1: 歴ネタななしさん
穴太遺跡の角柱建物と板塀
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大津市下阪本の穴太(あのう)遺跡で、古墳時代中~後期(5~6世紀)の大型掘っ立て柱建物の柱と板塀が残存した状態で出土し、大津市が19日に発表した。柱は通常の丸柱ではなく、全国で約10例だけが知られる断面が長方形の角柱だった。専門家は「古墳時代の有力層による建物や区画施設の具体的な姿を知る重要な成果」と指摘。今後、建物の用途をめぐり議論を呼ぶほか、復元案についても注目される。

【写真】残存していた13本の角柱のうちの1本。深さ40~50センチの柱穴に据えている

発見された大型建物跡は中心部を含む部分が調査区外のため全容は不明だが、南北4間(8・5メートル)、東西5間(8・3メートル)の規模と推定される。

柱穴は16基が確認され、このうち13基に角柱が残存していた。地下水位が高いため真空状態が保たれ、腐らず残ったとみられる。角柱は断面が縦20センチ、横10センチ程度で、樹種は未特定だが針葉樹という。

市文化財保護課によると、角柱をもつ建物跡は、5世紀に権勢を誇った大豪族、葛城(かつらぎ)氏を象徴する極楽寺ヒビキ遺跡(奈良県御所市)や、藤原宮跡(同県橿原市)の下層の5世紀代の遺構などで出土例がある。角柱を表現したとみられる家形埴輪(いえがたはにわ)も存在するが、加工に手間のかかる角材を使用した理由は分かっていない。

角柱の間からは、建物と同時期に存在した可能性がある自然流路が確認された。流路からは古代の祭祀(さいし)と関係が深いとされる桃の種が見つかっており、建物の用途を知る上で重要な手掛かりになりそうだ。

板塀は建物跡の東面と南面に平行し、それぞれ南北12メートルと東西5・5メートルにわたって伸び、いずれも途中で直角に曲がっている。このうち長い方の板塀は、両サイドから支えたとみられる板材も残存していた。これらの残存する板塀とは別に、板塀の痕跡の可能性がある溝状の遺構が、建物を囲うように巡っていた。

調査を担当した同課の山崎公輔技師は「柱材だけでなく板塀まで残存するのは全国でも例がないのでは。遺物が少なく、重要な儀礼用の空間だった可能性を考えている」と話す。

大阪公立大学の岸本直文教授(考古学)は「極楽寺ヒビキ遺跡の大型建物は政治や祭祀にかかわる施設とされるが、今回の遺構も有力層の本拠地の一画と考えられる重要な成果だ。遺跡全体の区画と建物の復元など、全体像を把握してほしい」としている。(以下ソース)

7/19(水) 19:14配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/46ed185fd82ac3c83d73e36dd6529bc0465217ea
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11: 歴ネタななしさん
>>1
「大和政権」も合議体って話みたいだし、そのうちの一人かもしれないね。

6: 歴ネタななしさん
卑弥呼がどうのこうの

7: 歴ネタななしさん
穴は細いほうがゴニョゴニョ

9: 歴ネタななしさん
近畿は掘ればいくらでも出てくるからな・・
九州説?マジで言ってるの?って

15: 歴ネタななしさん
つか、五世紀という段階で邪馬台国は関係ねえし。

24: 歴ネタななしさん
>>15
なんでも邪馬台国と皇族に結びつけたがるキチガイがいて
残念ながらそんなキチガイが予算を握ってたりするから
どんどんおかしなことになってる

16: 歴ネタななしさん
>掘立柱建物

なんか不遜じゃね? 仮にもご先祖様の有力者様候補なんやろ?

17: 歴ネタななしさん
あのうって読んでね

19: 歴ネタななしさん
>>17
賀名生かと思ったがな

21: 歴ネタななしさん
太古のオウミ住宅

22: 歴ネタななしさん
細波の、楽浪のは大津や滋賀の枕詞

59: 歴ネタななしさん
穴太って八尾市にもあるよな
読み方も同じ

62: 歴ネタななしさん
葛城氏の祭祀or政庁遺跡と似たようなものがあるのか
共通の勢力とは思いにくいから当時の最先端のスタイルなのかな?

65: 歴ネタななしさん
この頃の大津の辺りを支配してた豪族って誰だろうな
この時期のこの辺の古墳とかそんなデカいのがあるわけでもないし

66: 歴ネタななしさん
水路と桃の祭祀は伊勢遺跡とかに先行的な物があるがそれを踏襲してると言うことかな
地域的には連続性を感じられるな

69: 歴ネタななしさん
和邇氏の拠点に近いがその関連なのかな
葛城氏が衰退した後に葛城氏に次いで后妃を沢山出してた和邇氏に葛城氏の祭祀を引き継がせたとか
飛躍だけどそういう流れも想像できて面白いな

70: 歴ネタななしさん
葛城氏、和邇氏、蘇我氏と海外に任務を帯びた豪族が拠点にする傾向のある土地だな

71: 歴ネタななしさん
北陸に渡来系を纏めて住まわせてるし監視の関としての役目もあるんでないかい

72: 歴ネタななしさん
継続的にこういう建物が作られたわけじゃないようだからこの建物がこの地域の伝統と言うわけでもなさそうだ
葛城氏の遺跡が焼失した後に出来るから、葛城氏の祭祀を奪い取って別な場所で行いその勢力を完全に断つために作ったのかも知れないな
面白いな

73: 歴ネタななしさん
中国南朝の宋帝国(劉宋)の正史『宋書』に登場する倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武の時か

74: 歴ネタななしさん
葛城氏、和邇氏、近江氏とかが活躍するのも五王の頃だね
朝鮮半島への働きかけが盛んな時期だな

75: 歴ネタななしさん
近江氏はもっと後か

76: 歴ネタななしさん
大津も昔から栄えていたんだから、それなりの遺跡や遺物が出るのは当たり前

角柱がこの時期から使われていたというのは興味深い

ネタ元: ・【滋賀】大型建物の角柱と板塀残存、古墳時代有力層の重要施設か 大津・穴太遺跡 [樽悶★]