1: 歴ネタななしさん
(天正20年)1592年10月2日付羽柴秀俊(小早川秀秋)宛豊臣秀吉覚書
覚
一、学問に心かけらるへき事、
一、鷹野むようたるへき事、
一、きやう水つほねかたにてすへき事、
一、はくろ二日ニ一とつゝつけらるへき事、
一、五日に一度つめとるへき事、
付、近所ニ召遣候者共、身持きれいニ可申付事、
一、小袖うつくしき物をゑもんたゝ敷きらるへき事、
一、諸事山口意見ニつくへき事、
右条々あひそむくに付てハ、御中をたかはるへき条、よくよく分別しかるへく候也、
天正廿年十月二日 (秀吉朱印)
丹波中納言殿
覚
一、学問に心かけらるへき事、
一、鷹野むようたるへき事、
一、きやう水つほねかたにてすへき事、
一、はくろ二日ニ一とつゝつけらるへき事、
一、五日に一度つめとるへき事、
付、近所ニ召遣候者共、身持きれいニ可申付事、
一、小袖うつくしき物をゑもんたゝ敷きらるへき事、
一、諸事山口意見ニつくへき事、
右条々あひそむくに付てハ、御中をたかはるへき条、よくよく分別しかるへく候也、
天正廿年十月二日 (秀吉朱印)
丹波中納言殿
2: 歴ネタななしさん
ごめん現代語訳して
3: 歴ネタななしさん
一、学問を心掛けること
一、鷹狩をすることは無用
一、行水をする時は局たちのいる所ですること
一、お歯黒は二日に一度つけること
一、五日に一度は爪を切ること
小用で近所に家臣を遣わす時でも、家臣に身なりを小綺麗にするよう言いつけること
一、小袖は美しいものを折り目正しく着ること
一、何事も山口宗永(秀秋家老)の意見を聞くこと
これらに背けばそなたとは絶交するので、よくよく分別するように
一、鷹狩をすることは無用
一、行水をする時は局たちのいる所ですること
一、お歯黒は二日に一度つけること
一、五日に一度は爪を切ること
小用で近所に家臣を遣わす時でも、家臣に身なりを小綺麗にするよう言いつけること
一、小袖は美しいものを折り目正しく着ること
一、何事も山口宗永(秀秋家老)の意見を聞くこと
これらに背けばそなたとは絶交するので、よくよく分別するように
5: 歴ネタななしさん
特に普通の内容やん
7: 歴ネタななしさん
関ケ原の数年後に若くして死んじゃうの不憫よね
8: 歴ネタななしさん
これは貴公子
15: 歴ネタななしさん
>>9
へうげものの小早川って上手く描かれてたんだなぁ
へうげものの小早川って上手く描かれてたんだなぁ
25: 歴ネタななしさん
>>9
これは徳川方が描いた秀秋だぞ
これは徳川方が描いた秀秋だぞ
11: 歴ネタななしさん
当時って今みたいな爪切りあったんかいな
どうやって爪切ってたんだろ
どうやって爪切ってたんだろ
14: 歴ネタななしさん
>>11
糸切り鋏みたいなやつを使ってた
糸切り鋏みたいなやつを使ってた
13: 歴ネタななしさん
金吾くん…
16: 歴ネタななしさん
あまりにも無能エピソード多いけどこいつの意思で豊臣を裏切ったんか?
それとも実権握っていた家臣が勝手に徳川と内通していて全部やらされただけなんか?
それとも実権握っていた家臣が勝手に徳川と内通していて全部やらされただけなんか?
17: 歴ネタななしさん
>>16
育ててくれた北政所が徳川側に味方しろって説得した
育ててくれた北政所が徳川側に味方しろって説得した
21: 歴ネタななしさん
>>17
それも俗説であって信頼できる話じゃないないな
関ヶ原の戦いの約二週間前に黒田長政と浅野幸長の連署で秀秋に宛てた書状には「北政所様とは関係が深く、必ず馳走しなければならない立場の我ら(長政と幸長)なればこそ秀秋に味方になるよう言うのだ」
と、北政所を持ち出して秀秋を調略してるものはあるけど、北政所が直接秀秋を東軍に誘ったという確かな史料はない
伏見城の戦いの期間中に北政所が秀秋の身を案じて北野天満宮でお百度参りさせたりしてるけど、これも単に身内として無事を祈念させたもので東軍とか西軍とかそういう話でもないと思う
それも俗説であって信頼できる話じゃないないな
関ヶ原の戦いの約二週間前に黒田長政と浅野幸長の連署で秀秋に宛てた書状には「北政所様とは関係が深く、必ず馳走しなければならない立場の我ら(長政と幸長)なればこそ秀秋に味方になるよう言うのだ」
と、北政所を持ち出して秀秋を調略してるものはあるけど、北政所が直接秀秋を東軍に誘ったという確かな史料はない
伏見城の戦いの期間中に北政所が秀秋の身を案じて北野天満宮でお百度参りさせたりしてるけど、これも単に身内として無事を祈念させたもので東軍とか西軍とかそういう話でもないと思う
27: 歴ネタななしさん
>>16
朝鮮出兵で武勲あげてるし
伏見城の戦いでも活躍してるから
無能なわけがない
家康の鉄砲でビビって裏切ったみたいなのも創作
そもそも元から徳川方の軍師が陣営に組み込まれてた
朝鮮出兵で武勲あげてるし
伏見城の戦いでも活躍してるから
無能なわけがない
家康の鉄砲でビビって裏切ったみたいなのも創作
そもそも元から徳川方の軍師が陣営に組み込まれてた
32: 歴ネタななしさん
>>16
最近の評価やと
関ヶ原の小早川は優柔不断なヘタレじゃなくて
どっちに就いても損しない状況を整えて
ギリギリまでどっちが優勢か見極めた有能やで
最近の評価やと
関ヶ原の小早川は優柔不断なヘタレじゃなくて
どっちに就いても損しない状況を整えて
ギリギリまでどっちが優勢か見極めた有能やで
35: 歴ネタななしさん
>>32
関ヶ原前日からあんな1番良い場所に陣取ってて無能なわけないわな
関ヶ原前日からあんな1番良い場所に陣取ってて無能なわけないわな
19: 歴ネタななしさん
秀秋は徳川が天下を取ると見抜いていたワケじゃんね
秀秋は慧眼だと誉められてしかるべきなのに可哀想
秀秋は慧眼だと誉められてしかるべきなのに可哀想
20: 歴ネタななしさん
まだ子供なのに酒に溺れて死んじゃったんだっけ
24: 歴ネタななしさん
地元の三原でも隆景ばっかで秀秋は触れたらあかんみたいな扱いなのは笑えん
26: 歴ネタななしさん
一回秀吉の養子になって後継者候補になったけどやっぱ要らんわされて小早川の養子になったとは言えや
関ヶ原でよく裏切れたな
関ヶ原でよく裏切れたな
30: 歴ネタななしさん
>>26
秀吉亡き後の筆頭である家康に付き従っただけで裏切りも何もないだろ
仲良い加藤清正や福島正則らも徳川側やし
秀吉亡き後の筆頭である家康に付き従っただけで裏切りも何もないだろ
仲良い加藤清正や福島正則らも徳川側やし
33: 歴ネタななしさん
>>26
関ケ原は石田三成と徳川家康の戦いやから
関ケ原は石田三成と徳川家康の戦いやから
28: 歴ネタななしさん
こいつやってることだけで判断すると猛将の部類やぞ
子供がいないのに若死にして家が取り潰されてしまったから悪く言われてるけど
子供がいないのに若死にして家が取り潰されてしまったから悪く言われてるけど
29: 歴ネタななしさん
秀秋が病死した年に
他の兄弟2人も謎の死を遂げてるからな
闇深い
他の兄弟2人も謎の死を遂げてるからな
闇深い
31: 歴ネタななしさん
男もお歯黒つけてたの🥺?
34: 歴ネタななしさん
豊臣家は公家やからな
37: 歴ネタななしさん
鷹狩りするなってなんで?
現代で言うとゴルフすんなみたいなこと?
現代で言うとゴルフすんなみたいなこと?
39: 歴ネタななしさん
男もお歯黒してたのか
41: 歴ネタななしさん
>>39
公家はするやろ
公家はするやろ
40: 歴ネタななしさん
肖像画のせいで誤解されてるけど
実際はこいつ恵体で猛将やからな
だから関ヶ原の勝敗を左右させたわけ
実際はこいつ恵体で猛将やからな
だから関ヶ原の勝敗を左右させたわけ
43: 歴ネタななしさん
秀秋が猛将だったってイメージは蔚山城の戦いの時に秀秋が自ら13名の明兵を討ち取ったっていう『朝鮮物語』(1672年成立)にある二次史料による記述がソース
しかし秀秋は蔚山城の戦いには参加してないから自ら敵兵を討ち取った話は完全な創作
しかし秀秋は蔚山城の戦いには参加してないから自ら敵兵を討ち取った話は完全な創作
42: 歴ネタななしさん
何にしても今に至るまでずっと裏切り者という印象は拭えてないんだよな
コメント
関ヶ原の時点で小早川秀秋はまだ20歳前であり、本人の意思で決断したとは考えにくいな
おそらく稲葉正成,平岡頼勝など家老の判断だろう
ただし、松野主馬は裏切りを良しとせず自陣から動かなかった
小早川軍に徳川家臣の奥平が混ざっている時点で最初から東軍として松尾山に布陣してる
松野が西軍に内通して裏切った
基本通説ってのは碌に研究されてなかった時代の産物だから仕方ない
伏見攻めしてるに?
寝返りの寝返りなだけだろ
ソースが軍記物ならまだマシな方で、酷いのになると小説が歴史の真実みたいに扱われてたのもあったからなあ
そこら辺はもっと決定的な一次資料が出てこないことには不明な点だろうね
秀秋隊1万5千が伏見攻めに参加してもしなくても伏見城は落ちてただろうし、だからといって参加しないと後方に押しやられるか、最悪4倍以上の軍勢に攻め滅ぼされる可能性もあるからな
西軍が本格的にグダグダになったのは美濃に駐留し始めたあたりからなので、その間に心境が変化した可能性もあるし、想像の域を出ない
東軍にいた兄貴は、秀秋を西軍と認識してたらしいけど
だから西軍に参加して裏切ったんだろ
秀秋につけられた連中は西軍首脳から秀秋の与力としてつけられたのだろうしな
兵を預かって裏切った
秀秋は伏見落城前に伊勢に送られるんだがその行軍中に戦列を離れて行方不明になってる(この時点で西軍に対する裏切り)
思うにそもそも秀秋は西軍に与するつもりは無かったが北政所が西軍に属してたので仕方なく伏見攻めに加わったのだろう
それで戦線配置を良いことに離脱して北政所にとって1番良い展開になるのを待っていたと思われる
事実を決定付ける新資料が出たり創作由来の真っ赤な嘘だったと判明したにも関わらず認識をアップデートしない方がどうかしてる。
加藤福島よりボロクソに言われてるの可哀想だよな
近すぎると逆に面倒くさいからじゃなかろうか
秀次の例もあるし
こいつは最初から隠れ東軍
あいつだって馬鹿じゃん
知能ていうか性格がさ、戦でしか活躍できない人じゃん。
遊んでばっかじゃダメだぞくらいの意味じゃ無いんかな
家康の手のひらで転がされただけやね
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