2017y02m20d_081203000
1: 歴ネタななしさん
独断専行・殿の言う事を聞かない・自治権がやたら強い・キャラクターがやたら濃い
そんな厄介な部下が多い大名家をランキングしてみるスレです。

2: 歴ネタななしさん
案外立花さんちとかじゃまイカ

3: 歴ネタななしさん
最上
でも本人達は家臣と言うかサラリーマンだとは思ってないんでしょ

4: 歴ネタななしさん
徳川でこのスレ終了なんじゃね?

5: 歴ネタななしさん
上杉さんちは扱いにくい人達ばかり

6: 歴ネタななしさん
武田さんもなかなか

7: 歴ネタななしさん
細川さん三好さんなんて誰が当主だかわかんねーんだぞ

14: 歴ネタななしさん
>>7 三好家だよな

長慶以降当主の言うこと素直に聞く家老が皆無だし

特に遠い親戚がみな仲悪いってのがウケる

8: 歴ネタななしさん
斎藤道三。

10: 歴ネタななしさん
>>8
それは自業自得だろ。

13: 歴ネタななしさん
>>8
道三は悪政はしてないよ。むしろ楽市楽座といった善政を敷いてる。

11: 歴ネタななしさん
龍造寺
5人揃って龍造寺四天王
全てにおいて主君に勝っているナンバー2

12: 歴ネタななしさん
那須家

一揆の盟主に過ぎない状況を打破しようと集権化を試みると大田原党に消される。

15: 歴ネタななしさん
量じゃなく質的に言えば黒田長政さんが・・・・・・

16: 歴ネタななしさん
宇喜田もダルそう

17: 歴ネタななしさん
朝倉なんかも末期は一族が席次争いするわ配下は出陣命令聞かないわだったな

18: 歴ネタななしさん
しかし、それは当主の器量であって、面倒な家臣ではないような・・・。

19: 歴ネタななしさん
いや、元々、戦国時代勢力ってのは
江戸時代みたいな主君と家臣の上下関係がキッチリしているわけではなく「豪族連合」だったわけでしょ。
主君と家臣の関係は限りなく対等に近かったわけだし、
「面倒くさい」ってのが当たり前って言えば当たり前だろう。

20: 歴ネタななしさん
面倒臭いにも色々種類があるよね
毛利家みたいに最後まで豪族の連合体から抜け出せなかったところもあれば
鎌倉武士並に一所懸命な島津家とか、深夜に当主が叩き起されて酒盛りさせられる黒田家w

22: 歴ネタななしさん
スーパー面倒臭かったのか足利家だと断言出来る。
そもそも家臣なのかどうか知らんがあちこちに「自立した」守護大名勢ぞろい,末期に至っては京都で喧嘩をする(もともとしているが)

さらに最悪なのは親戚(鎌倉公方)でさえ反乱する始末。

当主も飽き飽きしたので末期に至っては京で何人餓死しようが茶会を開くなかなかの乙っぷり。「奉公衆」なんて作ってみたものの結局奉公どころか逆に地元の有力大名下に「奉公」してしまうようになったw.唯一の中心が大崎義宣とかの1540年になっても未だに家督を継ぐのに将軍の許可を得ようとする落ちぶれ田舎旧名門。でも全然力無いww

24: 歴ネタななしさん
面倒くささにどう対処したかで大名の個性が明確になるよな

26: 歴ネタななしさん
じゃあ信長の独裁は当時では珍しいという事なんだ。
ルイス・フロイスの記述を読むとかなりの独裁だよね。
なんで信長はそれが可能だったんだ。

29: 歴ネタななしさん
第三位ぐらいまでの家臣が心底臣従してれば独裁に見えるんでね?

織田なら柴田佐久間タッキー丹羽あたりかな

31: 歴ネタななしさん
>>29
独裁をやれる体制が整ってるかどうかが重要。
今川氏真がある程度の独裁を行えたのも
親父の義元が分国法を制定しそれを強要出来るだけの力があったから。

51: 歴ネタななしさん
武田が良い例。勝頼もけして凡将ではない、高天神城攻略したもん。

52: 歴ネタななしさん
浦上家はきつい

53: 歴ネタななしさん
南部家
三戸城、根城、大光寺城、七戸城、大浦城
城主一人ひとりが独立大名気取り。
さらにその城主の家臣たちがまた。

55: 歴ネタななしさん
>>53
さすが新羅三郎の(多分)子孫だな

56: 歴ネタななしさん
大友家は一々キャラが濃すぎる。
説教することに命をかけてる立花道雪とか、
絶対に言うこと聞かない志賀親次とか、
30年周期で反乱する佐伯家とか

59: 歴ネタななしさん
大友家臣は宗麟にツンデレやってるからね。
みんな謀反しても謝罪すれば許されるの知ってるから
最近あんまり構ってもらえないから浮気しちゃうゾって感じ。
許されるとヤッパリ親方様はそれがしのことを…

60: 歴ネタななしさん
とかやってるからサルに泣きつくんだよ大友家w

63: 歴ネタななしさん
南部家は津軽のヒゲとか九戸とかいて面倒そうだな
北信愛みたいな優秀な忠臣もいたが

66: 歴ネタななしさん
大内でしょ。
小早川隆景、陶隆房、毛利隆元、陶義清、相良武任、冷泉隆豊、清ノ四郎、安富源内、、

全員寵愛しないとムホッー

89: 歴ネタななしさん
>>66
大内はむしろ義隆自害後が
杉興連「殉死するわ」
杉重矩「陶死ね」
吉見正頼「陶死ね、益田も死ね」
杉重輔「陶死ねっつーか殺す絶対殺す」
内藤隆世「義長様はああ言ってるけど重輔討伐してくるわ」
内藤隆春「姉婿んとこ行くわ、じゃあの」
義長ちゃん乙

72: 歴ネタななしさん
越後の方々が正に面倒だったのでは?

長尾能景、長尾為景にはじまり
黒田、大熊、北条、長尾政景、本庄、新発田… 挙げたらキリがないね

74: 歴ネタななしさん
>>72
謙信が出家するくらいだから
相当面倒だったのだろう

81: 歴ネタななしさん
>>74
渡る越後は虎ばかりみたいな…フリーダムな連中ばっかだからねえ。

謙信ブチギレ出家騒動は当然荒くれ家臣たちが原因だが
数少ない越後の温厚忠実タイプである直江や勝機さんらからしてみたら国政ほっぽりだして逃げた謙信もめんどくさい主人であったろうて

77: 歴ネタななしさん
私が思うに信長があれほど簡単に畿内での支配が可能になったのは
1561年に 十河一存 斉藤義龍
1562年 三好義賢
1563年 細川晴元 細川氏綱 三好義興
1564年 安宅冬康 三好長慶
と相次いで主要人物が馬鹿みたいな勢いで死んでいき有力者が誰もいなくなっちゃう。
これで畿内は力の空白が生まれたんだな。
特に父祖に劣らず器量に勝りて一度は天下の乱をも相鎮めた人なりと
賞賛された長慶嫡男三好義興が22歳で死去したので長慶がボケ老人になったのが痛かったな。
この畠山高政と六角義賢の挟撃策に三好義興が芥川城で指揮して勝利したことで事実上、
畠山氏と六角氏が決定的に衰退することになり果て将軍を巡るシーソーゲームに終止符が打たれた。
そして三好は分裂崩壊し、大仏を燃やした天皇は激怒し疲弊しきった勢力群の外側にいる信長に上洛を促すことになる。
しかし北条は謙信や信玄らがなかなか死ななかった。これでは関東制覇も難しいだろう。
そういう意味では大内義隆や尼子晴久が死んだ元就もおいしい。
永禄3年に六角軍は北郡征伐に失敗し浅井長政に敗北。これをもって長政は家督を継ぎ六角からの再自立を達成(肥田・野良田の戦い)
六角は斉藤氏と共同しての浅井攻め戦略に移行。
翌年2月には逆に長政が美濃へ進攻する攻勢を示したが
3月に入るや背後から六角軍が進攻し佐和山城を落とされた(斉藤家の竹中重高への六角氏の感状あり)
しかし長政は反転し六角の退路を封鎖する動きを示すことで退却を誘い佐和山城の奪回に成功する。
またこの長期に渡る六角と斉藤との攻防の中で義龍が病死し美濃からの脅威は減少したこともあり、
畠山高政と六角義賢による三好長慶との京を巡る戦いが始まるや、長政は太尾城(米原市)を攻めるなど六角の背後を混乱させた。
このように浅井による北郡造反は畠山への援軍派兵の遅れを誘発し六角弱体化をさらに助長した。
そしてこの攻防は三好の勝利に終わり畠山の没落が確定し、
単体では三好にかなわない六角は三好と和睦を結び京を巡る戦いに終止符を打つ決断をすることになる。
三好政権に服従する義賢が騒動で家臣暗殺をして家中は一時的に統制されたかに見えたが、
義輝が暗殺されるや畠山や奉公衆や反義賢の六角家臣による義昭の近江脱出が図られ、
永禄9年4月になると義昭を左馬頭に任官させ、
一方、三好が働きかけている左馬頭義栄の将軍任命拒否を出させるなど朝廷工作を成功させた上で、
反義賢家臣や畠山や若狭武田や信長や徳川や北畠を率いて義昭が8月に上洛戦開始することになる。
しかし土壇場で信長が義昭が和睦斡旋した斎藤を奇襲する背反をした挙句に大敗し、
この上洛戦自体が崩壊し、三好の後援を受けている義賢の威勢が増し義昭は近江にいられなくなり朝倉を頼り逃げた。
そして信長の裏切りから脈なしと見た朝廷が三好が押す義栄を将軍にしてしまった。
このように義昭問題によりさらに混迷したものの、反義賢重臣たちは奉公衆と協力し、
織田と浅井の婚姻を成立させるなど上洛戦を成功させる手を打ち、
中央政界でも朝廷工作をして反三好+義賢+近衛の勢力と結託し、
ついに永禄10年に当主権限を制限する六角氏式目に同意せざるを得なくなるまで義賢らを追い詰められた。
これが可能になったのは再度、義昭上洛戦をする為であり、斎藤と義賢を凋落させることに成功。
これにより義昭は再度、近江に戻ってくる。
今回は奉公衆の他に大和衆や松永久秀も三好軍を引き付ける為に義昭上洛戦を前に挙兵させるなど辣腕を振るう。
しかしこの近江の反義賢勢力や浅井らを統合指揮して
高いレベルの朝廷工作もやってのけるだけの高い家格の持主が誰なのかわかんないんだよね。
京極は浅井の操り人形に過ぎず六角系家臣は操れないし(天文18年が京極氏奉公人奉書現存最古の発給)
信長公記から消された人物がいるのは間違いない。そもそも浅井氏が挙兵しての天文日記に書かれる
北郡錯乱・国錯乱は天文21年の六角定頼死去翌年であり、この時に浅井久政は六角軍に敗北し六角に従属したわけだが
このような大規模な近江国人を二分する近江国錯乱の理由として考えられるのは
六角義賢を六角氏相続には大きな大問題がはらんでいたのだろう。
六角義賢親子と朝廷との強いパイプを持つ近江の舊主(旧主)との対立・・・この六角分裂が義昭上洛と絡んでいくのである。

80: 歴ネタななしさん
>>77
六角家臣のめんどくささは異常だなぁ。

78: 歴ネタななしさん
奸臣揃いの能登畠山家

82: 歴ネタななしさん
宇都宮家も厄介な家臣が多いな
壬生綱房、芳賀高経、芳賀高孝、芳賀景高、芳賀高勝、塩谷義孝
芳賀興綱、益子勝宗、今泉高光

83: 歴ネタななしさん
下野は宇都宮家、那須家の二大勢力がどっちも家臣団ヤバイな
めんどくさいを通り越してヤバイ

84: 歴ネタななしさん
とりあえず手詰まりになったら暗殺を連発する連中だからなw
下野は修羅の国やでw

85: 歴ネタななしさん
>>82-84
宇都宮成綱が家臣団にヒャッハーしたのも無理はないよね
しかもあれだけ粛清したのに残党らによって家が衰退するんだからもうね…

86: 歴ネタななしさん
面倒くさいと言うと話は面白いが
実際は家臣の統率を取れてないだけだよなw

87: 歴ネタななしさん
名前が挙がってる大名ほど国人領主への支配体制が脆弱ってことか…

88: 歴ネタななしさん
>>87
守護や守護代の家が多くあがるのはしょうがないね

91: 歴ネタななしさん
>>88
>守護や守護代の家が多くあがるのはしょうがないね

さらに古くから続いてる家は庶家一門の門閥が多すぎるってものあるな
九州の相良家とか

99: 歴ネタななしさん
後藤又兵衛のいる黒田

101: 歴ネタななしさん
後藤又兵衛w
あれは厄介者だな
主君が川に落ちても、それで死ぬようならわが殿じゃないわい
とか言って傍観だからな

105: 歴ネタななしさん
徳川もめんどくさそう、江戸以降忠臣面してるけど実際は2代続けて主君を暗殺した不忠もの
家康がかなり気を配ってたから謀反とかは起こしてないけど
信康と対立して自害に追い込んでること見ると、秀康が家督ついでいたらかなり対立したんじゃなかろうか
武勇に関してもプライドが高く扱いにくいのは間違いない

108: 歴ネタななしさん
>>105
実際越前ではお家騒動が起こってるしな
秀康は秀忠に比べたら部下を纏める力は下だったと思う

107: 歴ネタななしさん
A…徳川譜代家臣。大名に任じられたが…
H…徳川譜代家臣。初期の幕府で権勢を振るうが、政敵も多い

H「A殿、貴殿の部下が徳川家天領の住民を殺害した。
  取り調べる必要があるから、殺害事件を起こした部下を引き渡してください」
A「ヤダ。部下は我が領内に侵入して資材を盗む常習犯を成敗しただけだ。
  忠実に任務は果たしただけで、引き渡す謂われは無い」
H「いやだから、公正な裁きを受けられるよう、事情聴取をしようというのです。
  罰せられると決まったわけではありませんよ」
A「ヤダヤダ。忠臣を護らずに、何が大名だ。大名なんて辞めてやる!」

A、出奔する

109: 歴ネタななしさん
越前騒動なら秀康じゃなくて、息子の忠直が遠因だ
秀康は今村盛次を危険視して中枢から遠ざけておいたのに、
忠直の代になると今村を重用し、本多富正と対抗できる勢力にしてしまった

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