1: 歴ネタななしさん
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 山口県光市出身の初代首相・伊藤博文(1841~1909年)が明治政府で実権を握る契機となった明治十四年の政変をめぐり、伊藤が同じ長州出身の井上馨に宛てた書簡が、光市束荷の伊藤公資料館で初公開されている。政府内で対立していた肥前出身の参議・大隈重信の失脚に向け、策略をめぐらせていたことがうかがえる。(大野亮二)

 書簡は今年3月、兵庫県の史料収集家から同館に寄託された。1881年(明治14年)9月22日付で、「岩倉 具視ともみ 公は大隈翁の件で、時局収拾にあたることに問題ないようだ」といった趣旨のことが記されている。

 同館によると、参議だった伊藤が、明治天皇が巡幸している間に、京都で静養中の右大臣・岩倉具視を東京に呼び寄せ、大隈 罷免ひめん の同意を取り付けたうえで天皇に上奏する、という手順で秘策を練っていたことを示す史料という。

…続きはソースで。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211122-OYT1T50112/
2021年11月22日 14時14分

6: 歴ネタななしさん
ちょうど大河でやってるね

9: 歴ネタななしさん
ちょうど一昨日の大河でやってた辺りの話か

2: 歴ネタななしさん
大隈はキチガイちゃうん?

8: 歴ネタななしさん
>>2
自分に爆弾投げて片足吹き飛ばしたテロリストを
「政治に文句があるからといって、俺に爆弾を投げるとは天晴!」と暴力革命を肯定する程度には。
そりゃ卒業生が中国共産党建てるは

49: 歴ネタななしさん
>>8
元は武士だからな
武士にはそういうメンタリティがある

11: 歴ネタななしさん
権力に執着してるよな長州

12: 歴ネタななしさん
>>11
まあな
正論しかいわん政治家はうざかった
腐った長州の天下はここからはじまったが
短い天下だったな

15: 歴ネタななしさん
高田早苗や小野梓など女性を重用したことで知られる
女性活躍社会にふさわしい大熊総長を紙幣の肖像画にしよう

30: 歴ネタななしさん
>>15
大隈の隣で椅子に座ってる奴なんか誰も知らんだろう

42: 歴ネタななしさん
>>30
あれが高田ってやつなんだな
確かに今ぐぐって知ったわ

68: 歴ネタななしさん
>>15
早苗や梓と聞いてすぐ女性と変換する素直な心が羨ましい
因みに自分の知人に好美という男性がいる

196: 歴ネタななしさん
>>15
お前知ってていってるだろw

26: 歴ネタななしさん
まぁ権謀術数もできないと偉くはなれんわなー

48: 歴ネタななしさん
>>26
大隈はそうだが伊藤も脇が甘かった
その点万事慎重で晩年まで権力維持したのが山県

35: 歴ネタななしさん
日曜大河の「青天を衝け」でちょうどそのシーンが放送されてタイムリー。
長州の伊藤博文と井上馨が明治4年の政変で、佐賀の大隈重信に無理やり辞表を書かせて明治政府から追放した。

井上馨が渋沢栄一に、「あの佐賀人は不死身だ。政府に対抗するための政党をつくりその政党を支持してるのが三菱だ。大隈と岩崎弥太郎を倒さねばならない。」というセリフがあった。

伊藤博文が作った政党を金銭的に援助してるのが三井で、大隈重信の政党を支えてるのが三菱。今回の大河はわかりやすい。

40: 歴ネタななしさん
薩長土肥とは言いつつも
明治以降の薩長と土肥との待遇の差は貴族と平民くらいの差があったしなぁ
そりゃ長州閥にしてみりゃ肥前の山熊に政権を取らせるわけに行かないし

43: 歴ネタななしさん
>>40
長州は割とツマラン奴に限って維新後も生き永らえたな。

62: 歴ネタななしさん
>>43
その代表が山県有朋.山城屋にたかってずぶずぶ。伊藤博文や渋沢栄一とえらい違いですわ。
まあ国民もそこらへんは認識してたらしく葬式の列はしょぼいものだったらしいぞ。
大隈も三菱とずぶの関係だったらしいね。

69: 歴ネタななしさん
>>62
山県が死んでから陸軍の統治が崩れていった

71: 歴ネタななしさん
>>69
山県が陸軍を長州閥で固めた反動だな

76: 歴ネタななしさん
>>71
山県→田中義一の流れを組む宇垣一茂は非長州だし部下も非長州が多い
後に台頭してくる一夕会系派閥に長州閥はスケープゴートにされた疑いが強い

77: 歴ネタななしさん
>>71
まあ山県有朋みたいに宝くじあたった爺さんが君臨しちゃったから陸軍が曲がっていって
幼年学校出身者がプロテスタントになって226事件につながっていったんじゃね。
海軍さんは政治に口ださないもんね。警察閥が西郷の弟で今も影響残ってるのがおもろい。

54: 歴ネタななしさん
渋沢大隈伊藤井上仲良しだったのに。なんでこうなった!

56: 歴ネタななしさん
才覚は人並みちょい上くらいだったんだけど
政府に他は下級士族やら京大坂江戸勤めできるような家はあんまりいなくて
そういうのが集まったもんだから方言えげつなくてやら身分ごとの言葉も違い
何言ってるかお互いに細かいことはさっぱりわからん
それをあの独特の文語に手を加えたみたいなしゃべり方で
日本語というか言葉が何言ってるかわかる相手に通じたっていうチートスキル持ち

83: 歴ネタななしさん
伊藤主人公の大河にすれば、幕末~日露までガッツリ見れるんだけど原作が無いんだよな
ドラマ坂の上の雲のオリジナルだけど、加藤剛が「未だに高杉さんが・・」のシーンは泣いた

94: 歴ネタななしさん
大隈は明治の元勲たちに嫌われまくった割には晩年よくあんなに学校作ったり首相になれたりしたもんだ

122: 歴ネタななしさん
>>94
だって、伊藤や井上と仲良かったから。

145: 歴ネタななしさん
>>94
江藤新平みたいに一線を越える仲違いはしなかったからね

101: 歴ネタななしさん
薩長でもないのに
大隈がなぜ出世して政府中枢にいたのが不思議過ぎる

119: 歴ネタななしさん
>>101
大隈は頭が切れるってことで薩長に認められてたらしいからな

131: 歴ネタななしさん
結局、大隈公が一番先見の明があったということだろう。
アングロサクソン協調主義を最初から打ち出していた。

162: 歴ネタななしさん
>>131
狭軌とか対華21ヶ条要求を見るに必ずしも先見の明があるとは言い難い

149: 歴ネタななしさん
伊藤博文は暗殺されて死んじゃうけど、井上馨と大隈重信は襲われて瀕死になるも長生きしてるんだよね

170: 歴ネタななしさん
伊藤も大隈もみんなパシリ
重鎮たちがみんな幕末から明治前半までに倒れてしまったからな

ネタ元: ・【読売】大隈重信の失脚に向けた策略を井上馨に明かした、明治十四年の政変を巡る伊藤博文の書簡初公開