1: 歴ネタななしさん
誰や
3: 歴ネタななしさん
秀吉はどうしても竹中直人がチラついてしまう
5: 歴ネタななしさん
>>3
竹中はワンマンの演技しかできないから微妙
竹中はワンマンの演技しかできないから微妙
8: 歴ネタななしさん
>>5
ごもっとも!
ごもっとも!
4: 歴ネタななしさん
秀吉は武田鉄矢か竹中直人か迷うな
6: 歴ネタななしさん
織田信長は役所広司やろ?
7: 歴ネタななしさん
コーエーの信長は役所広司モデルやろ?
17: 歴ネタななしさん
>>7
コーエーは影武者の信長モデルだろ
コーエーは影武者の信長モデルだろ
9: 歴ネタななしさん
織田信長は加瀬
10: 歴ネタななしさん
舘ひろし好きやったで
11: 歴ネタななしさん
加瀬亮に決まっとるがや!
12: 歴ネタななしさん
信長はやっぱ難しいよ、ハマってる役者いねーわ
13: 歴ネタななしさん
横山やすし
14: 歴ネタななしさん
威厳有ったし反町かな
15: 歴ネタななしさん
16: 歴ネタななしさん
伊達政宗は渡辺健
19: 歴ネタななしさん
西田敏行さん
徳川家康←やった
豊臣秀吉←やった
織田信長←まだ演ってない
なんとか西田敏行に織田信長役をやらせようや
徳川家康←やった
豊臣秀吉←やった
織田信長←まだ演ってない
なんとか西田敏行に織田信長役をやらせようや
20: 歴ネタななしさん
>>19
ねねに秀吉の浮気癖の件フォローする手紙書くところやらせたい
バランスミスって最後の方字が小さくなっちゃうところめっちゃ見たい
ねねに秀吉の浮気癖の件フォローする手紙書くところやらせたい
バランスミスって最後の方字が小さくなっちゃうところめっちゃ見たい
22: 歴ネタななしさん
>>19
あの徳川家康のドラマのせいで俺の中の淀君はナヨーとした女さんのイメージ
あの徳川家康のドラマのせいで俺の中の淀君はナヨーとした女さんのイメージ
26: 歴ネタななしさん
>>19
織田信長、西田は草
織田信長、西田は草
23: 歴ネタななしさん
信長はた渡哲也
秀吉は竹中直人
秀吉は竹中直人
25: 歴ネタななしさん
内野の家康も結構よかった記憶
まあ津川のイメージにはどうやっても勝てんけど
まあ津川のイメージにはどうやっても勝てんけど
27: 歴ネタななしさん
一度松田優作にやって欲しかった…
28: 歴ネタななしさん
いつ逆鱗に触れるかわからん怖さでは役所信長やな
渡信長はまだ優しい
渡信長はまだ優しい
29: 歴ネタななしさん
勝新の秀吉すこ
ションベンちびるで
ションベンちびるで
30: 歴ネタななしさん
勝新の秀吉は耄碌、老衰するイメージがわかないんよな
結構好きやけど
結構好きやけど
31: 歴ネタななしさん
勝新太郎秀吉は完全にミスマッチやったな
32: 歴ネタななしさん
勝新の秀吉が少し調子に乗ってた政宗を
一瞬で黙らせる迫力は最高だったな
世間一般の秀吉のイメージとは違うのだろうが
それすらも黙らせる迫力が良かった
一瞬で黙らせる迫力は最高だったな
世間一般の秀吉のイメージとは違うのだろうが
それすらも黙らせる迫力が良かった
33: 歴ネタななしさん
信長は高橋幸治で決まりやろ
34: 歴ネタななしさん
独眼竜はケン・ワタナベ一択になったよなアレのせいで
35: 歴ネタななしさん
勝新は信玄だったら最高の信玄だった
上杉謙信は柴田恭兵
上杉謙信は柴田恭兵
36: 歴ネタななしさん
小日向秀吉もすこ
コメント
なんかやらかしてしまったけど…
真田幸村も草刈正雄
見た目は香川だな不細工だしチビだし
緒形はハンサム過ぎる
竹中は頭でか過ぎる
石田三成は中村七之助は思いのほかよかった
1169 西田敏行、法住寺殿において出家、法皇となる。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に
1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1860 西田敏行、会津藩の家老となる
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す (それをナレーションする西田敏行)
1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃 (それをナレーションする西田敏行)
1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
1904 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
1945 西田敏行、フィリピンの戦場で誤って兄に撃たれる
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