無題
1: 歴ネタななしさん
太平洋戦争末期、日本海軍が米軍機迎撃のために厚木基地などに配備した局地戦闘機「雷電」の大型部品が、神奈川県座間市の民家で保存されていた。専門家は、当時の日本の最先端技術を知る貴重な産業遺物だと評価。座間市は、市域にあった高座海軍工廠(こうしょう)で雷電が製造されていたことから、「郷土史の生きた証拠」と注目する。

 所有者は、座間市の大矢隆男さん(66)。市が鑑定を経て正式に確認した。17日に市へ寄贈される。

 雷電は製造数が少なく、戦後は米軍に接収されたこともあり、米国の航空博物館の保管機が世界唯一の現存機とみられている。日本では部品を含め、存在が確認されてこなかった。

 今回確認された部品は、胴体の操縦席前側の外板(約150センチ×約100センチ)。ジュラルミンとアルミの多層構造で、製造から約75年を経た現在も、ほぼ当初の状態を保っている。板の湾曲から、当時の最大馬力のエンジンを搭載した機体の太さがうかがえる。

 鑑定した航空史家の古峰文三さんによると、雷電は世界的にも、その時代の最先端の技術が使われ、強度に優れるプラスネジや電気溶接を日本で最初に使って量産された大型機械製品だった。確認された外板は、リベット(びょう)の打ち方が量産品と比べ精緻(せいち)で、機体に装着する部分がないことから、「工作見本」と推定されるという。

 高座海軍工廠で働いた少年工らは、雷電を開発した三菱重工名古屋航空機製作所で作られた工作見本をお手本に作業したとみられる。古峰さんは「見本なので最も優れた技術で美しく作り上げた状態。この時代の機械技術がわかる貴重な産業遺物です」と述べた。

‪朝日新聞デジタル ‬2020年1月16日15時03分
https://www.asahi.com/articles/ASN1H43X5N1HULOB005.html
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188: 歴ネタななしさん
>>1
かっこいいアングルだな

3: 歴ネタななしさん
知ってるのか?雷電

181: 歴ネタななしさん
>>3
雷電は、旧日本軍の迎撃戦闘機の一つ。主に日本各地を空爆していた大型爆撃機B29を迎撃。
雷電、疾風、紫電改、屠龍などの迎撃戦闘機が総出撃、約300機のB29を撃墜しましたが、延べ約33000機の米軍の空爆には、焼け石に水。

312: 歴ネタななしさん
>>181
B29を300機も落としたの?
のべ33000機ということは、仮に一機が10回出撃したとして約3000機。そのうち1割を落としたことになる。
焼け石に水とはとても言えないと思うが

340: 歴ネタななしさん
>>312
3000機出撃して300機撃墜なら迎撃戦闘は大変な成果だが、実際の損失は485機で、これは飽く迄も累積損失。 3000機が来る日も来る日も出撃して、その間の損失が少しづつ累積して、最後には485機だっわけで、これは米軍側にとっては許容範囲。

述べ出撃数に対する損失宇の割合は約1.4%。1回の出撃では100機に対して1機か2機が撃墜されただけだから、この程度の損失が嫌なら、もう戦略爆撃はできない。

イギリス空軍は、夜間ドイツ爆撃で延べ150000機を出動させて、5000機以上の損失で、割合から言えば3%以上あるけど、それでも許容範囲だから、終戦まで続けている。

342: 歴ネタななしさん
>>340
B-29が壊れるのはいいけど搭乗員が3000名くらい死んでるんだろ
上陸戦よりマシだろうが人的損害はバカにならないんじゃないか
勝ち戦だし

47: 歴ネタななしさん
あんなずんぐりデザインになったのは戦闘機用の高出力エンジンを開発する技術が無くて
爆撃機用の大型エンジンを搭載したから。

57: 歴ネタななしさん
>>47
その辺、ちょっとした行き違いなんだな
昭和14年(1939年)時点では、大馬力エンジンは火星しか無かった
しかし雷電が初飛行した昭和17年(1942年)には
小直径・大馬力の「誉」エンジンの耐久試験が終わっていて
製造開始される昭和18年秋には。誉搭載の紫電も製造に移っていた
雷電なんか、紫電の改良型である紫電改とさえ比較されてしまった

60: 歴ネタななしさん
>>47
そんでもってエンジンの前に強制空冷ファンを付けたためにプロペラシャフトが長くな
りすぎたのとプロペラ自体の強度不足で異常振動が発生して実戦投入に間に合わなかった。

68: 歴ネタななしさん
>>60
いや雷電はバリバリ実戦で戦ってるぞ
零戦の生産縮小をとりやめて、紫電改の増産が決定したせいで雷電の生産数が大幅に縮小された
だから配備数が少ないものの、秋水や震電が完成するまでの繋ぎの戦闘機として色々改造されて実戦投入されている

82: 歴ネタななしさん
>>68
まあそうだが、計画どうりならもっと早く実戦に投入されているべき機体だよ。
数が揃っていれば既に陳腐化したゼロ戦で戦っていた搭乗員を失わずに済んだかもしれない。
敗戦の後、シンガポールに駐留するイギリス軍に引き渡されてロイヤルエアフォースのマークを付けられた雷電が悲しい。

55: 歴ネタななしさん
台湾の少年徴用工部隊が作ってたやつかなw
当然朝鮮人の捏造と違って史実だからなw

65: 歴ネタななしさん
>>55
神奈川県にあった高座工廠だね
そして雷電の主な所有部隊は厚木302空

80: 歴ネタななしさん
松本零士の漫画とかだと
零戦のことを米兵がジークとか呼んでいるけど
これは何て呼ばれていたんだろ?

86: 歴ネタななしさん
>>80
ジャック
メタルギアでネタになってたから覚えてる

87: 歴ネタななしさん
>>80
Jack(ジャック)

92: 歴ネタななしさん
実戦で遭遇した米兵曰く遠目にはヘルキャットと見分けがつかなかったってどっかで聴いたな
でもこの見た目で上昇力高いのはギャップあっていいよね

116: 歴ネタななしさん
海軍機の「堀越二郎」が脚光を浴びる一方で、堀越に負けない実績の陸軍機の「小山悌」
が評価されていないのはどうしてなんだろうか
一式隼 4式疾風 局地戦鍾馗とすべてが傑作機

119: 歴ネタななしさん
>>116
堀越さんは自分で本書いたからじゃないか
自力で隼を調べろといって達成できる人はそりゃ少なくなる
本人が色々書いてるなら読むだけで理解できる

132: 歴ネタななしさん
>>116
鍾馗が一番好き

380: 歴ネタななしさん
>>132
> 鍾馗が一番好き

実は米軍パイロットで一番高い評価を受けたのは
零戦でも疾風でもなく鍾馗

なんでこいつを量産して主力しなかったのかアフォかとバカかと
くらいの勢いで高評価

387: 歴ネタななしさん
>>380
航続性能が短いからだろ
防空だけやっても勝てないんだから

388: 歴ネタななしさん
>>380
一撃離脱主義もあったんだろうけどドイツのパイロットも評価してたね
火力不足は否めないけど

283: 歴ネタななしさん
最初は対戦闘機戦闘は避けて空中待避してたけど
米機動部隊機との戦闘で「あれ?意外と対戦闘機戦行けるんじゃね?」ってなって
そっから終戦までは結構対戦闘機戦にも出撃して

例えば8月15日早朝、ヨークタウンのF6Fと302空の雷電が交戦してたりする

306: 歴ネタななしさん
ワイルドな機体は日本的ではなくて好きなんだけどね
重戦の鍾馗すら、雷電の隣ではスリムに見える

309: 歴ネタななしさん
>>306
と言うか二単って結構スリムやからなぁ
エンジンからスバッと絞り込んでるから

349: 歴ネタななしさん
自衛隊の厚木基地の滑走路周辺には、戦中に使用された戦闘機等が大量に埋められているって話があるね。
戦後に基地を接収した米軍の命令で埋めてしまったらしい。

機体を掘り起こしたくても基地内で手が出せないという、何とも、もどかしい話。

356: 歴ネタななしさん
>>349
何年か前に厚木基地の敷地内から月光の主翼のパーツが見つかったって記事があったな
今は基地内の資料館に展示されてる

羽田空港にも似たような話が残ってて、富嶽に搭載予定だったと思われるエンジンが発掘されてる

426: 歴ネタななしさん
>>349
愛川町から疾風の風防が出てきてる
旧軍の飛行場跡地絡み

416: 歴ネタななしさん
これって10年くらい前からあるの認識されてただろ
民家で何かの蓋代わりに使ってたとか
どうして今頃新発見みたいに報道されてるんだ?

433: 歴ネタななしさん
なんだか中二心をくすぐる名前

ネタ元: ・【歴史】旧日本海軍の戦闘機「雷電」胴体 国内初確認