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1: 歴ネタななしさん
幕府権力と将軍権威の復活を目指した13代将軍足利義輝
しかし、時代の流れには逆らえず三好勢に討ち取られることとなってしまった

足利義輝はどうすればよかったのか
そもそも幕府権力と将軍権威が復活する可能性はあったのか
語っていこう

2: 歴ネタななしさん
義輝がやったこと
・諸大名への役職ばら撒き
・諸大名への偏諱ばら撒き
・諸大名の和睦仲介
・諸大名と協力して三好と戦う(敗戦)
・三好長慶暗殺(失敗)

3: 歴ネタななしさん
実力もないのに管領家ともめたりくっついたり、三好氏ともめたりくっついたり、情緒不安定で注意欠陥・多動性障害
糞やん

6: 歴ネタななしさん
長慶と仲良くする
朝廷と仲良くする

7: 歴ネタななしさん
無理じゃね
今川家なんて堂々と独立宣言してるし
もうみんな足利幕府なんて死んだものと思ってたでしょ

8: 歴ネタななしさん
この時代の室町幕府がどう機能していたのか不明なのです
今の大河に出てくる三淵とかは、管領の細川家の親戚だけど、細川から出向(領地俸禄はは細川もち)で奉公衆になっているのかな
一方で、政所も存在しているみたいだし、そこの役人には誰が報酬はらっていたのか

てっきり幕府運営もすべて細川(三好)にお任せなのかと思っていた。
徴税は誰がしていたんだろう

9: 歴ネタななしさん
三渕氏自体は和泉国に地盤があった訳だけど
居城の松原城自体がどこなのかさえも分からない状態で
地元でもおそらくこの辺だったのではと推測されてる程度
最近の研究では播磨にも所領があったようだとか
阿波国の吉野川沿いにも近縁の細川元常の居館があったりと
両細川の乱以降、阿波細川家ー赤松家との結束の強さが目立つ一族

京の公家達との間にも二重三重に張り巡らされた血縁関係の広さもあって
在京とばかり思われがちだったが堺との繋がりの強さも見られ
各方面での活動形態が徐々に明らかになってはきてる

10: 歴ネタななしさん
義輝自ら戦陣に立ち、兵を集めて勢力拡大するしかないよ。

足利尊氏は、何度も滅亡の危機に立ちながら復活したが、その理由はやはり自ら戦陣に立ち勝ってきたから。人任せじゃあ絶対無理。

11: 歴ネタななしさん
後ろ盾の細川晴元の敵が三好長慶だから幕府復権には細川を見限り地方大名に力を借りるしかないよね。

史実通りになりそうね

12: 歴ネタななしさん
考えれば考えるほど、義輝って詰んでるよな
畿内では三好が力を持ちすぎて、朝廷も三好になびいている始末
外では室町幕府からの独立の機運が高まり、今川義元なんて法度で堂々と宣言する始末

冷静に考えると三国同盟ってやべー集団だよな
みんな勝手に法度作って、俺たちは室町幕府の言うことなんて聞かねえ!勝手にやるわ!って宣言してる奴ら
最終的に三国消滅したから甘く見られているけど、義輝にとってどれだけ脅威だったか

13: 歴ネタななしさん
三好は断腸の思いで義維派の一派を粛清したのに義輝はそれに答えなかった
主殺しを死ぬまで後悔した実休がただただ可哀想

14: 歴ネタななしさん
あまり歴史板でも語られない話だけど
細川晴元ー三好長慶政権を追い出し実権を奪い返そうと暗躍していた細川氏綱ー細川国慶ラインを
新たな管領に仕立て上げてそちらに鞍替えするという案は現実的ではなかったのかな
これらの高国派残党ならば丹波守護代・内藤氏や河内守護代・遊佐氏との連携も容易だったと思うんだが

まあこれらの時期はまだ若年の義輝が新将軍となって間もない頃なので
実質は義晴がそれらの新しい統治機構を構築してればって話になるのかもだが

17: 歴ネタななしさん
>>14
足利義晴の最大の後ろ盾であった六角定頼が細川晴元の舅で晴元を支援しているから無理

15: 歴ネタななしさん
謙信頼って越後に亡命。これしか生存ルートないな

16: 歴ネタななしさん
謙信とこへ行くか、北条の鎌倉行って再起を待つか。東に行った方がいいね

18: 歴ネタななしさん
麒麟がくるの義昭では無理だと思う

19: 歴ネタななしさん
近衛に越後まで連れて行ってもらう
謙信の元でニート

20: 歴ネタななしさん
足利義満のような実体のある奉公衆を創設するのか不可能か?
まずは実体のある軍事力を確保するのが第一段階

21: 歴ネタななしさん
一応足利義満の時は三千、義輝の時は四千、義昭の時は五千人を動員したという記録があるから、数の上では義満時代と遜色はないんだよな奉公衆

ネタ元: ・足利義輝が足利幕府を復活させるには