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10: 歴ネタななしさん
明智光秀って信長やった後のプランちゃんと考えてたのか?

24: 歴ネタななしさん
>>10
さほど考えてなかったな。
急遽多方面の大名に味方してくれと頼んで軒並み断られたり
事前の調整が出来てた感じもないし
成り代わるなら信忠も信長と同時に消しておかないといけないのに
偶然うまく死んでくれただけで本気で標的にした感じがない。

72: 歴ネタななしさん
>>10

ノープランで現実的な行動も何も出来てなかったから、最近はボケ説も出てきてる。

29: 歴ネタななしさん
光秀は躁鬱病だったかもな・・

31: 歴ネタななしさん
天王山押さえようと思えば先に押さえられたんだっけか?
信長討ってからのフットワークが悪すぎだろ
援軍軒並み断られて鬱になってたんかな

32: 歴ネタななしさん
尼崎あたりに陣を張って秀吉待ってりゃ良かったのに。
細川が同心してくれりゃ、時間稼ぎで修理亮押さえてくれたかもしれないのに。
家康来たら無理(ヾノ・∀・`)
奈良の坊さん大名では防ぐ力はない。

長宗我部は信長嫌いだから、味方してくれたろうな。

95: 歴ネタななしさん
>>32
京都明けてもし落とされでもしたらそれはそれで終わりじゃないかな
柴田、徳川とも確実に決戦しないといけないし詰んでたやろ

39: 歴ネタななしさん
安土城に籠ってれば勝機はあったか?

40: 歴ネタななしさん
>>39
その時炎上中じゃね?

42: 歴ネタななしさん
>>39
うーん、無理だって思ったから撤退したんじゃね?

64: 歴ネタななしさん
>>39
援軍来ないよ

44: 歴ネタななしさん
明智光秀に15000もの兵がいたことに驚き

45: 歴ネタななしさん
実際のところノープランだったんかな?
信長誅殺しか考えてなかったような。
頭キレる武将だったのに。
秀吉vs毛利
勝家vs上杉
で動けない、河尻&滝川はザコ、家康は単独で堺。
こいつらが留守のうちに畿内平定&幕府軍のお墨付きを得ることが想定かな。

さしあたっての敵は四国討伐の準備していた信孝かな。
兵力はほぼ互角だし。
結果はなんでこうなった?だけど。

秀吉の到来が早かったのが誤算だけど、息子と家康をほったらかしは詰めが甘過ぎよな。
家康はこっちから逃がさないから徳川攻めてねってすりゃ結果違うかも。
ゲームのシナリオでプレイしても死ねるね。

51: 歴ネタななしさん
>>45
ノープランじゃないだろ。
想定していたプランどおり事が運ばなかっただけ。
細川や筒井が味方してくれるプランが外れた。
もっと信長に対して危機感を抱いていて、信長を討った光秀に共感を寄せる信長旗下の武将が多くいるはずだったんだろ。

かといって、前々から信長を討った後の相談を、他の武将に持ちかけたりしたら、 あっという間に信長にバレるだろうし、 他の武将との謀議が整っていないからといって、信長が京に裸同然の寡兵で滞在している
千載一遇のチャンスを見逃すのも忍びないだろ。


46: 歴ネタななしさん
なぜ結果だけを見てこうすりゃよかったと言うのか
光秀が怪しい天啓を得て秀吉方に備えていたとしても秀吉ではなく柴田がサプライズしてくるかもしれんだろw
そうなったらただの阿呆だよ

55: 歴ネタななしさん
>>46
柴田は北陸統治や対上杉で、ずいぶん酷いコトやったから、
上杉と電撃同盟は難しいと思う。
秀吉が毛利と同盟結べたのは、以前の尼子に対する態度で毛利側に一定の信頼感を得ていたからって説もある。

56: 歴ネタななしさん
>>55
あーそれは指摘されてたな
柴田勝家は皆殺し戦術取ってたんで仲直りすんの苦労したとか何とか。

49: 歴ネタななしさん
秀吉の行軍が頭おかしいこと差し引いても
いずれは最低でも羽柴柴田と下手すりゃ徳川あたりも相手することになるわけで 、 ヤンデレ心中説か部下が暴走して後に引けなかった説のほうがありそうなくらいプランが見えない

52: 歴ネタななしさん
周りが加勢してくれなかったんだからしゃーなしだな
人望って大切だよね

104: 歴ネタななしさん
>>52
光秀と三成ってなんか被るんだよな

59: 歴ネタななしさん
信長さえ倒せば織田は崩れて何とかなると思ってたんだろうな
実際信孝らは崩れて動けなかったし畿内の切り取りが始まれば敵も味方もないだろう

65: 歴ネタななしさん
しかし小説家が書いたんじゃねーってくらい
ドラマチックな展開だよな

85: 歴ネタななしさん
京都を失えば明智の天下の大義が全て失われる
朝廷やら京市民に散々金ばら撒いてたからね
だから兵数不利でも天王山(京都の入り口)で迎え撃つしかなかった

109: 歴ネタななしさん
光秀が秀吉の接近に気付いたのは姫路に到着してからってんだから
どうしようもなかっただろうな
京都に入られたら光秀的には終わりだし
気付いたタイミング的にも戦略的にも山崎で迎え撃つのがベストだったんじゃないかな

116: 歴ネタななしさん
殺した後のプランが全く見えないんだよな
たとえ筒井細川と朝廷を味方につけた+各方面軍は釘づけという理想的な形をとっても織田家のど真ん中で勢力拡大は不可能
そもそも信忠をノーマークだったって何考えてるんだよw

122: 歴ネタななしさん
明智が毛利へ送った使者が秀吉方に捕らえられたんだっけ
光秀もまさか秀吉軍が総軍&もの凄いスピードで京都まで戻ってくるとは思わなかっただろうな

123: 歴ネタななしさん
これ見ても明智と秀吉の戦略、戦術能力の差に慄然とするな。秀吉が来なくても誰かに負けるだろ明智

126: 歴ネタななしさん
大河見てて秀吉軍が超急いで明智軍討ちに戻った描写あったけど実際どれ位の人数が
どの位の距離を何日かけたんだ?

132: 歴ネタななしさん
>>126
清水宗治自刃 6月4日午前10時
羽柴軍備中高松撤収 6月4日午後
羽柴軍備前沼城集結 6月5日
羽柴軍備前沼城出発 6月6日午前
(87km)
羽柴軍姫路城到着 6月7日夕刻
羽柴軍尼崎到着 6月11日
羽柴軍天王山麓布陣 6月12日
山崎の戦い 6月13日

6月4日に備中高松城が降伏した後、水攻めの堰を取り壊して水抜きをしたり、 城受け取りの手続きを行いつつ、備中高松から10km南西にある備前の沼城まで陣を引いて、備前沼にで大返しの準備に取り掛かる。  大返しの準備が整い備前沼を出発したのが6月6日の朝といわれている。 中国大返しの中で、この沼城から姫路城までの約85kmが最も驚異的なスピード。

6日の朝に沼を出発して、7日夕刻にはおおかたの兵が姫路城に入城している。 約87kmを1日半で踏破している。  6月6日に備前沼を出て、山崎に到達したのが6月12日。この7日間で軍を進めた距離は約200km。
1日平均で28.6km進んだことになる。単に身一つで返したのではなく、ちゃんと戦の仕度を整え、 諸将との軍議も行なった上で準備万端で山崎合戦に臨んでいるのは想像を絶すること。

146: 歴ネタななしさん
>>132
なんかその後休んでるから87kmのダッシュはあんま意味無かったのか?

154: 歴ネタななしさん
>>146
畿内(摂津)まで1日あれば入れる姫路城までもう返して来ているという宣伝効果が大きかったと思いよ。
態度を決めかねていた畿内の諸将も一気に秀吉になびいた。

133: 歴ネタななしさん
やけに手回しが良すぎることを考えると、本能寺の変の手引きをした人間が 羽柴の中にいたと考えるのは当然だろう
情報伝達が早すぎる
それが官兵衛か秀吉自身かはたまた細川かは分からないが

139: 歴ネタななしさん
>>133
羽柴軍は中国に出張って戦をしているわけだから、京や安土に居る上様との 連絡は頻繁に交わしているわけで、情報伝達が速いのは当然。
「退却するから街道筋の準備を整えろ」程度の指示なら狼煙や旗振り信号で半日もかからず、石山本願寺から岐阜に伝達されている。
まして、中国大返しでは、清水宗治切腹から沼城出発までに丸2日の準備期間が あるわけだから、織田旗下の諸将との情報伝達は余裕。
備前沼出立前には畿内各所の大名には秀吉の書状が届けられていてもまったく不思議ではない。
昔の情報伝達速度を甘く見ちゃいけない。
江戸時代初期でも、大阪の米相場や金銀の交換相場などは、大阪から京は5分。
大阪から岡山までなら15分で伝わっている。大阪-江戸間も2時間とかからず伝達している。
書状でも江戸時代の定早飛脚なら500kmある江戸‐京の間を6日で届けることを約定した便があった。
火急の知らせの場合は、4日で届ける「四日限仕立飛脚」というサービスもあった。
ちなみに、松の廊下事件を赤穂に知らせた急便は江戸→赤穂間620㎞を4日半で届けた。
200km程度の道のりなら、2日とかからず畿内や四国の諸将に書状を届けたと思われる。

150: 歴ネタななしさん
結果見れば変わるように秀吉以外は動けなかったわけで
ここで差が開いた

柴田は動けず、滝川は北条にボコボコにやられて当分復活できず
丹羽に至っては、信孝がいるのにも関わらず、兵が逃げ出して
身動きできず

151: 歴ネタななしさん
秀吉だって動けなかったんじゃ?ぱっぱと和議を結んじゃう辺りが、さすがとか

160: 歴ネタななしさん
なんかのスレで読んだが、槍とか荷物は船で別の運んだらしい

162: 歴ネタななしさん
>>160
大河とかで鎧武者がアホみたいに列なして走ってるシーンあるけど、ありゃ無理だよな
個人で運ぶべきものは水筒ぐらいだろうか

178: 歴ネタななしさん
大返しの間にも休息が挟まれてるから、休憩は大事なんだなと感じたな。
城の蓄え全部出すのは人たらしの本領発揮だと。
のちに徳川が目をつけたのは、大阪城に蓄えられた莫大な財産だったとか。
主に西日本に点在する豊臣配下の所領を合計すると、やっぱり徳川に匹敵する石高を誇っていたらしいね。

207: 歴ネタななしさん
装備品や資材は船を使ったと言われてる。沿道の集落にお触れを出して水や炊き出し、侍階級の為に替えの馬を準備。松明を焚かせて、昼夜の行軍を可能にした。

一番恐かったのは毛利の追撃と従属国人衆の裏切りだよ。一応和議は結んだけど、いつ明智と話をつけて反抗に出るか分からない。大行軍というより姫路までは敗走に近い心理状態だったと思う。


あまりの早さに秀吉共犯説や、事前に明智謀叛の可能性を察知してたのではないかとする説もある。

210: 歴ネタななしさん
>>207
毛利は上方との経済連携を絶たれてから、経済的に大打撃を受けてて
あれ以上戦争継続は難しかったし、ましてや近畿まで追撃となると一時的な攻勢でも事前の準備が欠かせなかった
国人衆は様子見が多かったろうけど、明智とぶつかる前に丹羽と織田信孝と合流してるし数が違うからな

あまりに早かったとはいうけど、秀吉軍は野戦ではぱっとしないが
その後の小田原攻めや九州征伐をみるに、兵站線の構築にかけては当世随一だろう

246: 歴ネタななしさん
ローマ軍団の最強行軍だと1日で30k以上なんだけど、
あちらは舗装道路が整備されてるから、中国大返しの方がすごいかも。

ネタ元: ・中国大返しの羽柴秀吉35000対明智光秀15000の兵が平野の山崎でぶつかった事は明智には愚策だ