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1: 歴ネタななしさん
尊氏とか家康もそっち目指してたの?

2: 歴ネタななしさん
幕府は元々近衛大将(羽林大将軍)の事。
頼朝が幕府である近衛大将から征夷大将軍に任官したのが武家の前例になっただけ。

3: 歴ネタななしさん
頼朝、尊氏、家康が生きてた頃には
「幕府」なんて言葉は使われてなかったからな

4: 歴ネタななしさん
尊氏や家康は近衛大将じゃダメだったの?
例えば近衛大将だと一軍の統帥権しかないけど、征夷大将軍には巡撫とかの軍政権があるとか

5: 歴ネタななしさん
諸国の守護と地頭の任免権が、天皇や朝廷でなく鎌倉殿にあるように、 頼朝は朝廷から半独立した形での「自治」を求めていたと考えられること 


そのうえで奥州征伐時に、大庭景義が「戦陣では現地の将軍の命令が朝廷の意向より優先される」という趣旨を論じたように、 「将軍」になれば朝廷から半独立した形での「自治」ができるとみられた 


こんな感じだろうかと思う

6: 歴ネタななしさん
近衛大将は帝の近くで衛るわけだから在京前提になるので避ける。
朝廷に取り込まれないために、東国に拠点を置くとしたら、戦時職が良い。
鎮守府将軍の奥州藤原氏を超える大将軍で、義仲の征東大将軍を避け、嘉例あるとなると消去法で。

7: 歴ネタななしさん
三位に登り、鎌倉殿の家政機関が公的な性格を帯びる。
守護地頭の任免権など、御家人の統率に必要な権限を勅許で獲得。
征夷大将軍となり、半独立の名目を獲得。

後世に言う「幕府」の成立は、相当絶妙な政治的手腕によるものと感じる。

9: 歴ネタななしさん
元々はそこまで権威高くないのでは。
だんだんと鎌倉殿の地位と不可分になっていき、権威が後からついた。

ネタ元: ・もし頼朝が征夷大将軍以外の将軍位に就いてたら?