾会はちょっと入れるか微妙かもしれん
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