1: 歴ネタななしさん

【朝鮮出兵にて戦死した武将】
「日本(一万石以上)」
来島通総(1万4千石)の1名のみ
※中川秀政は鷹狩中に敵に遭遇し戦死
「朝鮮(三品以上)」
鄭撥、尹興信、宋象賢、洪允寛、李宗張、申石吉、元豪、元喜、柳崇仁、徐礼元、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、任鉉、崔湖、呉応鼎、黄世得、郭越、李舜臣、李英男、金澥、李薦、裵蘿立、李渾、金貴栄、李瑛、黃赫等、李範、李錘、文夢軒
「明(遊撃以上)」
載朝弁、史儒、廬継忠、李新芳、蒋表、毛承先、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、鄧子龍
「日本(一万石以上)」
来島通総(1万4千石)の1名のみ
※中川秀政は鷹狩中に敵に遭遇し戦死
「朝鮮(三品以上)」
鄭撥、尹興信、宋象賢、洪允寛、李宗張、申石吉、元豪、元喜、柳崇仁、徐礼元、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、任鉉、崔湖、呉応鼎、黄世得、郭越、李舜臣、李英男、金澥、李薦、裵蘿立、李渾、金貴栄、李瑛、黃赫等、李範、李錘、文夢軒
「明(遊撃以上)」
載朝弁、史儒、廬継忠、李新芳、蒋表、毛承先、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、鄧子龍
2: 歴ネタななしさん
日本強すぎん?
3: 歴ネタななしさん
なんでこれで負けたんや
5: 歴ネタななしさん
>>3
食料現地調達しようと思てたら何も無かった
李氏朝鮮のナチュラル清野作戦状態であった
食料現地調達しようと思てたら何も無かった
李氏朝鮮のナチュラル清野作戦状態であった
92: 歴ネタななしさん
>>3
諸説あるが究極的には明まで遠すぎた
朝鮮半島を縦断して明本国に攻め込まないと有利な講和が出来ない
交渉相手が明に変わった時点で勝ち目がなかった
諸説あるが究極的には明まで遠すぎた
朝鮮半島を縦断して明本国に攻め込まないと有利な講和が出来ない
交渉相手が明に変わった時点で勝ち目がなかった
263: 歴ネタななしさん
>>3
戦略を一本化しなかった
加藤清正の進軍ルート見ればわかるけど各員が自分のしたいように好き勝手行動してたから戦略が滅茶苦茶やったんや
戦略を一本化しなかった
加藤清正の進軍ルート見ればわかるけど各員が自分のしたいように好き勝手行動してたから戦略が滅茶苦茶やったんや
283: 歴ネタななしさん
>>263
いや八道を分担して制圧するのは渡海組の統一方針やで
反対やったけど方針通り咸鏡道を制圧した加藤清正が何故か馬鹿にされてるんや
いや八道を分担して制圧するのは渡海組の統一方針やで
反対やったけど方針通り咸鏡道を制圧した加藤清正が何故か馬鹿にされてるんや
7: 歴ネタななしさん
加藤清正「いける所までいく」
清正君ウラジオストク前まで行く
清正君ウラジオストク前まで行く
12: 歴ネタななしさん
朝鮮の王子捕まえたから人質にしたろ
明国軍「知らねーよ」
酷くない?
明国軍「知らねーよ」
酷くない?
17: 歴ネタななしさん
この時代に20万人を海外に展開するとかイかれてる
現代でもそんなことできる国アメリカ軍くらいしかないぞ
現代でもそんなことできる国アメリカ軍くらいしかないぞ
21: 歴ネタななしさん
ガイジ清正くん行き過ぎて帰ってきたときに三成にボロくそ言われる
28: 歴ネタななしさん
>>21
のちの満州族と接触してるんやっけ
のちの満州族と接触してるんやっけ
40: 歴ネタななしさん
>>21
加藤清正って女真族と戦ってたんだよな
朝鮮出兵めちゃくちゃ面白いのに全然ドラマの勿体無いわ
加藤清正って女真族と戦ってたんだよな
朝鮮出兵めちゃくちゃ面白いのに全然ドラマの勿体無いわ
47: 歴ネタななしさん
>>21
これ全羅道方面には進まなかったのは何が理由なんやろ
釜山以外に済州島とか抑えて拠点にするつもりなかったんやろか
これ全羅道方面には進まなかったのは何が理由なんやろ
釜山以外に済州島とか抑えて拠点にするつもりなかったんやろか
103: 歴ネタななしさん
>>47
島を占領したほうが攻守に有利ってことがないからな
制海権ないから島を占領したら終戦まで取り残される状況や
島を占領したほうが攻守に有利ってことがないからな
制海権ないから島を占領したら終戦まで取り残される状況や
25: 歴ネタななしさん
言うほど負けだったか?
27: 歴ネタななしさん
結局成果なきゃ戦なんて負け
29: 歴ネタななしさん
ヒットうちまくったのに0点だった
35: 歴ネタななしさん
大友義統さんかわいそうだよね
ちょっとかなり無能なだけなのに朝鮮出兵で人生変わって
ちょっとかなり無能なだけなのに朝鮮出兵で人生変わって
39: 歴ネタななしさん
秀吉主人公の大河ってもう無理なんだろうなって思うと悲しい
43: 歴ネタななしさん
まぁ普通に秀吉が死んだから撤退しただけちゃう?
51: 歴ネタななしさん
>>43
撤退したいけど秀吉が生きてるかぎり無理やから死ぬのを待ってた
撤退したいけど秀吉が生きてるかぎり無理やから死ぬのを待ってた
49: 歴ネタななしさん
結局出兵しなかった家康が得しただけの戦
53: 歴ネタななしさん
前線視察した石田三成の書状要約
・寒い
・ゲリラがうざい
・腹減った
・占領地の守兵が足りない
・戦線縮小しないともたない
・みなやる気ない
・寒い
・ゲリラがうざい
・腹減った
・占領地の守兵が足りない
・戦線縮小しないともたない
・みなやる気ない
63: 歴ネタななしさん
>>53
さらに要約すると「はよ撤退したい」やな
さらに要約すると「はよ撤退したい」やな
54: 歴ネタななしさん
そもそもあの時代に海渡って戦が無理あったのでは?
55: 歴ネタななしさん
日本の戦国オールスターも朝鮮にすら勝てなかったんやな
57: 歴ネタななしさん
>>55
勝負に勝って試合に負けたんやなって
勝負に勝って試合に負けたんやなって
62: 歴ネタななしさん
万暦帝の評判は聞いてただろうからこんなアホ相手ならイケるやろって思っちゃったんやろな
大陸の広さを根本的に理解しとらんかった
大陸の広さを根本的に理解しとらんかった
72: 歴ネタななしさん
李舜臣のライバルになっちゃった弱小ってだれだっけ?
80: 歴ネタななしさん
>>72
脇坂
脇坂
74: 歴ネタななしさん
中川ぐう無能やんけ
82: 歴ネタななしさん
>>74
賤ヶ岳で体張って死んだ親父の威光でギリ改易は免れた模様
賤ヶ岳で体張って死んだ親父の威光でギリ改易は免れた模様
76: 歴ネタななしさん
総大将 宇喜多秀家
一番隊
宗義智、小西行長、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、五島純玄
二番隊
加藤清正、鍋島直茂、相良長毎
三番隊
黒田長政、大友吉統
四番隊
毛利勝信(森吉成)、島津義弘、高橋元種、秋月種長、伊東祐兵、島津忠豊
五番隊
福島正則、戸田勝隆、長宗我部元親、蜂須賀家政、生駒親正、来島道之(得居通幸)、来島通総
六番隊
小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋統増、筑紫広門、毛利輝元
七番隊
宇喜多秀家ほか
八番隊
浅野幸長、中川秀政、宮部長熈ほか
九番隊
豊臣秀勝、細川忠興、長谷川秀一、木村重茲ほか
水軍
九鬼嘉隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤嘉明、亀井茲矩、菅達長、桑山一晴、桑山貞晴
15万8300人
この戦国武将オールスターズよ
誰かこれを題材に漫画描いて欲しい
一番隊
宗義智、小西行長、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、五島純玄
二番隊
加藤清正、鍋島直茂、相良長毎
三番隊
黒田長政、大友吉統
四番隊
毛利勝信(森吉成)、島津義弘、高橋元種、秋月種長、伊東祐兵、島津忠豊
五番隊
福島正則、戸田勝隆、長宗我部元親、蜂須賀家政、生駒親正、来島道之(得居通幸)、来島通総
六番隊
小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋統増、筑紫広門、毛利輝元
七番隊
宇喜多秀家ほか
八番隊
浅野幸長、中川秀政、宮部長熈ほか
九番隊
豊臣秀勝、細川忠興、長谷川秀一、木村重茲ほか
水軍
九鬼嘉隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤嘉明、亀井茲矩、菅達長、桑山一晴、桑山貞晴
15万8300人
この戦国武将オールスターズよ
誰かこれを題材に漫画描いて欲しい
78: 歴ネタななしさん
てか逆になんで日本側こんなに死んでないのよ
101: 歴ネタななしさん
当時の韓国て稲作とかできないの?
何食って生活してたんだよ
何食って生活してたんだよ
123: 歴ネタななしさん
>>101
コーリャン
コーリャン
145: 歴ネタななしさん
>>101
ヒエやキビや高粱みたいな雑穀をお粥にして食べてた
箸よりも匙がメインで使われてたから今でも箸とセットでスプーンが出てくる
ヒエやキビや高粱みたいな雑穀をお粥にして食べてた
箸よりも匙がメインで使われてたから今でも箸とセットでスプーンが出てくる
102: 歴ネタななしさん
死ぬ気で中国になだれ込んでたら
清になれてたかもしれんが
まあそういう感じじゃなかったんだろうな
清になれてたかもしれんが
まあそういう感じじゃなかったんだろうな
137: 歴ネタななしさん
>>102
朝鮮すら維持できないのにそれは不可能だって当時の日本軍すら理解してる
加藤清正以外は朝鮮統治の専念に賛成した
朝鮮すら維持できないのにそれは不可能だって当時の日本軍すら理解してる
加藤清正以外は朝鮮統治の専念に賛成した
112: 歴ネタななしさん
半島なんかより東南アジアに行けよ
116: 歴ネタななしさん
>>112
山田長政定期
山田長政定期
153: 歴ネタななしさん
>>112
台湾や東南アジアは疫病で死ぬで
昭和の日本軍ですら疫病が蔓延して地獄を見たんやし
戦国時代の医療レベルやと上から下まで死にまくる
台湾や東南アジアは疫病で死ぬで
昭和の日本軍ですら疫病が蔓延して地獄を見たんやし
戦国時代の医療レベルやと上から下まで死にまくる
113: 歴ネタななしさん
信長は一世代で価値観変えようとしたり家康は理由こじつけて飼い殺しにしたりと色々やってたけど秀吉で内政でなんか斬新なことやったんか
平定したのにまた戦争で大名管理しようとしたのは無能やろ
平定したのにまた戦争で大名管理しようとしたのは無能やろ
126: 歴ネタななしさん
>>113
惣無事令
太閤検知
刀狩り
バテレン追放
惣無事令
太閤検知
刀狩り
バテレン追放
131: 歴ネタななしさん
>>113
天下統一が何よりやろ
天下統一が何よりやろ
170: 歴ネタななしさん
>>113
1582 本能寺の変
1583 賎ヶ岳
1584 小牧長久手
1585 四国平定 関白就任
1586 家康臣従
1587 九州平定
1590 関東平定奥州平定
これと平行して内政整えてるからなあ
しかもこの戦役は全て自ら出陣してる
1582 本能寺の変
1583 賎ヶ岳
1584 小牧長久手
1585 四国平定 関白就任
1586 家康臣従
1587 九州平定
1590 関東平定奥州平定
これと平行して内政整えてるからなあ
しかもこの戦役は全て自ら出陣してる
132: 歴ネタななしさん
島国は引きこもるしかないんだよ
現実的なところでフィリピン占領くらいが限界やろ
現実的なところでフィリピン占領くらいが限界やろ
144: 歴ネタななしさん
>>132
ここまでは行けたぞ
ここまでは行けたぞ
146: 歴ネタななしさん
>>144
アメリカさん強すぎた
アメリカさん強すぎた
150: 歴ネタななしさん
>>144
いけたというかひきこまれて餓死させられたってかんじ
いけたというかひきこまれて餓死させられたってかんじ
155: 歴ネタななしさん
>>144
四面楚歌定期
四面楚歌定期
156: 歴ネタななしさん
>>144
今見るとホンマ無能やな
維持できるわけないやん
今見るとホンマ無能やな
維持できるわけないやん
165: 歴ネタななしさん
>>144
これどこまでなら維持できたんや?
朝鮮、台湾、満州くらいまでで止めとけばよかったんか?
これどこまでなら維持できたんや?
朝鮮、台湾、満州くらいまでで止めとけばよかったんか?
476: 歴ネタななしさん
>>165
後で窮して蒋介石は相手とせずとか言うぐらいなら初めから中国相手に仕掛けんでおけばよかったんや
連合軍の戦後の評価でも海ではアメちゃんに負けて陸では中国の誘引戦術に負けたって指摘されとる
後で窮して蒋介石は相手とせずとか言うぐらいなら初めから中国相手に仕掛けんでおけばよかったんや
連合軍の戦後の評価でも海ではアメちゃんに負けて陸では中国の誘引戦術に負けたって指摘されとる
171: 歴ネタななしさん
強いからフルボッコにはできたけど兵站が維持できんからな
朝鮮半島は土地も痩せてて何の魅力もないし
朝鮮半島は土地も痩せてて何の魅力もないし
183: 歴ネタななしさん
露梁海戦とか朝鮮軍大将、李舜臣を含む李舜臣直属の武将10人が全員死んでるからね
日本の武将は1人も死んでないのに
日本の武将は1人も死んでないのに
191: 歴ネタななしさん
>>183
武将は沢山死んでる
大名級には死者は出てないが家老や一門の死亡は何十人やで
武将は沢山死んでる
大名級には死者は出てないが家老や一門の死亡は何十人やで
コメント
ただ失ったものがなにもないんよね
だから形式的には国を挙げての侵略戦争だが実情は山賊野盗と変わらないわけで、コレでは如何に強くとも短期かつ限定的な支配に為らざるを得ない
ましてや朝鮮半島には大陸からの後詰めがあるから泥沼化するのは避けられんわね
それやるなら朝鮮なんて辺境攻めるべきじゃなかったしな
最初から領土切り取り方針ならまた違ったと思うが、当時の朝鮮なんて貧しすぎて誰も統治したがらないという
その通りで第4次川中島は引き分けではなく
上杉の惜敗で武田の辛勝なんだよな
つまり上杉は武田に全敗で北条にも全敗したことになる
第4次は領土争いと言うかお互い相手に大損害を与えるのが目的の決戦だったって言う解釈
北条は謙信が帰ると取り返す、で謙信がまた来たら取られるだから全敗って言い方は変。
最終的には北条勢力が関東をほぼ制圧するが
島津は跡取りが死んでるし
むしろその三人で一番斬新なことやったのが秀吉や
日本が中世から近世になったのは秀吉の時代であり太閤検地と刀狩りの結果や
倭寇のマネして沿岸部を襲って江南に拠点確保した後に京杭運河を封鎖すれば北京は何もできなくなる。
日本軍は戦略的・戦術的目標をすべて達成していて
翌年には朝鮮国の首都への大攻勢の予定があった
対する明朝鮮軍は10万人以上を動員した大攻勢をしかけたが
すべて敗退して、人員もなく兵糧もなく、
秀吉が亡くなった後も、もしあのまま日本軍が駐留していたら
もうなんの手立てもなかったと朝鮮の記録に記されている
戦略も戦術も進退も完全に日本が
イニシチアブをとっていたので、この状態においての
戦争の終了の状況をを日本が負けとの表現はまったく正しくない
指導者が亡くなったので戦争終了が正しい
(同じ例としてモンゴル帝国の欧州遠征等がある)
はいはい、そうやって必死に現実逃避していろよ
17の内容は当時の日本、明国、李氏朝鮮に記載されている
共通の歴史的な事実だよ
文句を言うのなら当時の明と朝鮮の史官に言わないと
日明の略奪三昧で完璧に農民離散焦土化した半島の南端の城に引き篭もってたらそら攻勢に出た相手は兵站もなくって状態になるわ
日本が北上したところで平壌の手前くらいで攻勢限界がオチ
https://kamurai.itspy.com/nobunaga/chosensyuppei.html
https://sites.google.com/site/woruzan/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.com
明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第三次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)
第二次平壌の戦い(日本勝利)
第三次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(日本勝利)
露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将の鄧子竜が戦死。
特に慶長役で明軍が負けた戦いは、いずれも明史、朝鮮王朝実録などで
大敗、大損害、人が溶けたと表現されるくらいの潰走っぷり。
第二次晋州城攻防戦では明軍救援に赴かず(または秀吉軍に撃退されたとも)
南原の戦いでも付近にいた陳愚衷旗下の明軍3000千は動かず、
南原が落ちると、これも付近にいた朝鮮軍1000とともに散り散りになって逃げた。
戦意も低く、日本軍を恐れているのがわかる。
とってかなり恥ずかしい内容。
平壌戦の経緯。
平壌城攻防は、小西行長が
アホみたいに律儀にも明との和平交渉を信じ込んでて、
これまた停戦期間が過ぎても、進撃もしなかった
斥候を出すようなこともしていなかった。
そんな中、李如松率いる53000以上の明と朝鮮連合軍に
小西行長軍15000は奇襲攻撃されたんだよ。
1・和平と偽って騙し討ちで奇襲
2・奇襲かつ4倍近い兵力で挑んだものの大苦戦で、小西軍を殲滅できなかった
3・日本兵一人を討ち取るのに明軍5-6人を失うと記される小西軍の勇戦。
4・結果、明軍は3000の死傷者を出し、4人の武将も負傷している
5・明軍が得た1285の首級の半数は朝鮮人の首(偽の戦果報告のため)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tokugawa
だから日本の戦略戦術に翻弄された結果、
明と朝鮮はそんな生き絶え絶えの状態になったわけだよ。
歴史的事実としては>>17に書かれていることが全てで
攻勢限界だのは妄想の域に過ぎない
漢人と戦と10回戦うときに7回勝ち、倭人と10回戦うとき3回勝ち、野人と10回
戦うと5回勝つ。
https://sillok.history.go.kr/popup/viewer.do?id=kna_13110012_007&type=view&reSearchWords=&reSearchWords_ime=
http://konishiyukinaga.livedoor.blog/archives/6378761.html
「ところでシナ人たちは、日本人らが用いる武具は、自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、人々は信じることができなかった。したがって真実を知る一部の者が、例えシナ軍は数の上で勝っていても、日本軍と戦うことは不可能であると言っても、これを聞こうとする者はいなかった。」
「日本人はシナ人よりも勇敢で、武器ならびに戦術の点で優れており、数々の面でシナ軍の劣勢は疑えない。」
明、朝鮮は日本軍に勝ち目がなかったが秀吉が死去したことにより撤退した
『明史・朝鮮伝』では秀吉の朝鮮出兵をこう総括している。
「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」(自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。)
宣祖106巻 1598 11月24日
李山海、尹斗壽、鄭琢らの家臣は、朝鮮王の宣祖に
我が国に於いて7年間、敵と対陣していましたが、
一つの敵陣も陥落させることができず、
敵が悠々と海を渡っていったことは憤慨の至りです
民も無く、運ぶ食料もないので、
我が国は危機的状況です
敵がもし長く滞留していたなら、
もはや、成す術もありませんでしたが、
幸いなことに、3路の敵は引いていきました
宣祖108巻 1599 1月9日
明将・麻貴も、朝鮮王・宣祖に
今回、敵が引いたのは関白(秀吉)が死んだからであり、
近いうちに、より強力な軍勢でやってくるだろう
と記している。
明史も宣祖実録もいずれも明・朝鮮軍に勝ち目がなく秀吉が死んだから撤退したと記しています。
わが国の記録も同様で、慶長の役では日本軍は勝ち続けました。
明史が清の時代に編纂されてるのは承知で立場の異なる国の記録が書いていることが一致していることの事実は重たいことを指摘しておきます。
此自倭犯中國始有之。彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は倭が中国に攻めてきた時わかったことである。彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
倭はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。
だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。
その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
『歴代中日両国刀剣(術)の交流』
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm
隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
・日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が
“軍器寺藏倭刀雖下品, 甚鋭利, 實軍國重器, 輕易和賣未便。
” 「軍器寺(武器庫)に保管してある倭刀はどんなに下級品でもとても鋭利だから、真に軍国の重器なのに、簡単に売ってしまうのは不都合です」
この証拠は、この時期の日本軍が短兵戦でより優れていたという事実を単純に示している。
https://historum.com/t/spanish-conquset-of-ming-china.83765/page-16
碧済館の戦い 兵数
碧蹄館の戦いの投入兵力を考察する
明軍が関わった万単位の主要戦
7勝2引1敗
第一次平壌(日本軍勝利)日本軍10000vs明軍5000
第二次平壌(明朝鮮軍勝利)53000vs日本軍15000(明軍勝利、勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館(日本軍勝利)明軍20000vs日本軍20000
稷山(引き分け)明軍2000(援軍2000)vs日本軍5000(黒田軍援軍25000が駆けつけ明軍は数的不利になり撤退)
南原城(日本軍勝利)明朝鮮軍6000vs日本軍56000
第一次蔚山(日本軍勝利)日本軍10000vs明朝鮮軍57000
第二次蔚山(日本軍勝利)日本軍10000vs明朝鮮軍30000
泗川(日本軍勝利)日本軍7000vs明朝鮮軍30000
順天(日本軍勝利)日本軍13000vs明朝鮮軍56000
露梁(引き分け)日本軍10000vs明朝鮮軍20000
ボクシングには単純な動きしかありませんが、どれだけマニュアルを読んで練習したとしても、パートタイムの趣味でプロの格闘家のレベルに近づくことはできず、ましてやマニー・パッキャオのような選手には届きません。本の知識と実際の経験を混同しないようにしましょう。
なんやこのおでんみたいな文字
ニダッ
7勝2引1敗
第一次平壌戦〇
第二次平壌×
碧蹄館〇
稷山△
南原城〇
第一次蔚山〇
第二次蔚山〇
泗川〇
順天〇
露梁△
https://www.zhihu.com/question/507662860
https://www.muyangsanguo.com/archiver/tid-27203.html?page=1
https://pure.uva.nl/ws/files/3097494/11107_UBA002000496_16.pdf
https://plaza.rakuten.co.jp/btron/diary/201107010001/
スペイン人が征服する、というと嘲笑して、仮令身を守るべき武器はなくても、
死体で城壁を築き、何人も通さないように出来る、などと語っている。
尤もこの野蛮人共は、スペイン人というものを知らず、
スペインの僅かな鉄砲隊でも、
何百万人もの支那人を滅ぼすのに充分だということを知らない
先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
二、三〇〇〇人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜にわたり包囲しながらも攻撃を加えることが出来ず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、それに乗って逃げてしまった
支那の征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。
(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』より)。
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して退がらない。
こちらが何人いようと対応される。
日本列島の者だけの絶技である。
その日本の武器を我々は単刀と呼ぶ。
両手で一振りの刀を用いる。
日本人独自の技だ。
その技はよく鍛錬されており精密で堅固だ。
日本刀は扱いやすく、柄や鞘等の拵えにいたるまでそれぞれが理にかなっている。
その他の刀剣で日本刀に並ぶものはない。
さらによく研磨された日本刀は、日の光を反射して我々の目を射る。
我々はその光に心寒する。
日本の剣術は、左右への変化が奇抜で神秘的であり常人に予測できるものではない。
ゆえに槍などの長柄武器を用いても常に日本刀に敗れてしまう。
https://gall.dcinside.com/mgallery/board/view/?id=ubisoftgames&no=1346
https://historum.com/t/spanish-navy-vs-oda-nobunagas-navy-in-ad-1578.137985/page-3
ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ事件
アルビオン クリュニー:6.5mm~2.5mm
アルビオン タルホッファー: 8.6mm ~ 4.3mm
半威武蔵:7.4mm~6mm
ハンウェイ折り鶴:6.4mm~4.4mm
半威鬼:6.4mm~4.3mm
また、単位長さあたりの重量を比較することもできます (これはアンティークの長剣と現代の刀の再現です)。
単位全長あたりの平均重量 (mm あたりのグラム数):
ロングソード = 1.35 g/mm
刀 = 1.10 g/mm
単位刃長あたりの平均重量:
ロングソード = 1.74 g/mm
刀 = 1.60 g/mm
彼らは明らかに、何らかの理由でより多くの鋼材が必要であると判断した。
しかし、長剣の方が単位長さ当たりの鋼材の量が多いため、「彼ら」はヨーロッパの刀鍛冶ということになります。
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/5aoja8/katana_and_longsword_weights_and_lengths/
https://zhuanlan.zhihu.com/p/136087018
伝統的な刀は、典型的な中世ヨーロッパの剣 (および多くの中世以降のヨーロッパの剣) や世界中の他の多くの剣と同じように、ブルームリー鋼で作られています。鋼材を折り曲げるのは、ブルームリー鋼材の加工では通常の作業であり、世界中で行われていました。
刀を作る際に行われた他の 2 つの特別な「日本的」こと、つまり鉄鋼の積層構造と硬化の違いも、世界の多くの地域 (中世ヨーロッパ、東南アジア、中国、中央アジア、インドなど) で一般的でした。
基本的に、典型的な 15 世紀の刀は 15 世紀のヨーロッパの剣と非常によく似た方法で作られ、平均してほぼ同じ品質でした。良いもの、平均的なもの、悪いものがありました。ほとんどの場合、彼らはうまくいきました。
これは悪い情報源ではありませんが、収集と処理が非常に非効率的であるだけです。
濃縮するのが簡単 - 洗うだけで、珪砂が洗い流される間、重いマグネタイト粒子が残ります。大規模な砂金採りのようなもの。発破前の硬岩採掘よりも労働集約的ではありません。
日本ではどうやって刃物を作ったのでしょうか?彼らは鋼を折りました - 同じことが中世ヨーロッパでも行われました。彼らは鋼と鉄を積層した構造を使用していました - 同じことが中世ヨーロッパでも行われました。彼らは異なる硬化を使用しました - 同じことが中世ヨーロッパでも行われました。
基本的に同じ金属で作られています。
刀:ブルマリー炉で作られた鉄と鋼の積層構造として作られています。すべてのブルーム鉄/鋼と同様に、金属はスラグを除去し、より均質にするために繰り返し折り畳まれます。剣は異なった硬化が施されました。
ロングソード:ブルマリー炉で作られた鉄と鋼の積層構造で作られています。すべてのブルーム鉄/鋼と同様に、金属はスラグを除去し、より均質にするために繰り返し折り畳まれます。剣は異なった硬化が施されました。
差動硬化の方法は 2 つで異なります (粘土コーティングによる差動焼戻しと緩み焼入れによる自動焼き戻し) が、どちらも差動硬化の目標を達成しています。
中世以降、ヨーロッパでは全鋼製の剣が使用されるようになりました。中世後期の剣 (ロングソードなど) は通常、鉄と鋼の積層板でした。「ヨーロッパのロングソードは均質なバネ鋼だった」というのは俗説です。ヨーロッパの小型剣は確かにそうですが、ロングソードはそうではありません。
ハンツマンプロセス: 1740。ロングソードとしてはかなり遅いです。
全鋼製の長剣が現存している。全鋼の剣はブルメリー鋼、あるいはおそらくは精錬鋼で作られたであろう。どちらのタイプの鋼も折り畳まれていた可能性があり、これらのロングソードの一部では折り畳まれていたことは間違いありません。私が知っている最も均質に近いものは、エッジに沿って 45HRC から 50HRC まで、コア全体で 40HRC から 50HRC まで変化する硬度を持っています (つまり、それほど均質ではありません)。
実際のロングソードの冶金については、以下を参照してください。
ウィリアムズ、アラン、『剣とるつぼ: 16 世紀までのヨーロッパ剣の冶金の歴史』、ブリル、2012 年。
異なる硬化はヨーロッパの剣では一般的であり、中世 (つまり 14 世紀と 15 世紀) の全鋼剣の多く、おそらく大多数は異なる硬化が施されています
https://www.reddit.com/r/AskHistorians/comments/77tq5r/japan_and_its_history_in_refined_steel/
戦闘用の両手剣としては、サイドリングの付いた長い十字架(できれば十字架の端が刃に向かってカールしているもの)が好きです。
鎧をほとんどまたはまったく装備せずに戦闘で使用する片手剣の場合は、バスケットの柄が最適ですが、剣がかなり重くなる可能性があります。シンプルなナックルボウは軽量の代替手段です (ただし、防御力ははるかに低くなります)。
EDC(日常携行)民間刀の場合は、ガードが小さいか、ガードなしが最適です。
新しい神話とは何でしょうか?ヨーロッパの中世の長剣は通常、鉄と鋼の複合材であったということですか? ヨーロッパ中世の長剣は(少なくとも刃には)ブルーマリー鋼を使用して作られていたということですか?ヨーロッパの中世の長剣は通常、異なる硬化が施されていたということですか?
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/178brer/katana_with_modern_steel_but_traditional_forging/
・少なくとも東国の武士は騎乗のまま戦う事も下馬して戦う事もあり、状況により柔軟に切り替えていた。
・東国の戦国大名、少なくとも北条家には奉行一人あたり100騎弱で編成された騎馬の部隊があり、武田家にも騎馬の部隊があった。
・ただしその部隊は日常的に訓練され、徒歩の人間の補助を必要とせず、大部隊で密集突撃を仕掛けるような「近代の騎馬隊」とは言えない存在だった。
また、日本の騎馬隊の規模も小さすぎるとは言えません。
岩付衆の騎馬隊は奉行一人あたりは100騎を切る規模ですが、岩付衆全体では500騎です。岩付衆は一つの備ですので、この500騎は共に備全体を指揮する武将の指揮下にあった事になり、まとめて運用する事が可能だったと見るべきです。
欧州の例ですがグスタフ・アドルフ軍の騎兵は、4個中隊からなる総勢500騎前後の連隊か、8個中隊からなる1000騎前後の連隊に編成されていました。
つまり岩付衆の騎馬隊は、グスタフ・アドルフ軍の騎兵連隊の内小規模な物とほぼ同程度の規模だったわけです。
北条家には岩付衆の他にも備えがあり、岩付衆が最大の備だった訳でも在りませんので、岩付衆よりも大規模な騎馬隊を要していた備も存在していたはずです。
こう考えれば、当時の東国大名の騎馬隊の規模は、同時代の欧州の物と比べてもほぼ遜色なかったといえます。
これはフロイスが確か元亀2年の和田惟政勢の戦いを見たときの記述だったと思うのですが和田勢が劣勢で総数で200程(騎馬武者は50騎もいなかったかと)で相手は千名だったと記憶してます
この状況で騎馬突撃するのは有り得ないです 降りて守りを固め援軍を待つのが常道でしょう(実際援軍が向かってる状況だったと記憶してます)
降りて戦ったという一文だけ取り上げて前後の状況を無視して論拠にしてはいけないと思います(鈴木氏も此を取り上げて否定論の根拠にしてました)
倭寇53人
https://www.zhihu.com/question/505482835/answer/2270815370
https://www.zhihu.com/question/57106700/answer/2054154758
https://archive.org/stream/dli.doa.007/007_djvu.txt
https://www.pinterest.jp/pin/1103663452420399948/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/17gw32s/comment/k6oi5xe/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/tf6e9n/were_katanas_really_that_bad/
https://www.reddit.com/r/Katanas/comments/10ma2zh/matthew_jensen_responds_to_shogo/
https://www.reddit.com/r/AskHistorians/comments/77tq5r/japan_and_its_history_in_refined_steel/
http://myarmoury.com/talk/viewtopic.37414.html
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/sejy8h/what_are_some_misconceptions_about_swords_that/hukieq8/?context=8&depth=9
https://www.reddit.com/user/Slowsmallcat/
19 世紀と 20 世紀のヨーロッパ 突き剣
https://www.reddit.com/r/AskHistorians/comments/h908e8/japanese_curved_swords/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/10kett1/im_writing_a_book_and_while_researching_katanas_i/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/p16ky1/why_did_the_japanese_opt_for_differential/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/n4yl0y/how_much_better_would_a_sword_made_today_be_than/
https://www.reddit.com/r/SWORDS/comments/jew2i9/is_differential_hardening_like_in_katana_always_a/
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