1: 歴ネタななしさん
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1.黒田長政(1568~1623)
 長政は、智将として知られる官兵衛の子である。官兵衛は長政に早い段階で家督を譲り、後見の立場となった。慶長の役のとき、官兵衛は豊臣秀吉の命令に背いたことを咎められ、危うく処分されそうになった。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/987bb22365d32fcd09e9604cbe2118c743ca73ca

1: 歴ネタななしさん
 しかし、秀吉は黒田家のこれまでの貢献を評価し、厳しい処分を科すことを取り止めたが、長政の心は秀吉から離れた。

 関ヶ原合戦前夜、長政と官兵衛は早々に東軍の徳川家康に味方し、西軍の諸将を東軍に引き入れようとした。その結果、毛利輝元、小早川秀秋らの有力諸将が西軍を寝返り、東軍に身を投じた。

 実際の戦いにおいても、長政は大活躍し、戦後の恩賞として初代の福岡藩の藩主になったのである。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/987bb22365d32fcd09e9604cbe2118c743ca73ca

2: 歴ネタななしさん
東西共に敵

3: 歴ネタななしさん
豊臣がぽっと出なせいか恩顧大名も全然恩顧感じてねえよな

4: 歴ネタななしさん
>>3
加東福島がバカだったからね
最低福島が西軍にいれば尾張で足止めして突破なんかまず無理だった
あとは上杉が最上なんか遊んでないで関東に進んでればね

5: 歴ネタななしさん
>>4
石田三成が器じゃなかっただけ、せめて淀殿が動けば話は変わったかも。

6: 歴ネタななしさん
一族存続の為じゃ

8: 歴ネタななしさん
>>1
> 関ヶ原合戦前夜、長政と官兵衛は早々に東軍の徳川家康に味方し、西軍の諸将を東軍に引き入れようとした。その結果、毛利輝元、小早川秀秋らの有力諸将が西軍を寝返り、東軍に身を投じた。

毛利?

11: 歴ネタななしさん
毛利の両川は東軍だが本家は西軍だろ

9: 歴ネタななしさん
何が軍師官兵衛だよ
家康も撃破出来なかった無能な不忠者
黒田が残ったから尾ひれが付いた物語だろ

12: 歴ネタななしさん
もともと黒田家は播磨守護赤松家の分家の小寺家の家老
秀吉に忠義を尽くす義務もない

生き残るために織田家について秀吉配下になっただけ

14: 歴ネタななしさん
福島正則は秀吉の親戚で豊臣家連枝
加藤清正や加藤嘉明、石田三成は小姓部屋から育てた秀吉子飼い武将

独立土豪だった黒田家とは違う

10: 歴ネタななしさん
大河のやつで関ヶ原の時に九州で暴れてたのは楽しそうだった

15: 歴ネタななしさん
>>10
さすがの官兵衛も 関ヶ原が1日で決着するとは思わなかったんだろうね
もう少し長引いていれば九州は面白い事になってたかも

17: 歴ネタななしさん
>>15
島津と加藤、黒田連合軍がどうなるか面白い所だったな。
もし島津と連合軍になったら毛利と組んで確実に徳川は負けてたかも、その危惧があったから関ヶ原後に島津を攻め滅ぼせなかったわけだが。

16: 歴ネタななしさん
>>15
大名でもない父上「まったくよのう」

18: 歴ネタななしさん
関ヶ原の時点では三成が謀反人だからな。
西軍は勝手に大阪城乗っ取った連中、
東軍は秀頼さまから上杉討伐を命じられた豊臣家正規軍

ネタ元: ・黒田長政は東軍に付く事がはっきりとしていたが黒田官兵衛はそうでもなかったよな? [194767121]