1: 歴ネタななしさん
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中国で長く続いた戦乱
春秋戦国時代を収めた秦
三国時代を収めた晋(東晋として続くが統一王朝ではなくなった)
五胡十六国南北朝時代を収めた隋はなぜすぐ滅び

五代十国を制覇した宋は長続きしたのか

2: 歴ネタななしさん
五胡十六国時代の華北を統一した北魏も長くは続かなかった
まあ後継といえる国が天下を制したが

13: 歴ネタななしさん
>>2
北魏の約150年が長くなかったって?
人間の1世代以上だったら長いと言っていいんじゃないの?

4: 歴ネタななしさん
唐も、太宗の死後はすぐに武氏の周になった

武氏が大政奉還して唐に戻ったが、またすぐ韋氏に乗っ取られそうになった

韋氏を鎮圧した玄宗の代では安史の乱が起きた。普通なら王朝滅亡だ

5: 歴ネタななしさん
宋は甥から皇位を奪ったから、慢心する余裕がなかった。孫呉と明も同様

7: 歴ネタななしさん
東晋はそれでも十六国のうち成漢・後秦・南燕を滅ぼしている
北の覇者・前秦も直接には滅ぼしてはいないが完膚なきままに叩き潰した

8: 歴ネタななしさん
・テムジン ハーン即位 1206年
・後元がジュンガル帝国に滅ぼされる 1688年
※モンゴル国家成立から大元ウルス崩壊まで約500年
ただし、北元の途中でハーンがクビライの血統から代わっている

9: 歴ネタななしさん
唐朝は「中国史の最盛期」とよく言われるけど、それは太宗のときだけなんじゃないかなあ?

後の歴史を見ると、むしろ「歴代最弱の統一王朝」、
「統一とは名ばかりの群雄割拠時代」に見えるけど

11: 歴ネタななしさん
漢も唐も、結果だけを見れば長く続いたのが歴史の必然みたいに思えるが、別にそんなことはない

呉楚七国の乱や安史の乱は、普通に王朝が崩壊するレベル

王莽や武則天は、もしも続いてたら王朝交代のよくあるパターン

15: 歴ネタななしさん
漢だって、王莽に禅譲して一度は王朝が終わった

劉氏の光武帝が再統一して後漢を興したが、同一の王朝と言えるかは微妙だ

前漢と後漢はそれぞれ200年

16: 歴ネタななしさん
唐だって安史の乱でほぼ帝国が崩壊しており、それまでで150年

たまたま安史の乱が最終的に鎮圧されて唐朝が復興したが、かつての力を取り戻すことはなかった

17: 歴ネタななしさん
司馬炎は直前の魏ではなく
呉楚七国時代の事を教訓とすべきだったな
同じ皇族が力を持つとあぶない

19: 歴ネタななしさん
漢は呉楚七国の乱をかろうじて鎮圧した

晋は七王の乱を乗り切れず崩壊した

それだけの違い

20: 歴ネタななしさん
豊臣秀吉みたいに天下統一は上手くいったが、
2代目が甲斐性なくてすぐに滅んだ

21: 歴ネタななしさん
2代目・3代目が重要だ

22: 歴ネタななしさん
中国ではないが、インドにもそういう前例がある

インドでは、デリースルタン諸王朝と呼ばれるデリーのイスラム帝国が何百年も続いたが、権力闘争が激しく、短期の王朝がコロコロ交代していた

バーブルがロディー朝を滅ぼしてムガール帝国を建設したが、2代目のフマーユーンのときにアッサリと崩壊した

そこまでは過去数百年、何度も繰り返されたパターンだった。だが、そこからが違った

なんと、フマーユーンはペルシャに亡命し、そこで復活してインドの皇帝にカムバックしたのだ。そして、3代目のアクバル大帝のとき、ムガール帝国は最盛期を迎えた

ムガール帝国は、それ以前のコロコロ代わってた短期王朝と何が違っていたのか?

それは、「フマーユーンが奇跡のカムバックを成し遂げたこと」だ。その一言に尽きる。
それがなかったら、バーブルの王朝も「デリースルタン諸王朝のひとつ」という位置づけに終わっただろう

23: 歴ネタななしさん
フマーユーンは、亡命先のペルシャから大勢の文化人や料理人を連れてきた

当時の世界の最先進国・ペルシャの影響は極めて大きく、インドは絵画も建築もまったく変わった。
インド料理も、このときから美味しくなった

これを見ると、フマーユーンの帰還は天の意思だったのかとも思われる

でも、それはあくまで結果論

24: 歴ネタななしさん
北宋とこれに同じだ

五代の王朝がコロコロ代わった後の、北宋の長期政権

これだって、趙匡胤の一代か二代で終わってたら、「五代」ではなく「六代」になったところだ

もっとも、中国では五とか七が好まれるので、なにかをくっつけて七代にしたかしれないが

結果がすべてとは言うものの、たまたまそうなっただけという面があるのは否定できない

25: 歴ネタななしさん
もしくっつけるとすれば、「遼」かな

26: 歴ネタななしさん
後梁
後漢
後晋
北遼(西遼の前身で東遼かも)
後漢
後周
後宋(劉宋と揃えて趙宋かも)

27: 歴ネタななしさん
間違えた二代は
×後漢
〇後唐(李氏・朱邪氏・王氏)

28: 歴ネタななしさん
インドも何百年間異民族の王朝が続いたな

29: 歴ネタななしさん
中国の歴史とインドの歴史は、いろんな面で似ている

35: 歴ネタななしさん
権力闘争は常に激しい

なかなか維持できんよ

40: 歴ネタななしさん
元祖源氏も
結局平家の血筋の北条執権家に鎌倉幕府が移ったことを、清盛公も草葉の陰でお喜びだったろう

42: 歴ネタななしさん
当時の世界は職業的な多様性も
無かったから食い詰めた兵士たちが
断続的に戦争をすることで
稼いでいたのではないの?
定期的に戦争をすれば
兵士は儲けられるしね。
今の時代に戦争があまり無いのは
戦争イコール儲からないと言う
のがある。

と言う個人的な推測だけどどうか?

56: 歴ネタななしさん
>>42
一旦文明圏を押さえて支配が軌道に乗った蛮族は守りに入るだけで戦争をしたい訳ではないと思う まだ文明圏を押さえてない蛮族は好環境の土地を
200年に一回くらいある環境危機で征服したくなるのでは

44: 歴ネタななしさん
戦争して儲かるなんてナンセンス

45: 歴ネタななしさん
それは現代のアメリカだろ

46: 歴ネタななしさん
現代の戦争が儲かるってのもほぼ嘘

関係ない多国間の戦争に絡めた軍需産業が儲かるというだけ

当事国は損ばかり

49: 歴ネタななしさん
明王朝も実質2代目で潰れて
3代目以降は別王朝みたいなもん
王朝初期は反乱が必然的におこる

50: 歴ネタななしさん
燕王だったから
燕と国名変えても良かったろうな
中国の国名を変えるタイミングというか
法則がよくわからんが

51: 歴ネタななしさん
中国の新王朝は功臣を粛清をするかしないかが
大きなターニングポイントだと思う。
基本的に功臣を粛清したほうが新王朝は長く続く。

例 漢・唐・中共

52: 歴ネタななしさん

統一後陳勝呉広の農民反乱軍に
かつて合従軍が何度攻めても陥落できなかった函谷関をぶち抜かれる
文官が指揮する囚人兵が何とか農民反乱軍を打ち破るも
秦軍の弱体化も著しいことが見て取れる


かつて燕が服属させていた高句麗になんと大敗する

57: 歴ネタななしさん
煬帝は大運河を建設するために民に重労働を強いて恨まれ、隋は短命に終わったが
その隋を倒した唐は大運河の恩恵を受けて長期政権となった

このように
久々に天下統一した政権は久々の強力な全国政権なので今まで誰も出来なかったような大胆な改革をする
その急進的な政策によるひずみで短命に終わるがその恩恵は次代に引き継がれて次が長期政権となる
このパターン多そう

58: 歴ネタななしさん
秦→漢で中央集権、官僚制を引き継ぎ、
隋→唐で大運河、仏教を引き継ぎ、
民国→人民共和国で工業、産業文明を引き継いだのか

60: 歴ネタななしさん
>>58
人民共和国が引き継いだのは、日米英独の遺産だど。
民国自身は遺産など残していない。
むしろ紫禁城が空っぽになるまで掠奪して戦費にし、のちに台湾に逃げ込み、故宮博物院に。

59: 歴ネタななしさん
秦も隋も人民共和国も
1世紀くらいで滅亡したしな

61: 歴ネタななしさん
民国は未だ粘ってるし
今,建国110年くらいだろ確か

63: 歴ネタななしさん
漢魏→晋
異民族の移民とその子孫を引き継いだ

64: 歴ネタななしさん
魏晋→南北朝って区分けされてるんだよね

65: 歴ネタななしさん
呉 → 東晋 → 宋 → 斉 → 梁 → 陳

南は一貫して「六朝」と称しているが、北は魏晋と五胡十六国時代で断絶がある

67: 歴ネタななしさん
よそからやってきた馬の戦闘が得意な奴が現地の文官を従えて王朝開くとかインドやイランとかのようだな

86: 歴ネタななしさん
>>67
中世ハンガリーとか中世ブルガリアとか

68: 歴ネタななしさん
中国・インド・中近東はずっと北からの侵略の歴史

日本は例外

70: 歴ネタななしさん
それは無理もないと思うがなあ

ヨーロッパがイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・スペインその他に分かれ、
ナポレオンやヒトラーなど一時的に天下を取りそうな人が出てきても長続きしないのと同じ

秦・韓・魏・趙・斉・楚・燕は、何百年も外国だったのだ。言葉も漢文で筆談もしくは通訳が要るし、
「馬車の軌を統一して、隣の国にも馬車で行けるようになった」が始皇帝の業績とされるほど往来も難しい

始皇帝が一時的に統一したが、死後はあっという間に六国が復活した。漢による再統一がなければ、そのまま続いた可能性が高い

71: 歴ネタななしさん
ただし、その場合は匈奴が攻めてきて華北を征服されたかもしれない

北方の脅威に対抗するため、統一王朝が必要だった

72: 歴ネタななしさん
一度滅んだのに復活した例は、オスマン帝国

73: 歴ネタななしさん
あと、ムガール帝国も

150: 歴ネタななしさん
>>72,73

ローマ
イスラエル
ポーランド

98: 歴ネタななしさん
唐朝は皇帝権力が弱くて、皇帝は地方勢力との闘争に追われて東奔西走していた

ドイツでいえば神聖ローマ帝国、日本でいえば室町幕府のような中世

97: 歴ネタななしさん
「唐朝がシナの最盛期」という見方は、まったくの誤り

99: 歴ネタななしさん
それは安史の乱以降ね

100: 歴ネタななしさん
武氏の周朝が続いていたら、唐は短命に終わってた

109: 歴ネタななしさん
>>100
続か無かったよ

101: 歴ネタななしさん
武氏のうちに武照に匹敵する人材がいるの?

103: 歴ネタななしさん
唐が本当の意味で「天下を統一した」と言えるのは、太宗の一代か、せいぜい高宗までの二代まで

104: 歴ネタななしさん
でも、その後に玄宗が中興した

105: 歴ネタななしさん
本当の意味で統一帝国といえるのは、明朝と清朝だけ

106: 歴ネタななしさん
確かに明と清は大国として安定していたし世襲権力の譲渡も上手く機能していた
秦は嬴政が崩御したらガタガタだったもんな、とはいえ2,200年前に一代限りとはいえ統一王朝を作ったのは凄い

112: 歴ネタななしさん
漢の滅亡後に、遊牧民が内地に大移動したため、そこで騎馬軍団の機動力が大幅に向上した

だから、漢朝と唐朝では、唐朝のほうが間違いなく軍事的に強い

さらに、宋代には火薬と羅針盤が発明された。火力が上がったのは言うまでもなく、方角が分かるようになったおかげで軍事行動の能率も上がった

南宋は地味に海洋国家だったから、海軍・水軍の能力は上がった

113: 歴ネタななしさん
そして、モンゴル帝国の騎馬軍団が登場

優秀な馬を湯水のように投入する軍事革命により、軍隊の機動力は爆上がり

そして、明代には火炮が登場

清朝は、西洋伝来の鉄砲隊の威力で、ついに遊牧民をねじ伏せ、天下泰平を実現した

114: 歴ネタななしさん
このように、時代が後になるにつれて中央の正規軍が強くなっていくので、地方の勢力が統制されるようになっていく

さかのぼって考えれば、いにしえの漢朝や唐朝が地方を統制するのがどれほど難しかったかは察しがつく

119: 歴ネタななしさん
清朝って名君が多かったと思う、少なくても明朝よりも。

120: 歴ネタななしさん
そらまあ満州族だからな、優秀でしょう
馬鹿な漢民族に国家運営やらせるとPRCみたいなことにw

123: 歴ネタななしさん
>>120
っていうか漢民族は長子相続だったけど清は満洲族の風習の名残で兄弟中最も優秀な者が相続したから

漢民族だろうが日本人だろうが何人だろうが長子相続なら清レベルの名君ラッシュはありえんと思う
その代わり後継者争いも起こりにくくて安定してるけど

125: 歴ネタななしさん
名君ラッシュでいえばオスマンだろう
あれ異常だよ
10代続けて暗君いないとか凄すぎ

126: 歴ネタななしさん
遊牧民の王朝にアリガチな傾向として、兄弟間の争いがすごい

ムガール帝国なんか、代替わりのたびに王子たちがそれぞれの私兵を動員して内戦になる

そこで勝ち残って帝位につく奴は、当然のことながら無能ではない

145: 歴ネタななしさん
>>126
実力主義っぽいけど王族以外が王になるのはなぜか認めない

128: 歴ネタななしさん
名君が続けば国が栄えて暗君が続けば国が衰える。
--という当たり前の法則に縛られてるうちはまだまだ甘い。

何が云いたいかというと、
どんな馬鹿やボンクラが上に立っても揺るがないシステム=江戸幕府が最強。

129: 歴ネタななしさん
神宗時代の明もべつに揺らいでなかったから明最強
三征がなかったら明は続いてた

133: 歴ネタななしさん
そういえば実力主義で継がれた遊牧民王朝の王位/帝位も、王の息子たちを全部排して、息子たちのいとこやはとこに渡ったことってあるのかな
一応息子たちの間から一番ましなのを次の王/皇帝に選ぶというのは優先されてるのかな

135: 歴ネタななしさん
日常事務に忙殺されて命を縮めたのは、
蜀漢の諸葛孔明(君主ではないけど)、
後周の世宗、清の雍正帝

136: 歴ネタななしさん
清の雍正帝は全国から来る陳情の処理に追われ、「過労で倒れた唯一の皇帝」と言われる

スペイン全盛期のフェリペ2世も「書類王」と呼ばれた

139: 歴ネタななしさん
>>135 >>136
後周世宗(柴栄)も過労皇帝の先例だな
脳溢血で倒れたけど、その根底には過労があったんじゃないの?

140: 歴ネタななしさん
>>139
神経使うと病むからな

146: 歴ネタななしさん
遊牧民は血統へのコダワリも強い

ジンギスカンの子孫でなければ、大ハーンにはなれない!

147: 歴ネタななしさん
>>146
それも父系でないとダメだったんだっけ

149: 歴ネタななしさん
秦と晋は内乱や反乱で崩壊したが(晋は江南で続くが統一はなくなった)
漢はすぐに呉楚七国の乱を打ち破ったり
英布らの乱も打った
すぐに反乱をつぶした漢と晋秦は
なにがちがったのか

161: 歴ネタななしさん
秦が滅んだのは、始皇帝の大土木工事で不満が高まっていたことに加えて遺勅が偽造され、ボンクラが2代目になったから

晋が滅んだのは初代皇帝が気を抜いて女色にふけり、2代目はボンクラ、そのボンクラの皇后がとんでもないブスの策略家だったから

隋が滅んだのは、2代目が大土木工事で民衆を苦しめたから

でも漢は秦の残した法整備と戸籍を生かして繁栄し唐は隋が残した大運河で繁栄した

165: 歴ネタななしさん
王朝成立後はどこも大体反乱や内乱がおこるが
それを即座に鎮圧できるかどうかにかかってる
内乱反乱をすぐに鎮圧できなかった晋や乱に負けた秦はほろんだ

167: 歴ネタななしさん
秦が倒れたのはどう考えても秦の正規軍を倒した項羽の武勇のおかげだろうね
劉邦も項羽を直接倒す事はできなかったから策を弄して周り使って間接的に倒したようなもん

169: 歴ネタななしさん
朱元璋が偉大過ぎた

170: 歴ネタななしさん
>>169
> 朱元璋が偉大過ぎた


朱元璋の南京帝国も、秦や隋と同じく2代目で滅んだ

永楽帝以後の北京帝国は、同じ朱氏というだけで実質的に別の国

172: 歴ネタななしさん
漢も、初期に呉楚七国の乱が起きている。たまたま乗り切ったからいいようなものの、あれで滅んでもおかしくなかった

唐も、2代目が死んだ後は武氏に王朝を乗っ取られた。たまたま戻ってきただけ

結果を見ると、なんだか長期王朝になるのが歴史の必然だったように思えるが、そんなことはなく偶然の産物

176: 歴ネタななしさん
近代のイギリスとフランスもそうだ

17世紀、イギリスとフランスの国王は海の向こう側とこちら側で同時に国内の大反乱に直面した

結果的に、イギリス国王チャールズ1世は敗れて処刑された

一方、反乱軍を打倒したフランス国王ルイ14世は国内に敵なしの盤石な体制となり、絶対王政を築いた

これだって、結果を見れば歴史の必然に見えてくるのだが、はたしてどうだったか

177: 歴ネタななしさん
明の燕王が起こした反乱も、結果を見れば強大な軍事力を持つ叔父が、気の毒な甥を殺して皇帝の座を奪い取ったとしか見えないのだが

だが、当時の燕王は地方勢力にすぎず、南京帝国の朝廷は強大な国力を誇っていた

中国の歴史で、地方の反乱などいつものことだが、たいてい最後は中央に鎮圧される。明の燕王のは、まさに奇跡の逆転勝利だった

178: 歴ネタななしさん
戦の天才が偶にまぎれて居て歴史を変える
体制側に居れば体制維持になり
反体制側に居れば革命になる

183: 歴ネタななしさん
宋も長く続いたとはいえ
北方民族に対して弱かったとよく言われる

個人的には防御では決定的な所では守り切っているからそうでもないとも思うが

189: 歴ネタななしさん
>>183
宋は専守防衛ならかなり強かったが悲しいかな機動力が無いので攻勢に出るとボロ負け

184: 歴ネタななしさん
宋は北京を取られていたのが痛い

188: 歴ネタななしさん
>>184
宋はむしろ当時既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄した。

191: 歴ネタななしさん
>>188

>既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄
 
それは東晋も同じ

185: 歴ネタななしさん
東晋に比べて
南宋はほろんだという感じも粉々になったという感じもあまりしないのはなんでだろ
東晋にくらべて破滅的な王朝になったというか
ほろんだという感覚があまりない
どっちも北半分領土失って江南いきなのに

186: 歴ネタななしさん
東晋は最初蜀も失ってる
西晋の崩壊は漢末期の戦乱による漢民族の減少と異民族の流入の問題点が一気に爆発した感じ

193: 歴ネタななしさん
戦乱が長くなるとそれが常態となる
平和が異様な状態になる
戦乱でも社会は動いてるので平和になったら平和用の社会に作り替えないといけない
それが結構難しいんだろうな

ネタ元: ・中国の長い戦乱を制した秦晋随はなぜすぐ滅んだのか