
中世ヨーロッパでは妻の領地は妻の物として離婚の時には返却しなければならなかっけど、戦国時代の大名ではどうだったんでしょう?大名の令嬢が個人資格で領地を持つことがあったの?
3: 歴ネタななしさん
たしか中世においては女性の皇族が荘園を寄進されたりしなかったか?
惣領制の武士においては基本土地は家長(惣領)の物だから家長が女性なら女性の財産権も産まれると思うが、立花闇千代とか
流石に当主の娘が領地を貰うなんてことはないんじゃないか
惣領制の武士においては基本土地は家長(惣領)の物だから家長が女性なら女性の財産権も産まれると思うが、立花闇千代とか
流石に当主の娘が領地を貰うなんてことはないんじゃないか
6: 歴ネタななしさん
>>3
近世以前の日本の支配層ではカトリックの影響で一夫一妻のヨーロッパと違って一夫多妻の影響もあって当主の子の数が異常に多いこともあり土地の細分化を防ぐために土地は基本的に嫡子単独相続、それ以外の男子は嫡男の家来になるか出家、 他家へ嫁ぐ娘には嫁入り道具や持参金の分配はあっても土地の分配はなかったからな
中世の天皇家では皇女への荘園や邸の分配があったが基本的に一代限りで皇女の多くが未婚で終わるためその後は天皇に返却された
近世以前の日本の支配層ではカトリックの影響で一夫一妻のヨーロッパと違って一夫多妻の影響もあって当主の子の数が異常に多いこともあり土地の細分化を防ぐために土地は基本的に嫡子単独相続、それ以外の男子は嫡男の家来になるか出家、 他家へ嫁ぐ娘には嫁入り道具や持参金の分配はあっても土地の分配はなかったからな
中世の天皇家では皇女への荘園や邸の分配があったが基本的に一代限りで皇女の多くが未婚で終わるためその後は天皇に返却された
13: 歴ネタななしさん
>>3
>流石に当主の娘が領地を貰うなんてことはないんじゃないか
嘉元四年四月一四日(1305年)の「千竈時家処分状」では姫熊に徳之島、弥熊には屋久島の下郡が与えられてる
すくなくとも鎌倉時代末期までは女にも領地の配分があったのではないか
>流石に当主の娘が領地を貰うなんてことはないんじゃないか
嘉元四年四月一四日(1305年)の「千竈時家処分状」では姫熊に徳之島、弥熊には屋久島の下郡が与えられてる
すくなくとも鎌倉時代末期までは女にも領地の配分があったのではないか
4: 歴ネタななしさん
江戸時代なら妻を離縁するときには
嫁が実家から持参した嫁入り道具や持参金はすべて嫁に返却
結婚後に築いた共同財産折半だったらしいがな
日本での話
嫁が実家から持参した嫁入り道具や持参金はすべて嫁に返却
結婚後に築いた共同財産折半だったらしいがな
日本での話
5: 歴ネタななしさん
持参金以外は今と、変わらんな
7: 歴ネタななしさん
けど信玄や信長みたいに嫁や離縁などで戻って来た娘に土地を
与えたケースもあるから家々によるところが大きかったような気がしやす。
養徳院所領みたいに死後も飛び地藩領として認められたケースもある。
与えたケースもあるから家々によるところが大きかったような気がしやす。
養徳院所領みたいに死後も飛び地藩領として認められたケースもある。
8: 歴ネタななしさん
まあ、領主の規模によるでしょ
何郡かしか持ってないような小領主なら嫡子総取りだけど
信長みたいに何カ国も持ってりゃ分け分けするっしょ
何郡かしか持ってないような小領主なら嫡子総取りだけど
信長みたいに何カ国も持ってりゃ分け分けするっしょ
14: 歴ネタななしさん
暲子内親王のという巨大な土地をもったキングメーカー
15: 歴ネタななしさん
化粧領として高台院は家康から拝領されていたね~
庶民で大名貴族とは違うが、室町時代の南北以前までは百姓名の名主職の争論に女性の名前が出て来るが南北朝以降だと名前が出なくなる。
家父長制が徹底した江戸時代でも1630年代には真鍋島の庄屋に千という女性の名が見える。
庶民で大名貴族とは違うが、室町時代の南北以前までは百姓名の名主職の争論に女性の名前が出て来るが南北朝以降だと名前が出なくなる。
家父長制が徹底した江戸時代でも1630年代には真鍋島の庄屋に千という女性の名が見える。
ネタ元: ・戦国時代の女性財産権


コメント
イエを一種の経営体と見做すならば、総領職を一時的に預かる女当主は普通に存在する
実際に取り仕切るのは宿老・大人と呼ばれる人たち(惣領になる資格はない実力者)
ただ、女性天皇にしろ江戸時代の女戸主にしろ、『一時的な預かり』ではない女当主は多分存在しないんじゃないかな
八条院は皇統がどんどん変わった異常事態だったので、たまたま自分で譲り状を書けたけど、最終的に八条院領は皇室に返還されてる
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