1: 歴ネタななしさん
戦国武将、上杉謙信がライバルの武田信玄と戦った「川中島の戦い」に関する新たな書状が、このほど新潟県内で見つかりました。「川中島の戦い」は5回あったというのが通説ですが、専門家は、その後も信濃の領土をめぐって合戦があったことがうかがえる「原本」で、貴重な記録だとしています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190907/k10012067361000.html
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1: 歴ネタななしさん
見つかった書状は、戦国時代の永禄年間(1558年~70年)に、上杉謙信が自分の領土だと考えていた、今の長野県北部、北信濃の7人の武将に宛てたもので、新潟大学名誉教授で、郷土史に詳しい冨澤信明さんが、およそ15年前に骨とう品を扱う関係者から購入し、保管したままになっていました。

冨澤さんが上杉謙信研究の第一人者で、上越市公文書センターの福原圭一上席学芸員に調査を依頼したところ、花押と呼ばれる、謙信のサインなどから、原本であると確認されました。

北信濃をめぐって謙信と信玄が戦った「川中島の戦い」は、通説では5回あったとされています。

学芸員の福原さんによりますと、近年の研究で、謙信と信玄の対立がその後も続いていたことは明らかになっていましたが、見つかった書状は、明治時代に残された写しの原本で、5回目の戦いの3年後の永禄10年に、謙信が出したものだということです。

書状では、信濃を北進する信玄の侵略を防ぐため、7人の武将に対し「皆々在陣あり、堅固の仕置専一に候」。つまり、「みんな、陣所のそれぞれの持ち場でしっかり守るように」と指示しているということです。

福原学芸員は、ほかの研究の成果も合わせて考えれば、5回目の合戦のあとも、合戦があったと考えるべきだとしていて「戦国時代の人は、今回が何回目の合戦と思って戦っているわけではないが、江戸時代に軍記物として書かれたときに、5回までをセットにし1冊にして残された。しかし、永禄10年にも戦っているということを念頭に見直したほうがよいのではないか」と話しています。

書状の持ち主の冨澤さんは「本物だと思って購入したわけですが、謙信の書状で間違いないということが確認できてうれしいです」と話していました。

370: 歴ネタななしさん
川中島って、衝突とされるのが5回あったってだけで
当然小競り合いは年中起きてると思ってたが
>>1はその丁々発止の一場面というだけじゃないの?
新しい見方でも何でもない

377: 歴ネタななしさん
>>370
その小競り合いが無かったとするのが江戸時代からの通説
歴史家はそんな訳ないだろと言ってたが今までそれを立証できなかった

9: 歴ネタななしさん
謙信が信玄の陣に突入して大将同士が…ってホントにあったのか

14: 歴ネタななしさん
>>9
佐竹義重と蘆名盛隆はガチ

20: 歴ネタななしさん
>>9
それは前から否定されてるらしい

36: 歴ネタななしさん
>>9
川中島の合戦場跡には、馬に乗った謙信が馬上から斬りつけ、信玄が軍配で防ぐ銅像まで建っている。
史実より伝説の方が面白い。

78: 歴ネタななしさん
>>36
その川中島が新興住宅地みたいになっててビビった
深夜甲冑の武者がそこらを徘徊とかしないんだろうか

107: 歴ネタななしさん
>>36
こういうロマンあふれるエピソードを「史実ではない」「それは物語」とか言っちゃうから、 歴史がつまらなくなるんだよな。
巌流島の武蔵と小次郎みたいに、「川中島の決闘」としてもっとどんどん盛り上げていけばいいのに。

108: 歴ネタななしさん
>>107
それやり過ぎて史実まで歪められかけたから
ちゃんと検証しましょうってことだよ

149: 歴ネタななしさん
作家の海音寺潮五郎は、始めそれを否定してたんだけど、作品のために上杉謙信のことを調べていくうちに
「上杉謙信だったら、それくらいやりかねない」
と思い直すようになったそうな

12: 歴ネタななしさん
 
互いの組織の引き締めのためのプロレス

勝っても負けても困るので引き分けが丁度良い

18: 歴ネタななしさん
信玄って戦術の天才だったかもしれないけど大局的な戦略眼はなかったよな
どうでもいい北関東や川中島や木曾とかにこだわって何十年も無駄にした

22: 歴ネタななしさん
>>18
上野下野とかはともかく川中島は重要戦略拠点やろ

50: 歴ネタななしさん
>>22
門前町の収入はかなりあっただろうしな
信玄も謙信もどっちも譲りたくないわな

32: 歴ネタななしさん
信長が上洛とか考えれたのは自国をその近隣がが滅茶苦茶豊かだったから
尾張と伊勢くらい収めた時点で信玄が一生かけて盗った石高に大体匹敵する

64: 歴ネタななしさん
>>32
だな
加えて畿内には謙信や北条氏康のような有力大名は存在せず
三好と松永も分裂状態で本願寺と一向一揆さえなければ各個撃破が可能な情勢だった

180: 歴ネタななしさん
父の代から手を出していたけど、三国同盟結んだ時点で拡大は信濃方向しかないだろ
信濃も甲斐も広いけど山ばかりで石高は大きくない
石高がほぼ動員兵力なんだから、北の義理堅い特攻隊長を潰さないと、留守を置いたまま
長大遠征もできないし、上洛しても一時だけ
生まれた場所の限界ってのがある

182: 歴ネタななしさん
>>180
甲斐国は不毛の地だが、信濃国は全体でみれば石高上位の大国
海が無い事を考えればかなりの穀倉地帯

196: 歴ネタななしさん
>>182
石高の絶対量は確かにそうなんだが、あの広さながら濃尾伊勢近江それぞれ一国と比べても負けるからね
その甲信の兵を率いて、北に助けを求められたら絶対に出てくる強兵国家を北に抱えつつ、 その豊かな(=兵の多い)濃尾伊勢近江を併呑か抱き込むかしないといけないわけで、 普通に考えればちょっと無理ゲー
先に地歩を固めるでしょって話
信玄としては信濃から日本海に出たかったと思うんだけどな
そこに難敵謙信がいたのが不運であり、歴史の面白さでもあるんだろうけど

248: 歴ネタななしさん
>>196
当時の善光寺や直江津港の扱い、春日山と北信との距離など調べるほど信玄の方針しかないと思える

288: 歴ネタななしさん
>>196
川中島など謙信と戦争してたころは
信玄は信濃を後背地にして関東や駿河に対抗しようと考えていたのであって
西に進むなんて考えてなかっただろ

23: 歴ネタななしさん
みこすり半劇場の人が描いた信玄と謙信は今思うとよく出来てた様な気がする

42: 歴ネタななしさん
何かのテレビで両方の子孫が将棋さしてたな

43: 歴ネタななしさん
>>42
ワロタwww
なんだよそれ

132: 歴ネタななしさん
>>42
しかも夜中に外でなw

256: 歴ネタななしさん
>>42
笑ったw
現代に生まれてよかったわ

47: 歴ネタななしさん
秀吉「所詮は田舎大名の小競り合い」

85: 歴ネタななしさん
大雑把な地図と限られた書物しかなかった時代に、
多数の味方と敵の武将を把握して戦ってた戦国武将ってすごくね

99: 歴ネタななしさん
>>85
三方原の家康って後世の我々から見たら間抜けの極みだけど
あんな大軍が即座に反転して待ち構えてるなんて普通は有り得ないんだよな
無線とかある訳でもないんだし

104: 歴ネタななしさん
>>99
さてな
秀吉の大返しなんて
現在の軍隊でも難しいって
聞いた事あるな

185: 歴ネタななしさん
>>104
目撃した人の文書が出てくるまでは神話だかフィクションと思われてたみたいだしな
昭和だっけ

ネタ元: ・【歴史】上杉謙信が武田信玄と戦った「川中島の戦い」めぐる新たな書状発見 5回目の戦いの3年後に謙信が出したもの 新潟