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1: 日本@名無史さん
一見順当そうなで、実はいろいろあったよなぁ・・・

秀忠.家光.家綱.綱吉.家宣.家継.吉宗.家治.家慶.家茂・・・のあと「誰っ?」って



世継ぎ争いって、結構奥深いと思うのは俺だけか?

3: 日本@名無史さん
一見順当そうだった試しがない気が

4: 日本@名無史さん
NHKBS『英雄たちの選択』
天英院ageひどすぎる
吉宗に決定したいきさつは、そんな単純じゃないだろう

6: 日本@名無史さん
家宣の遺言が本当なら、彼は英君というべきでしょう。
将軍職は血のつながったわが子に継がせたいと思うのが人情。
なのに、幼い家継では心配だから、尾張吉通に跡を委ねるべきでは・・・と。

新井白石の反対で実現しなかったとはいえ、  家宣の思いは、吉通か家継しかなく、吉宗の出る幕はなかった。

家継にいったん継がせた後、万一家継に故障があったなら、・・・ってそうした事態を想定して、尾張の五郎太か紀伊の長富丸が名が出てきて、ようやくその後見として紀伊吉宗の名が登場する。

だが、家継が危うくなった時、すべてひっくり返されたんだよ。
そこに天英院とか月光院の意向とか、水戸と紀伊の談合とか・・・そういう事情があったかどうかに関係なく、 最有力者の吉通の死がその後の歴史を変えたんだと思うな。

>>6
徳川家康が3代家光以降は馬鹿でも幼児でも長男相続を徹底したから徳川は400年もった
直系長男がいてもそれを退けて家督相続を認めるとお家騒動が起こる可能性を新井白石は指摘したのであり、新井白石の手柄のような書き方をしているからすべて史実かは分からんがな

幼君は心配だからと我が子を退けようとしたなら家宣は必ずしも英邁ではない
血筋よりも能力重視で跡取りを選ぶとなるとお家騒動に発展する

>>7
>血筋よりも能力重視で跡取りを選ぶとなるとお家騒動に発展する
英雄の選択でも言及されてたな

>>7
直系長男の相続をさせなかったのは家康なんだけどな。
秀吉への人質として養子に出されたとか、鶴松誕生後に結城家に追い出されちゃったとかで、アウトになった経緯はわかるけど。

問題は、直系長男がいないか死んじゃった家綱・家継・家治・家定・家茂の跡継ぎだろう。
慶喜の例を除いて、結果的には将軍家のより近親者が選ばれていたようなんだけど、
家治の後の家斉が例外なんだよ。
本来なら甥の家斉より弟の清水重好でしょう。
病弱説、ゲイ説いろいろあるけど、甥が弟に勝ちゃったわけで、
幼い家斉を迎えたことが、人材で選んだなんて言う心算ないけど。

>>12
だから、戦国時代には徳川(松平)家を含め直系長男相続が徹底されていなかった
一族内紛、お家騒動も大名家では頻繁に起こっていた
家康は天下を執ったら考えを改めお家騒動を避けるために直系長男相続にした
次男の国松のほうが優れていようとも長男の竹千代(家光)が跡取りであると決めた

家斉は家治の従弟の子
清水重好は家治の実弟だがあまり年齢が違わない上に
中年になっても子が一人もおらず次代は養子になることが確定していたため候補から外れた

8: 日本@名無史さん
いい意見だと思う
家宣の遺言と称せらるのは白石の「折りたく柴の記」が唯一のソ一スだから史実かどうか留保してるし

ただ俺はさらに穿って家宣が本当にそんな遺言を残したかどうかを疑うな

白石の書述が自分を斥けた吉宗が将軍になってからという時期から推測すると、その意趣返しで本来あんたは有資格者じゃなかったって主張したかった気がする

長子相続についていえば
家宣のあとより家継のあとが厄介になったんだろう
御両卿に比する家柄はないし【越智】松平清武は臣籍に【降ち】ているし
天英院が当初清武を推したという話だってソ一ス不明だよね

>>8
>家宣のあとより家継のあとが厄介になったんだろう

家継は結果的に8歳で早世したからそうなるだけで
後継者に決まった時点では将来多くの男子に恵まれて
吉宗よろしく御三卿を立てて徳川の藩屏とする可能性もあったわけだし
「早世する予定の家継ではあとが大変」というのは家宣死亡時点で分かってるはずもない
ちなみに尾張吉通は家宣死亡の翌年、25歳で没している

家継は将軍になった後、霊元天皇皇女・八十宮吉子内親王と婚約している
家継早世により実際に吉子内親王が江戸へ下ることはなかったが
実現していれば和宮親子内親王より先に公武合体になるはずだった
早世する家継では将来不安なら内親王と婚約なんてしないだろう

15: 日本@名無史さん
田安家の定信の不運
治済が二人の兄が去った跡に一橋家を継いだ幸運

16: 日本@名無史さん
本人が後継を争ったのは吉宗だけじゃないか?

ネタ元: ・徳川将軍家の後継争いについて語るスレ