1: 歴ネタななしさん
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島流しされたあとの生活を想像したことは、ありますか?

地獄のような生活を送ったのではないかと考える人も多いかもしれませんが、時代によっては極楽のような日々を送っていたのです。今回は意外と知られていない、「島流しをされたあとの生活」についてみていきましょう。
島流しとは

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月岡芳年 画

罪人を流すことは一般的に流罪(るざい)と呼ばれ、追放先が島の場合には「島流し」といわれました。

罪人を辺鄙な地や離島に追放する刑罰のことで、死罪の次に重たい刑と言われていたようです。

追放先では孤独に生涯を終える受刑者が多くいる一方、源頼朝や後醍醐天皇、ナポレオン・ボナパルトのように島流しから再起した人物もいます。

島流しになる罪
島流しには犯した罪の軽い順に「近流」「中流」「遠流」と種類がありました。

殺人や放火、子供の強姦といった重たい罪の場合は「遠流」となり、「都から1500里の場所へ島流しされた」と言います。ただし、1500里は日本の全長よりも長い距離であり、真実は不明です。近流の場合は、島流しされてから数年で免罪されることもあったのだとか。

島流し後にメリットもあった奈良時代
奈良時代では、島流しの対象に庶民も含まれていました。島流しされた罪人は1年間労役に服し、働きぶりが良ければ免罪になることも。

また、刑期を終えて本土へ戻ってきた者には生活できるだけの田畑が与えられました。当時の島流しには、 本土の技術や言語、思想など文化の伝播にも効果があったのと考えられています。

極楽すぎた平安時代の島流し後の生活
平安時代後期になると、島流しの対象は庶民から権力者へと変化しました。

これには「島流しを取り仕切っていた中央政権が、権力を強める輩のリーダーなどを死罪にするとことで組織全体を弱体化させるという意図があった」という説があります。

反乱を企てたり、政争に敗れたりした権力者たちは次々に島流しされましたが、官位にあわせた給与が国から与えられたそうです。しかも権力を持った人物の場合は島民からも歓迎されたため、酒池肉林のやりたい放題だったとか。羨ましですね。

室町~戦国時代の島流し
室町~戦国時代では流罪そのものが消滅します。
中央政権が機能しなくなったことで、地方への威令が届かなくなったためです。

地獄だった江戸時代の島流し後の生活
政権が江戸幕府へと集中したことで、島流しも再開。

江戸時代の島流しが本格化したのは、8代将軍・徳川吉宗が公事方御定書で法制化したことからです。また、当時は島流しではなく「遠島」と呼ばれ、場合によっては死罪よりも重い罪となります。

島流しとなった者は縄で縛られ、流人船と呼ばれる船に乗せられます。

船内には受刑者がぎゅうぎゅうに詰められ、疫病が蔓延することでクラスターを引き起こすことも多く、生きて島までたどり着けるのは半分ほどでした。そのため、流人船は「地獄の船」と称されることも。

たとえ生きて辿り着いたとしても迎えの船も来ず、脱出不可能なサバイバル生活を送る道しか残されていません。

そのため島流しされた者の多くが、飢餓で死んでいったのです。

時代によって雲泥の差がある「島流し」、皆様もどうせなら、平安時代の権力者になって流されてみたいと思いませんか?

https://mag.japaaan.com/archives/179573

4: 歴ネタななしさん
江戸時代の島流しは地獄っていうけど、西郷隆盛は島流しで酒池肉林の生活を送ったんじゃなかったっけ?

6: 歴ネタななしさん
>>4
西郷隆盛の場合は殿様から嫌われ
奄美大島で牢屋のような小屋に入れられ
強い日差しと暑さ寒さの自然の苦痛

10: 歴ネタななしさん
>>6
奄美大島は最初の島流し、環境悪い牢に閉じ込められたのは二度目の(徳之島の後の)沖永良部

8: 歴ネタななしさん
そうなんだ。何年か前の大河ではヒロインと楽しく過ごしてた印象しかなかったけどなぁ

7: 歴ネタななしさん
関ヶ原の戦いで負けた宇喜多秀家さんは八丈島に流され50年暮らしそこで没、
子孫は許されるまで江戸時代265年間をそこで暮らした。
内緒で米を送ってもらったとか、苦しかったとかいろいろ言われるが長生きしたね。

9: 歴ネタななしさん
西郷隆盛は最初の島流しは幕府から西郷を隠す意味もあって割とゆるくて現地妻とか作ったけど、
久光に嫌われた二度目の島流しは当初はほぼ吹きさらしの牢に入れられた結構過酷なもので、
フィラリアにかかって後にタマタマが肥大化する後遺症が起きたりしてる。

11: 歴ネタななしさん
頼朝 「蛭ヶ小島は島じゃなかったんやで」

14: 歴ネタななしさん
遠山左衛門尉
「その罪断じて許しがたし。よって市中引き回しのうえ打ち首獄門、余のものは終生遠島、引っ立てい!」

2番めに重い

16: 歴ネタななしさん
罪が重い奴は絶対帰れない遠い島に連れて行かれるんだろ

2: 歴ネタななしさん
ただの左遷みたいなもんだよ

3: 歴ネタななしさん
貴族の島流し→ 軟禁
庶民の島流し → 重労働

>>3
わかる
どんな大罪人でもそいつが偉かったらなかなか処刑されないし島流しといっても庶民よりは上の生活なのに生活が苦しいとかのたまってるイメージ

4: 歴ネタななしさん
自分を流刑にした奴の孫の代まで生き延びた宇喜多秀家定期

>>4
でもあいつ結構愚痴ってたらしいやん

>>6
そりゃ勝てる戦に裏切り者のせいで負けて改易の上島流しやからな
愚痴の1つや2つ許したれや

あと孫やなくてひ孫の代まで生きとったみたいや

>>8
生きすぎィ!

10: 歴ネタななしさん
島流しって具体的にとんなん?
無人島?

12: 歴ネタななしさん
>>10

八丈島や隠岐島みたいな絶海の孤島みたいなところに追放する刑罰やで
死刑やないから人も住んどる島が選ばれてある程度の生活の自由もある終身刑みたいなもんやな

13: 歴ネタななしさん
>>12

島みたいなもんやからええやろ、で田舎の陸に流されることもあるんだよなあ

14: 歴ネタななしさん
>>13

田舎に追放されることもあったんか
知らんだわサンガツ

15: 歴ネタななしさん
むしろご褒美なのでは? 

>>15
なお武士や貴族からすれば以前とは比べものにならん不自由で貧相な生活を余儀なくされ庶民だった場合は現地で労役なども課せられる模様

11: 歴ネタななしさん
島流し(島に流すとは言ってない)

14: 歴ネタななしさん
ホワイト子会社に出向みたいなもんか

17: 歴ネタななしさん
ブラック労働から解放されて田舎を楽しむんやぞ

19: 歴ネタななしさん
なんだかんだ健康な体があれば人間は大丈夫

20: 歴ネタななしさん
>>19

健康な体1つで耐え抜いて後に地下に潜り雌伏の時を過ごしていた父の旧臣たちと決起し天下を取った源頼朝をすこれ

21: 歴ネタななしさん
宇喜多若かったしストレスや暗殺なく適度に運動できる環境やったんやな

ネタ元: ・日本史よく調べてみると島流しにあった奴でも結構余生エンジョイした奴多いんやな

ネタ元: ・「島流し」でも酒池肉林のやりたい放題!?実際のところ島流しされた後の生活はどうだったのか?