1: 歴ネタななしさん
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短くとも3〜4ヶ月は農閑期やろ?
各家がそんな量蓄えられたんか?
というかやる事無しにその間ずっと家に居るとか空気最悪になりそうやな

2: 歴ネタななしさん
調べてもろくに出てこおへんのや
歴史家も分かっとらんのとちゃうやろな

3: 歴ネタななしさん
>>2
魚食べてたんよ

7: 歴ネタななしさん
>>3
まあそうやろけど足りたんかな
海沿いはともかく長野は大変そうやな

4: 歴ネタななしさん
収穫終えたばかりの米
保存食である漬けもの

5: 歴ネタななしさん
例えでなくてほんまに気になって眠れん
野菜なんか漬物しかないんやで
壊血病にならんか?

11: 歴ネタななしさん
>>5
ええ...
海外やと壊血病予防にザワークラウト持ち込んでたやん

16: 歴ネタななしさん
>>11
知っとるよ
でもあれ無いよりマシくらいの策やろ確か
あとビタミンB欠乏症とかもあるで

13: 歴ネタななしさん
>>5
たとえば米だって収穫できるのは基本1年に1回で秋だけやろ
そういうので1年回すわけや
米以外にも粟とか稗とかそういう別の作物とかもある
後は当然保存食とかやな、食文化は保存のために発展したものも多い
でも当然足りなくなる時は足りなくなって餓死者が出ることもあったわけや

6: 歴ネタななしさん
米と漬物ぐらい貯蔵しておけば余裕やろ

9: 歴ネタななしさん
>>6
漬物なんか3ヶ月保つやろか?

8: 歴ネタななしさん
オーパーツの兵糧丸があるからな

10: 歴ネタななしさん
そばの実撒いて収穫 
雑穀類 空き地に野菜 なんでも食べるよ

12: 歴ネタななしさん
玄米とかあわやひえ食ってたから保存きくんよ
白米は農民はたまにしか食わない
江戸病になるから

14: 歴ネタななしさん
てことは冬の間は漁師が日本の命綱だったんか

15: 歴ネタななしさん
まず冬野菜があるやんけ
no title

no title


漬けもんでも生野菜でも干せばいくらでも持つ
no title

no title


ちな南瓜は夏に取って冬まで持つから冬至の日に食べるんやで

19: 歴ネタななしさん
>>15
冬野菜って関東以北でも育つんか?近畿はええやろけど

24: 歴ネタななしさん
>>19
知らんけど千葉の船橋では育ってる
冬日が年間30日ぐらいの気候

29: 歴ネタななしさん
>>24
はえー貴重な情報サンガツやでマジ
関東はなんとかいけるんやな…当時はもっと寒いやろし、色々農業技術もちゃうやろけど

18: 歴ネタななしさん
百姓って1年分の米をどこに保管してたのかは気になる

25: 歴ネタななしさん
>>18
ほんまやで映画とかドラマとか見てもそれらしきもん見当たらん
結構な量だしでかい蔵とかありそうやが

22: 歴ネタななしさん
そもそも真冬の雪国でよくすごせたと思う

32: 歴ネタななしさん
>>22
アイヌとかシベリアの民族とかは逆に農耕せんからこそ生活できたっぽいで
冬はソリぶっ飛ばして獣狩ったり魚取ってた
その代わり人工は少なく抑えてたんやろうな

むしろ北方狩猟採集民の方が納得できる

37: 歴ネタななしさん
>>32
続縄文文化からアイヌ文化に変わって耕作は放棄したけどそれは和人からコメを買うようになったからやで
狩猟採集で賄いきれたわけではない

46: 歴ネタななしさん
>>37
米を買って人口が増えてしまったから狩猟採集が維持できなくなったと考える方をワイは採用したい
でないとシベリア民族が生きてる事の説明にならんからね

27: 歴ネタななしさん
昔の家とか隙間だらけでくっそ寒かったと思うがよく凍死しななったよな

74: 歴ネタななしさん
>>27
割と凍死っておったぞ
現代でも年間1000人超えとるしここ20年でむしろ増えとる

28: 歴ネタななしさん
ほとんどの国民栄養失調やったろなあ
現代のヴィーガンはサプリで栄養補完しとるけど当時はそんなものなかったし
江戸時代マンセーは北朝鮮素晴らしい言ってるのと変わらんで

33: 歴ネタななしさん
>>28
そうでもないで
雀食ったり、野猫取ってきて猫鍋にしたり
結構肉食ってたみたいよ

40: 歴ネタななしさん
>>33
鳥と魚と冬眠しない一部の獣よな
冬でも関係ないし
後は地中の越冬中の植物の根とかやっぱ食ったんやろな

にしても結構な量やで
ホンマに多分どでかい蔵に蓄えてたんやろな米

34: 歴ネタななしさん
米はだいたい偉い人に取られて常に飢えてたイメージある

35: 歴ネタななしさん
江戸時代食ってんの米に後は味噌に漬物だろ
保存食

36: 歴ネタななしさん
無理なら死んでくだけや
生きてけるやつだけが生き残るだけ

39: 歴ネタななしさん
ヨーロッパのほうがずーっと寒くてジャガイモばっかりやぞ
産業革命始まるまで欧州は地獄

42: 歴ネタななしさん
そもそも今みたく米として保存せずに玄米のまま保存しとったし
食べるときに脱穀しとったんやで

43: 歴ネタななしさん
玄米と味噌と漬物があれば完全食になるんだよな

45: 歴ネタななしさん
江戸時代は大根、蓮根、ナス、キュウリ、人参なんかが育てられた

47: 歴ネタななしさん
米は税としてとられるからヒエとかアワとか蕎麦の味栃の実や栗とかじゃないっけ?
干した山菜や根菜を戻したり

53: 歴ネタななしさん
>>47
最近では農民も普通に米食ってた説が主流やで
でないとあの大量の米を武士と町人だけで消費しきれんからな

58: 歴ネタななしさん
>>53
都会みたいに白米食ってた訳じゃなく雑穀混ぜた粥だったみたいだけどね
食味は落ちるが栄養価の高い雑穀のおかげで肉体労働に耐えれた

64: 歴ネタななしさん
>>47
農民の生活が楽じゃなかったのは事実なんやけど米食べられなかったってのは否定されてるみたいやで
単純な話、武士が米なんていくら年貢として集めようがせいぜい1人につき1~2人分くらいしか消費できんやろ(米だけじゃなくて酒とか作るとしても)
だから結局は農民も食べてたって可能性が高いわけやな

もちろんだからといって税は重くなかったとかいうわけじゃないしそれこそ他の税と引き換えに取り戻すくらいのことせざるを得なかった可能性はあるが

48: 歴ネタななしさん
農村は雑穀がゆ食ってるから白米しか食わない都会人より健康

49: 歴ネタななしさん
西日本の方は蕎麦とか雑穀を二毛作でけっこう作れるからマシ
悲惨なのは東北
天明の飢饉では借金苦の弘前藩などはお救い米も出せずに村によっては人口が1/3になり死人を食うのが常態化した。天下泰平の江戸時代は東北人にとってあまり泰平ではない

51: 歴ネタななしさん
>>49
しかも当時は自由に移動しちゃいけなかったんだよな
他県に行ったら死刑
マジで地獄やろ
自由に移動できてたらみんな沖縄に逃げてたやろうな

56: 歴ネタななしさん
>>49
やはり西日本なら二毛作ないし短い農閑期でまた農作に移れるんやな
稗とか寒さに強いしな
そして東北はやはり悲惨やったんやな…なにせ雪に埋もれるから木の根も掘るに掘れんしな

78: 歴ネタななしさん
>>56
東北は排他的で人間の質が良くないのも
歴史的に貧しかったからやろな

歴史的に豊かな地域の人間は
おおらかやし親切

103: 歴ネタななしさん
>>78
でもあれやろ
ワイは何度も言うとるが、シベリア民族の例を見れば人口制限すれば狩猟採集で暮らせるんや
まして東北で一応米が作れれば問題なかったはずやで
つまりは人口が増えすぎたんや
んで多分それは国力の為、軍事的観点からやろな
この世が東北だけだったら慎ましくやってた筈や

52: 歴ネタななしさん
木の革囓ったりあとは狩猟か

65: 歴ネタななしさん
>>52
せやな見落とされがちやけど木の皮というか内側の生きてる細胞部分は食える筈や
それから木の皮を肉に変換するシカやウサギはやはり食ったやろな

54: 歴ネタななしさん
今の感覚だと完全に腐ってるとされる状態のものでも食ってた
昭和末期でも腐った野菜とかその部分だけ切り取って使ったりしてたしな
飢饉のとき餓死者よりも食中毒のほうが遥かに死者数が多いことからもそれがよくわかる

57: 歴ネタななしさん
草履は耐久性ないからじゃんじゃん使い捨てらしいぞ。
だからこそ百姓の年寄りなんかの手仕事でも量産できてさばける金か物になる

63: 歴ネタななしさん
イザベラバートっていう明治の外人が東北行ったら悲惨だったって書いてたもんな
人々は痩せこけていて、不潔で臭いって
明治ですらこれなんだから江戸時代の東北とか地獄だよ

70: 歴ネタななしさん
>>63
東北なんかそれこそ1960年代中頃まで冷夏の年には「子供を売りに出す前に役所に相談しろ」って看板立ってたレベルだしね

77: 歴ネタななしさん
>>70

ガチの地獄やん
大地震来るし津波も凄いし、あそこに生まれるの前世でなんか罪犯してるだろ

82: 歴ネタななしさん
>>77
東北は建物も昭和初期まで現役の竪穴住居があったって聞いた

104: 歴ネタななしさん
>>77
東北ですらそうなんだから北海道開拓した人たちがどれだけの地獄を乗り越えたのかって話なんだよな
当時屯田兵を見ていたアメリカ人医師が「北海道で米を作るのは無理だから麦を作れ」と何度も進言したという記録が残っている
それでも日本人は北海道で米を作り続けて今や全国2位の収穫高を誇る土地になってるんだからな
当時の人に今の北海道の水田を見せてやりたいわ

125: 歴ネタななしさん
>>118
日本人の米信仰はかなり強いからな
戦後かなり経っても米はなんとか守らなければみたいな特別扱いが続いてて他の農業とのバランスが悪化してたくらいやし
明治時代とかならなおさらではある

ちなみに軍隊でパン食を普及させようとパンを振る舞ったら兵士が「上官殿、これはなかなか美味でありますな。ところで飯はまだでありますか」とナチュラルに言ってきた(つまり主食として認識できていなかった)みたいなエピソードも

73: 歴ネタななしさん
やはり東北以北は現代技術なしには人口制限して保存食と漁猟で冬を凌ぐのが正解みたいやなあ

117: 歴ネタななしさん
>>73
日本におきましては寒さは北海道
暑さは京都
世界では寒さはロシア東部内陸部
暑さは中東沿岸~ジブチ

クウェートやドバイなら金かけて新興都市として暑さ対策万全だが
この辺りにも一応原住民いるみたいだがどんなふうに暮らしていたんだろうか

-70度 暴風豪雪
気温50度~55湿度100 60度の熱風 強い日光

そもそもなぜそこに暮らすまたは新興都市を建てたんだろうか

126: 歴ネタななしさん
>>117
岩波文庫のシベリア民話集って本のあとがきにあったと記憶しているが、学者か作家かなんかが、シベリア民族を確か東欧にバカンスに連れてったらしい
そしたら「暑すぎる。シベリアの方がずっと過ごしやすい」って言われて仰天したらしい
感覚によるんやね
あとまあ多分ビタミンDの合成能力とかが人種的に格が違うとかあるかもね

134: 歴ネタななしさん
>>126
熱波があった時期に行ったのかな
欧米は夏は熱波や干魃もあるから暮らすのも食料生産も大変だっただろうな
東アジアは湿度のせいでまだマシそうだな

66: 歴ネタななしさん
今ほど長生きはしてないし
食料尽きて死んだのもいるだろ
食い扶持減らす為に老人を…という話もあるしな

83: 歴ネタななしさん
>>66
遠野物語では姥捨山なんかも…

米に関しては西と東でだいぶ違うかも。寒さに強い品種もなかったろうし

南部藩は見栄のために石高を過大報告してたらしいし、仙台藩も百万石になるのは政宗よりずっとあとの時代だし

68: 歴ネタななしさん
西日本でも日本海側はガンガン雪降るからな
太平洋側は二期作や場所によっては三期作まで出来た

69: 歴ネタななしさん
江戸時代はエコでリサイクルみたいな賛美されがちやけど実際はそういうのってしょうがなくやってただけで森林伐採とか普通に多かったみたいやね
そしてそのリサイクル社会も肥料に人糞を使ってたから寄生虫被害が多くて明治時代の医者からは忌避されたりとか
やっぱ時代の制約ってもんはあるもんやね

92: 歴ネタななしさん
>>69
手近な山の木は燃料として伐採&伐採やろから禿山だったみたいだな
事実戦前の写真とか見ると緑生い茂る山々って感じじゃない

99: 歴ネタななしさん
>>92
農村の周りには低木の雑木林で出来たいわゆる「里山」があって
動物と人間の良い境界になってたみたいだよ
里山の資源は共同管理されててなんでも勝手に取っていい訳でも無かったみたい

108: 歴ネタななしさん
>>99
ガチではげ山だらけやぞ

no title

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no title

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101: 歴ネタななしさん
>>92
江戸時代は鉱山採掘のため
戦前はインフラ整備のためやな
江戸時代まで来ると燃料に薪はいうほど使われてない

110: 歴ネタななしさん
>>92
伐採が多かったのは鉱山運営のための他に建築需要が大きかったからっていうのもある

71: 歴ネタななしさん
東北でも冬場晴れ間が多い地域はまだマシやった
大根を外に干したら夜間に凍結、昼間に解凍を繰り返してフリーズドライの保存食作れる
千葉でもこないだの最強寒波で再現できたで
no title

no title

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87: 歴ネタななしさん
>>71
せやなアイヌも鮭凍らせとった
北海道や樺太ぐらい寒さが安定するとこういう事もできるわな

岩手や宮城は良くてもつまり秋田と山形は…

89: 歴ネタななしさん
>>87
秋田は外で天日干しすらできひんから考えついたのが囲炉裏で燻すいぶりがっこや

93: 歴ネタななしさん
>>89
はえ〜〜〜〜〜(感嘆)

81: 歴ネタななしさん
雪国に住むって現代でも罰ゲーム感あるし
ぶっちゃけメリット無いだろ

91: 歴ネタななしさん
江戸か安土桃山時代にいまより温暖な期間もあったみたいだしそのときの夏どうしてたんだろうな
干魃あったりしたみたいだし

94: 歴ネタななしさん
蕎麦の有名な産地は過去に飢饉や冷害で苦しんだ地域らしいな

95: 歴ネタななしさん
そういえばなんで日本ではコーリャン根付かんかったんやろ
沖縄ではある程度普及してるけど

96: 歴ネタななしさん
そうそう魚も漬物にするよな
秋田とかだとハタハタのすす漬け

正月のご馳走枠

98: 歴ネタななしさん
芋食べてたんじゃない
知らんけど

102: 歴ネタななしさん
>>98
昔の芋は不味かったらしいぞ

105: 歴ネタななしさん
>>102
栗(九里)より(四里)美味い十三里やぞ
サツマイモは美味いから普及した

115: 歴ネタななしさん
>>105
当時はあくまで米が主体で商業作物の作付けは少なかったからな
美味い芋なんて高価で一般人はなかなか食えない代物だよ

109: 歴ネタななしさん
>>102
まずくてもお腹膨れればよかったんじゃね
その土地土地で取れる農産物がメインではあるやろ
たんぱく質とらないイメージ

100: 歴ネタななしさん
東北と言えば昭和恐慌で大根の葉っぱかじっているのはネタ説があるな
身売りは役所に相談しろっていうのも同じく昭和恐慌の東北

107: 歴ネタななしさん
蕎麦自慢はお国が知れる
つまり貧しい地域だろっていう言葉もあるくらいだしな

137: 歴ネタななしさん
>>107
米作れない土地でも蕎麦なら作れたから仕方なしに・・・ってのが信州だな

112: 歴ネタななしさん
戦前戦中は芋やぞうすいを食べてたっていうけど芋とか雑炊とかってうまくね?
――と思うのが現代人で当時の量産品の芋やかさましした雑炊なんてとても食べたくなるようなもんじゃなかったみたいやね

119: 歴ネタななしさん
>>112
戦中戦後の不味い芋食った人はトラウマになってずっと芋食えなくなった人も多いらしいしね

122: 歴ネタななしさん
江戸初期の石高見ると福島宮城あたりは普通に石高高いけど北とか日本海側は悲惨や
石高に合わせた日本地図見るとわかるけど

127: 歴ネタななしさん
夏に採れた瓜の仲間を冬まで保存して食ったりしとったんやで
そういう経緯で冬瓜って名前が付いたんやで

129: 歴ネタななしさん
甲陽軍鑑に載ってる話では、武田信玄が「百姓は冬の間はタニシを集めてるから…」
ってのがあるで。
ビタミンもたんぱく質もとれたんちゃう

136: 歴ネタななしさん
>>129
田んぼは恵みの宝庫
タニシやエビやカニやモロコがドジョウなど食えるものがいっぱい
昆虫食も当たり前だから田んぼほじれば何か出てくる

でも東北はそこすら雪で塞がれるしね

144: 歴ネタななしさん
>>129
貴重な情報サンガツ
魚はもちろんタニシもサワガニもザリガニも何でも食ったやろね

131: 歴ネタななしさん
宮沢賢治でも1日に玄米四合と味噌と少しの野菜(ほぼ雑草に近いようなもの)で生きとったんやで

132: 歴ネタななしさん
>>131
だから身体弱くてすぐ死んだやん

135: 歴ネタななしさん
>>131
昔の人間はごく少量のおかずで大量の米を食うのが普通だったんだけど
宮沢賢治の食う米の量多すぎなのではと思って書き換えが行われてた戦中という闇

142: 歴ネタななしさん
>>131
賢治先生「蕎麦屋でサイダーうめえ

138: 歴ネタななしさん
良い面だと東北とか関東だと肉食のタブーは関西より少ないから狩猟はもっと盛んだったみたいやね

139: 歴ネタななしさん
子どもの頃のたんぱく質摂取量が
身長に影響してそう

141: 歴ネタななしさん
田舎は普通に昆虫食するから意外とタンパク質摂れた
寧ろ都会が栄養失調気味

146: 歴ネタななしさん
仙台藩福島藩あたりのやばいのは米が取れすぎるから米以外作る必要ねえなってなって米ばかり作ってたから不作で一気に飢饉になる事や
米に頼りすぎてた

147: 歴ネタななしさん
江戸時代は人口が増えてるから幕府の政治は良かった説もあるが、他国との比較が同じ条件でできないからなんともいえんな

まあ米の輸出をしてないなら飢餓輸出はなかったんやろ

ネタ元: ・江戸時代の冬って農作業できないのによく食糧保ったよな未だに納得しとらんのやが