1: 歴ネタななしさん
ドイツ・ベルリンの発掘調査で見つかった短刀を調査した結果、江戸時代の脇差であることが判明した。

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ドイツ・ベルリンのモルケンマルクト地区にある、第2次世界大戦中に破壊された住宅の地下室で、ベルリン国立モニュメント局の考古学者が発掘調査を行った。地下室は戦争中の瓦礫で埋まっており、そこから大戦末期に急いで処分されたらしいあぶみや手綱など様々な砲兵の軍用品が見つかった。その中に激しく腐食した短刀があり、当時考古学者らは軍のパレード用サーベルだと考えたという。出土品は全てベルリン国立博物館で保存される事となった。
2024.09.04 ART NEWS JAPAN
https://artnewsjapan.com/article/2659

1: 歴ネタななしさん

ところが、遺物の修復作業中に驚くべきことが判明した。腐食の激しい短刀は日本の脇差であることが判明したのだ。刀の柄の片側は熱でひどく損傷していた。しかし、木製の構造部分は残っており、織物とエイの皮が巻かれていた。そして柄の腐食した部分を修復したところ、日本の七福神のひとり、大黒天の姿が浮かび上がった。刀身を調べると、菊と水引のモチーフも確認できた。このモチーフと様式から、刀は江戸時代(17世紀から19世紀)のものだという。

さらに、短刀のX線検査を行ったところ、刀身はもともと長かったものが短くされていたことがわかった。これは何かの理由で短くなった刀が脇差として再利用されていたことを示している。刀自体の歴史で言えば16世紀にまで遡る可能性さえある。

なぜ江戸時代の上流階級にだけ許された豊かな装飾の刀が、ドイツの地下室から見つかったのか。ベルリン国立博物館は、おそらくこの脇差は、文久元年(1862年)に江戸幕府がヨーロッパに派遣した最初の使節団、文久遣欧使節か、その11年後の明治4年に日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国の12ヶ国に派遣された岩倉使節団からの贈り物だったのだろうと推測する。

脇差が見つかったモルケンマルクト地区が、これらの使節団がドイツ国王のヴィルヘルム1世に迎えられたベルリン王宮に近いということがこの説を裏付けている。だがこれらも推測の域を出ず、新たな事実の解明が待たれるばかりだ。

2024.09.04 ART NEWS JAPAN
https://artnewsjapan.com/article/2659

2: 歴ネタななしさん
>刀身を調べると、菊と水引のモチーフも確認できた。

同盟時代に送ったものだろう。あとときアメリカではなくロシアをぶっ叩くべきでしたよ!完全戦略的ミス!

3: 歴ネタななしさん
どいつのだよ?

4: 歴ネタななしさん
写真が駄目すぎ。
ツバを写したんだろうが、なんでこんな角度で写すんや。

8: 歴ネタななしさん
>>4
勢いがあっていい写真だと思うけどな

5: 歴ネタななしさん
>岩倉使節団からの贈り物だったのだろうと推測する

同盟のさらに前か! フムフム

6: 歴ネタななしさん
郵便配達は二度ベルリン

10: 歴ネタななしさん
刀自体は古くてももっと新しい時代に公私の贈答品として贈られた、あるいは誰かが来日してお土産として買って帰った可能性もあるし推測でしかないな
目録でも残ってれば別だけど

13: 歴ネタななしさん
僕の刀身も錆びついています

15: 歴ネタななしさん
江戸時代に海外旅行してるやつw

20: 歴ネタななしさん
贈答用は大抵太刀だけどね
脇差しとかその場のアドリブでもなきゃねえわ

21: 歴ネタななしさん
なぜて1945年のドイツに日本の骨董品があっても全然不思議ないが

22: 歴ネタななしさん
大事に保管して置いて欲しいね

29: 歴ネタななしさん
お侍さんが初海外で舞い上がっちゃってドイツ女に入れ込んで家宝の脇差あげちゃったみたいなのがいいな

32: 歴ネタななしさん
>>29
つか、太刀は渡せなかった(家宝だったとか)ので、脇差を渡した、ってのは
十分あるんじゃないかなあw

30: 歴ネタななしさん
天正遣欧使節団かとオモタ
まあ南欧行ってるんだからドイツにまでは行かないか
プロイセンは場合によったら奥羽越列藩同盟と結んで明治政府とやり合ったかも知れんな
まあイギリスが敵に回る可能性あるし欧州でオーストリアフランス相手にしないといけないからそんな余裕は無かった

35: 歴ネタななしさん
コレでタイムスリップ映画一本作れるな

ネタ元: ・【ドイツ】江戸時代の脇差が大戦時に破壊されたベルリンの住宅から出土! 日本の使節団の贈り物か