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1: 歴ネタななしさん
兵農分離による組織づくり…日本史史上初の「職業兵士」が誕生する

信長の誕生前、尾張国は弱小国に過ぎませんでした。というのも、それまで戦は数の原理にて雌雄が決していたため、狭小国の尾張はそもそも兵の数が少なく、結果的に弱小国の立場に甘んじていたのです。
1: 歴ネタななしさん
信長の父、織田信秀も勇猛な武将であったと伝えられていますが、自国の領土を守ることに精一杯で、領土を拡大するまでの余裕はなかったようです。しかし、信長が当主となってからは状況が大きく変わりました。桶狭間の戦いに始まり、足利義昭の擁立、幕府再興などそれまでの武将が成し遂げられなかった偉業を次々と達成していくのです。

背景には、兵農分離による組織づくりを経て織田家の軍事力が高まってきたことがあります。信長は自身が家督を継いで以降、農家の次男坊や三男坊などを積極的に兵として登用しました。犬千代こと前田利家も士豪(田舎の親分)の四男だったようです。これが後の兵農分離の原型となり、日本史において初めて職業兵士が誕生したといわれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/aaa99d79407ca13db3d07873fa4d49d53c8643bc

2: 歴ネタななしさん
でも尾張は弱兵って言われてなかった?

4: 歴ネタななしさん
>>2
単純に無駄な戦闘はしない信長の方針
勝てないなら負けで良いからちゃっちゃと引いて兵力を温存して勝てる時に勝てってのが敵からすると弱腰に見えた

6: 歴ネタななしさん
>>2
常時稼働できる、所謂「常備軍」の発想と、それを実行できる経済基盤の確立が画期的だったのであってだな…

7: 歴ネタななしさん
>>2
死守すべきものがないから
とか聞いたことがある

13: 歴ネタななしさん
>>7
逆に武田が強かったのが、略奪して帰んないと飢えて死ぬからっていう

8: 歴ネタななしさん
>>2
自分の持ってる土地を守ろうとすると死に物狂いに戦うけど守るものがない職業兵士は形勢が悪いとすぐ逃げ出した
これを揶揄して弱兵と言われた
但し、そんな側面があるからこそ信長の戦略は勝てる時にしか戦わないという戦略になった

9: 歴ネタななしさん
>>8
そりゃ、死んだら給料が貰えないんだから、形勢不利なら逃げるし裏切るしな。

10: 歴ネタななしさん
信秀はかなり勢力拡大したと思うんだが

16: 歴ネタななしさん
>>10
親父はかなり金を稼いだり、港湾整備したり、幕府に金銭を献上したりしているね。

12: 歴ネタななしさん
信長が最初じゃないけどな、大規模にこのシステムを採用したのは信長だけど。

15: 歴ネタななしさん
谷口が研究して提唱した説だったかね
家督継げない次男以下のが自力で生きるために
必死に働いて忠義を尽くしてくれるからとか

22: 歴ネタななしさん
尾張の弱兵
弱いから組織的・物理的に補ったんだよ!

25: 歴ネタななしさん
上杉軍がクッソ強かったのは、上杉謙信の采配力より雪国で足腰鍛えられてかつ、米をモリモリ食べてたから。
実際、手取川で4万の織田軍が、1万足らず上杉軍に戦わず逃亡してるよね。

長篠でも4万の連合軍で砦と馬防柵を作って、やっと1万の武田軍を撃破したレベル。
しかも激闘をしたのは織田軍ではなく徳川軍。
武田軍が疲労困憊で崩壊した後の織田軍は滅法強かったらしいがw

32: 歴ネタななしさん
最近だと言うほど兵農分離してなかったって話だが

34: 歴ネタななしさん
>>32
この時代、兵と農の区別はまだ曖昧だから
地侍って普段は農業してたりするし

33: 歴ネタななしさん
狭小国とか関係ねえだろ
陸奥とか広くても兵力なんかしれとるやろ

ネタ元: ・織田信長の兵隊は農家の3男や4男で、死んでもいいからと無茶振りしていたからな。