1: 歴ネタななしさん
ダウンロード
もしかして江戸時代も白色申請ぐらいは書いてたの?ダル

2: 歴ネタななしさん
太閤検地を参考にしてた

3: 歴ネタななしさん
戸籍があったはず
そこに石高が書いてあったんじゃね?

4: 歴ネタななしさん
収穫量に対してじゃなくて土地の広さにかかってるんだろ

5: 歴ネタななしさん
人力で戸籍管理してたから当時の役人は激務
江戸の町奉行とかは基本過労死

6: 歴ネタななしさん
田んぼの面積で税が決まるんじゃないの?

7: 歴ネタななしさん
町人は人頭税だったでしょ?

8: 歴ネタななしさん
役人が農地を測量してその広さに合わせて米を納める量を決めてた

不作とか言い訳は通用しない

12: 歴ネタななしさん
>>8
実際はしたらしいぞ
状況考えないとブチギレた農家共が無敵の人化するから

9: 歴ネタななしさん
江戸時代に戸籍はない
代わりに宗門人別帳ってのがあったがこれは寺請け
つまり寺に委託してたので役人はノータッチ

10: 歴ネタななしさん
村の名主さんがキッチリ命令された分を集めた

11: 歴ネタななしさん
検地してたやろ?
それによって面積決めて決めてたんや
1万石とかいうやろ?あの単位でそれぞれの役所が調査して納めてたんや
今でも国土調査してないところは地租改正とかの名残が残ってるよ

14: 歴ネタななしさん
農民は生かさず殺さずで徳川はんが無闇な処罰はダメって言うたはず

15: 歴ネタななしさん
年貢は毎年毎年、収穫高を算出してそこから税を割り当てていた
これを検見法という
しかしこれだと手間がかかりすぎるので享保の改革以後は、5年間あるいは10年間の平均収穫高から税額を割り当てる方式に移行した
これを定免法という

17: 歴ネタななしさん
つーか
江戸始まった頃ならまだしも
後半とか、そんなに嬉しいもんかね?
お米なんて貰っても

なんでお金にしなかったの?

18: 歴ネタななしさん
>>17
昭和の戦時中でも米>>>現金だぞ

20: 歴ネタななしさん
いうて欧州でも前近代までは小麦>金でしたし…

21: 歴ネタななしさん
収穫の50%だぞ

22: 歴ネタななしさん
江戸時代通じてあまり年貢に変動は無い
土地の広さで収穫量を算出して年貢を課してた
だから農業技術が発達して収穫量が増えても納める量は同じだから江戸時代後期の農民は結構裕福
例えば収穫100で年貢50だったのが収穫量が増えて収穫200でも年貢50のままだから農民の取り分が3倍になる
だから農民の子供でも寺子屋や剣術道場に通ってたりする
新選組に農民出身がいたり明治維新の要人に農民出身がいるのもそういう理由

ネタ元: ・江戸時代の年貢ってどういう手続きを踏んで納めてたの?現代だと農家でも確定申告とかあるけど…