1: 歴ネタななしさん

https://news.yahoo.co.jp/articles/5819a28eb17961d211f9f1b537e43378499aa655
江戸時代初期に起こった農民やキリシタンによる島原・天草一揆(島原の乱、1637~38年)で、鎮圧に当たった九州の大名が抱えていた「忍者」が暗躍していたことが、近年の研究で明らかになってきた。九州では忍者の存在はあまり注目されてこなかったが、忍者によるまちおこしを目指す動きと連動して各地で史料分析が進んだ。
江戸時代初期に起こった農民やキリシタンによる島原・天草一揆(島原の乱、1637~38年)で、鎮圧に当たった九州の大名が抱えていた「忍者」が暗躍していたことが、近年の研究で明らかになってきた。九州では忍者の存在はあまり注目されてこなかったが、忍者によるまちおこしを目指す動きと連動して各地で史料分析が進んだ。
1: 歴ネタななしさん
古文書から松江藩などで忍者の存在を裏付けた三重大国際忍者研究センターの山田雄司教授(日本中世史)は、忍者でまちおこしを目指す佐賀県嬉野市や、NPO法人「福岡忍者普及協会」(福岡市)から、それぞれの地元で忍者が実在したか調査を依頼され、2017年から九州の古文書を調べている。
山田教授によると、島原の乱では幕府の老中・松平信綱が島原へ向かう途中、甲賀(滋賀県甲賀市周辺)の忍者10人を迎え入れ、一揆勢が籠城(ろうじょう)した原城(長崎県南島原市)の情勢を探ろうとしたことは従来の忍者研究で判明していた。
ところが、従軍した松平の長男輝綱が残した日記「嶋原天草日記」によると、城中の一揆勢が九州弁とみられる「西国語」を話したり、キリシタンの言葉を唱えたりして、甲賀忍者は内容が理解できなかった。山田教授は「忍び(忍者)は敵に紛れて情報を集めるが、突然起こった一揆で言葉を覚える時間がなかったのでは」とみる。
代わりに活躍したのが九州の忍者だった。山田教授は20年の調査で、福岡藩の歴史書「黒田続家譜(ぞくかふ)」に「忍の上手」な「新野十助(にいのじゅうすけ)」という人物が原城に忍び込み、証拠として兵糧や障子を持ち帰ったとの記述を発見。新野は鉄砲が得意で、食料が尽きた一揆勢が原城の外に出て海辺の磯菜を摘んでいるところを遠くから狙い撃ちにし、食料調達を阻んだとの記載もあった。
また、佐賀藩に関する史料の中には「吉田千左衛門」が原城に忍び込む際、後ろから撃たれないように、味方に弓矢を放たないよう頼んだことを示す記述もある。やぶの中に隠れた吉田が、城から出てきた一揆勢の1人を生け捕りにして城内の様子を聞き出すことに成功し、白銀を賜ったとも書かれているという。
忍者と島原の乱の関係に着目した研究は他にもある。研究者らでつくる国際忍者学会の会誌「忍者研究」(20年8月発行)には、熊本藩に存在した「御忍之衆」と呼ばれる組織の関連史料を分析した論文が掲載された。論文によると、御忍之衆には「服部」「美濃部」など伊賀や甲賀の地名を名字に持つ者が多く、石垣を登る際などに使われる「くない」と呼ばれる忍者独特の道具を鍛冶屋に発注した記録も残っていた。島原の乱では、御忍之衆に名を連ねる「吉田十右衛門」が、一揆勢の首領だった天草四郎時貞の屋敷に火矢を放ったとの報告書などもあり、忍者が原城攻略に重要な役割を果たしたことを示す。
もっとも、九州の忍者研究は始まったばかりで、忍者がどこに住んでいたのか、どのような訓練を積んでいたかなど解明されていない謎は多い。鹿児島市にある猫神(ねこがみ)神社には、薩摩の島津氏が朝鮮出兵(1592~98年)の際に猫を連れて行き、瞳孔の開き具合で時間を計っていたとの言い伝えが残る。山田教授によると、この手法は江戸時代前期の忍術書「万川集海(まんせんしゅうかい)」にも掲載されており、九州の忍者が朝鮮出兵の際に同行した可能性もある。「九州にはキリシタンが多く、出島もあった。忍者がスパイのように活発に活動して外国人らの動向に目を光らせていたことも考えられる。精力的に調査したい」と話した。
※続きはソースで
山田教授によると、島原の乱では幕府の老中・松平信綱が島原へ向かう途中、甲賀(滋賀県甲賀市周辺)の忍者10人を迎え入れ、一揆勢が籠城(ろうじょう)した原城(長崎県南島原市)の情勢を探ろうとしたことは従来の忍者研究で判明していた。
ところが、従軍した松平の長男輝綱が残した日記「嶋原天草日記」によると、城中の一揆勢が九州弁とみられる「西国語」を話したり、キリシタンの言葉を唱えたりして、甲賀忍者は内容が理解できなかった。山田教授は「忍び(忍者)は敵に紛れて情報を集めるが、突然起こった一揆で言葉を覚える時間がなかったのでは」とみる。
代わりに活躍したのが九州の忍者だった。山田教授は20年の調査で、福岡藩の歴史書「黒田続家譜(ぞくかふ)」に「忍の上手」な「新野十助(にいのじゅうすけ)」という人物が原城に忍び込み、証拠として兵糧や障子を持ち帰ったとの記述を発見。新野は鉄砲が得意で、食料が尽きた一揆勢が原城の外に出て海辺の磯菜を摘んでいるところを遠くから狙い撃ちにし、食料調達を阻んだとの記載もあった。
また、佐賀藩に関する史料の中には「吉田千左衛門」が原城に忍び込む際、後ろから撃たれないように、味方に弓矢を放たないよう頼んだことを示す記述もある。やぶの中に隠れた吉田が、城から出てきた一揆勢の1人を生け捕りにして城内の様子を聞き出すことに成功し、白銀を賜ったとも書かれているという。
忍者と島原の乱の関係に着目した研究は他にもある。研究者らでつくる国際忍者学会の会誌「忍者研究」(20年8月発行)には、熊本藩に存在した「御忍之衆」と呼ばれる組織の関連史料を分析した論文が掲載された。論文によると、御忍之衆には「服部」「美濃部」など伊賀や甲賀の地名を名字に持つ者が多く、石垣を登る際などに使われる「くない」と呼ばれる忍者独特の道具を鍛冶屋に発注した記録も残っていた。島原の乱では、御忍之衆に名を連ねる「吉田十右衛門」が、一揆勢の首領だった天草四郎時貞の屋敷に火矢を放ったとの報告書などもあり、忍者が原城攻略に重要な役割を果たしたことを示す。
もっとも、九州の忍者研究は始まったばかりで、忍者がどこに住んでいたのか、どのような訓練を積んでいたかなど解明されていない謎は多い。鹿児島市にある猫神(ねこがみ)神社には、薩摩の島津氏が朝鮮出兵(1592~98年)の際に猫を連れて行き、瞳孔の開き具合で時間を計っていたとの言い伝えが残る。山田教授によると、この手法は江戸時代前期の忍術書「万川集海(まんせんしゅうかい)」にも掲載されており、九州の忍者が朝鮮出兵の際に同行した可能性もある。「九州にはキリシタンが多く、出島もあった。忍者がスパイのように活発に活動して外国人らの動向に目を光らせていたことも考えられる。精力的に調査したい」と話した。
※続きはソースで
5: 歴ネタななしさん
島原の乱って本当に謎だよな
初動の対応がおかし過ぎる
たかが地方の一揆レベルの鎮圧に関東から徳川旗本集団が出てるんだぜ
それで失敗してるし
一揆ってレベルじゃなかったろ これ
初動の対応がおかし過ぎる
たかが地方の一揆レベルの鎮圧に関東から徳川旗本集団が出てるんだぜ
それで失敗してるし
一揆ってレベルじゃなかったろ これ
14: 歴ネタななしさん
>>5
キリシタンの乱だったからバックにイエスズ会やフランシスコ会がついてると勘ぐったんじゃねえの
実際暗躍してただろうし
キリシタンの乱だったからバックにイエスズ会やフランシスコ会がついてると勘ぐったんじゃねえの
実際暗躍してただろうし
30: 歴ネタななしさん
>>14
そんなレベルじゃないよ
イエズス会がついてるくらいじゃあーはならない
徳川本体だけでは拉致があかないので九州の猛者である鍋島、黒田、細川、島津、立花、大友のオールスターズで一揆鎮圧に動いても3ヶ月かかってるんだよ
いくら何でも一揆側が強すぎ
戦いなれしてるでしょ
戦の経験者が多数いたんだわ
大坂の陣で行方不明になった明石全登の残党でも加わっていたんじゃないかと
そんなレベルじゃないよ
イエズス会がついてるくらいじゃあーはならない
徳川本体だけでは拉致があかないので九州の猛者である鍋島、黒田、細川、島津、立花、大友のオールスターズで一揆鎮圧に動いても3ヶ月かかってるんだよ
いくら何でも一揆側が強すぎ
戦いなれしてるでしょ
戦の経験者が多数いたんだわ
大坂の陣で行方不明になった明石全登の残党でも加わっていたんじゃないかと
77: 歴ネタななしさん
>>30
信長は一向一揆勢にかなり手を焼いていたが
宗教信徒の抵抗勢力は恩賞目的より貢献と聖戦の殉死こそ来世への救済と洗脳されるからな。
それが生きる屍を美徳とした武士道とは双璧でもあり
宗教が恐ろしいのは身分に拘らず一般人老若男女問わず信者としてエージェントを増殖させてしまうことなんだよ。
信長は一向一揆勢にかなり手を焼いていたが
宗教信徒の抵抗勢力は恩賞目的より貢献と聖戦の殉死こそ来世への救済と洗脳されるからな。
それが生きる屍を美徳とした武士道とは双璧でもあり
宗教が恐ろしいのは身分に拘らず一般人老若男女問わず信者としてエージェントを増殖させてしまうことなんだよ。
217: 歴ネタななしさん
>>30
島原の乱は普通に有馬、小西の残党軍だから元武士ばかりだよ
そもそも天草四郎自身が小西行長の家臣・益田好次の息子だし
島原の乱は普通に有馬、小西の残党軍だから元武士ばかりだよ
そもそも天草四郎自身が小西行長の家臣・益田好次の息子だし
231: 歴ネタななしさん
>>217
問題はそんな12歳のガキに過ぎないの天草四郎時貞の掛け声で4万人もの軍勢が集まったのかだよ
問題はそんな12歳のガキに過ぎないの天草四郎時貞の掛け声で4万人もの軍勢が集まったのかだよ
271: 歴ネタななしさん
>>231
実際に指揮してたのは親父の益田好次本人でしょ、そりゃ。息子は傀儡
実際に指揮してたのは親父の益田好次本人でしょ、そりゃ。息子は傀儡
291: 歴ネタななしさん
>>271
なるほど、そういう事か。
ありがとう
なるほど、そういう事か。
ありがとう
12: 歴ネタななしさん
忍者による町おこしって何よ?w
90: 歴ネタななしさん
>>12
島原はとても良い所らしいでござるぞ…とSNSとかで噂を流す。
島原はとても良い所らしいでござるぞ…とSNSとかで噂を流す。
19: 歴ネタななしさん
まあ黒田藩なら子飼いの忍者くらい居たやろな
22: 歴ネタななしさん
黒装束や手裏剣など忍者の魅力につながるものは使わずに現代の諜報員レベルの活動?
172: 歴ネタななしさん
>>22
銃使ってるなww
手裏剣なんかより合理的
銃使ってるなww
手裏剣なんかより合理的
24: 歴ネタななしさん
幕府は70歳超えてる立花宗茂と水野勝成にまで参陣を要請してるしなあ
大坂の陣から20年以上も経てば戦経験者は減る一方だし島原の乱じゃそれがもろに露呈したな
大坂の陣から20年以上も経てば戦経験者は減る一方だし島原の乱じゃそれがもろに露呈したな
29: 歴ネタななしさん
そんな古文書なんか随分前に見つかってただろうになぜ今ごろになって発表?
町おこしに託けた作り話か?
町おこしに託けた作り話か?
54: 歴ネタななしさん
>>29
日本には調査不十分な古文書が大量にある。
明治政府が書体を変えちゃったから。
日本には調査不十分な古文書が大量にある。
明治政府が書体を変えちゃったから。
58: 歴ネタななしさん
>>54
明治政府が書体を変えて読めなくなるほど痴呆化したのか?
明治政府が書体を変えて読めなくなるほど痴呆化したのか?
62: 歴ネタななしさん
>>58
蔵の中から日記が出てきても現代の一般人には読めない。
資料はどんどん見つかっているが、
学者は面白そうなものしか調査していない。
蔵の中から日記が出てきても現代の一般人には読めない。
資料はどんどん見つかっているが、
学者は面白そうなものしか調査していない。
67: 歴ネタななしさん
>>62
専門家が少ないのは問題だよな
知られてないだけで貴重な資料がまだ沢山埋もれているんだろう
専門家が少ないのは問題だよな
知られてないだけで貴重な資料がまだ沢山埋もれているんだろう
71: 歴ネタななしさん
>>58
存在は知られてるが未調査の古文書なんて山ほどあるぞ
古文書の数に対して古文書読める奴の数が圧倒的に足りてないのが現状
武田や真田氏研究で有名な丸島和洋氏は高野山の古文書調査もやっているが、
古文書の数が膨大すぎていつ終わるか検討もつかないと言ってた
存在は知られてるが未調査の古文書なんて山ほどあるぞ
古文書の数に対して古文書読める奴の数が圧倒的に足りてないのが現状
武田や真田氏研究で有名な丸島和洋氏は高野山の古文書調査もやっているが、
古文書の数が膨大すぎていつ終わるか検討もつかないと言ってた
37: 歴ネタななしさん
忍者きたないスレか
41: 歴ネタななしさん
天草四郎に忍者まで加えたら
もうサムスピの絵面にしかならんから止めてくれ
もうサムスピの絵面にしかならんから止めてくれ
45: 歴ネタななしさん
南九州で麓って地名のある所は、普段は農業やってるけど戦や一揆になりそうな時に戦える術を持った人達が住んでたそうだから、忍者みたいな人達だったんだろうね。
57: 歴ネタななしさん
>>45
全国どこにでもそういう場所はある
百姓が武器持ってたのも普通
地域を取り仕切る名主の蔵などに大量に隠し持ってた
もちろんわからないように偽装して
全国どこにでもそういう場所はある
百姓が武器持ってたのも普通
地域を取り仕切る名主の蔵などに大量に隠し持ってた
もちろんわからないように偽装して
60: 歴ネタななしさん
九州の忍者だと関ヶ原合戦直後の島津義弘の書状に、薩摩お抱えの忍者衆「山くぐり」
を遣わして加藤清正の様子を調べさせるよう息子・忠恒に言ってるものがあるな
を遣わして加藤清正の様子を調べさせるよう息子・忠恒に言ってるものがあるな
78: 歴ネタななしさん
忍者ってスパイみたいな未知なる存在ってよりほぼ警備員レベルの存在だったのに、たまに本格的なのがいるよな
83: 歴ネタななしさん
カトリック国の後押しがあったんじゃ無いのか
キリシタン大名から貰った領地取られてるからな
日本の武力が圧倒的じゃ無かったら植民地にされてる
キリシタン大名から貰った領地取られてるからな
日本の武力が圧倒的じゃ無かったら植民地にされてる
93: 歴ネタななしさん
>>83
三十年戦争真っただ中でオランダに独立されるわ
リシュリューのフランスと殴り合いしてて極東にかまってる余裕ないだろスペイン
三十年戦争真っただ中でオランダに独立されるわ
リシュリューのフランスと殴り合いしてて極東にかまってる余裕ないだろスペイン
105: 歴ネタななしさん
>>93
宣教師が派兵要請はしてるし軍艦はどっかから用意してたんじゃ無かったかな
スゲー好戦的なヤツもいたからな
宣教師が派兵要請はしてるし軍艦はどっかから用意してたんじゃ無かったかな
スゲー好戦的なヤツもいたからな
91: 歴ネタななしさん
原城跡に行くとめちゃくちゃ狭くて驚く
ここに37000人詰め込んで全員死んだのかと
今の島原市の人口が45000人ぐらいなのに
ここに37000人詰め込んで全員死んだのかと
今の島原市の人口が45000人ぐらいなのに
104: 歴ネタななしさん
このスレにも確実に数名は忍者がいるんだよな
179: 歴ネタななしさん
>>104
バレたでござる(@_@。
バレたでござる(@_@。
117: 歴ネタななしさん
にんともかんとも
170: 歴ネタななしさん
やってること、現代のSASとかの特殊部隊の作戦活動と全く同じだな
213: 歴ネタななしさん
忍んでなくても忍なんだな
248: 歴ネタななしさん
これは20年以上前に読んだ歴史雑学本でもあったな
忍者が島原に潜入してみたものの天草陣営は島原の方言とキリシタン用語が入り混じった言葉で会話されていたから
忍者による情報収集は大して役に立たなかったと
忍者が島原に潜入してみたものの天草陣営は島原の方言とキリシタン用語が入り混じった言葉で会話されていたから
忍者による情報収集は大して役に立たなかったと
コメント
一昨年前に甲賀郡の山中で仮眠して起きたら丁度前からモンペ姿の婆さんが歩いて来たんだ
通りすぎてから発進しようと横を通りすぎるのを確認
でもサイドミラーに映らない
もしや転んだのか?と思って車外に出て付近を見渡せど姿無し
暫く探してから気づいたんだ、ここは甲賀だと
あの婆さん絶対忍者だよ
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