1: 歴ネタななしさん
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役に立たなかったの?

2: 歴ネタななしさん
山駆け下りて来るなんて思わないじゃないですか

3: 歴ネタななしさん
わざわざ滅ぼさなくても閉じ込めるだけで実質何もできないってわかったから

4: 歴ネタななしさん
謙信に襲われた時は役に立ってたやろ多分

5: 歴ネタななしさん
今だって何の役にも立ってないじゃん
道がクソすぎて

7: 歴ネタななしさん
実際北条家はそこら辺をベースに割拠してたでしょ
今川や徳川に攻め込まれなかったのもあの辺の地形が理由だろう

8: 歴ネタななしさん
ワイん家からすぐやで
スシローの前の道通れば鎌倉なんかすぐやろ幕府なんかチャリで余裕だわ

9: 歴ネタななしさん
その割にあっさり足利尊氏と新田義貞に落とされたやん

10: 歴ネタななしさん
平地が狭すぎる

14: 歴ネタななしさん
なんであんなに脆かったんだろうな

22: 歴ネタななしさん
義貞「高時は闘犬狂いのアフォで雑魚過ぎw」

40: 歴ネタななしさん
>>22
平頼綱や長崎円喜といった内管領の権力が強くて
北条高時は既に実権がなかった

24: 歴ネタななしさん
鎌倉幕府滅亡から10年前、道ゆく人々に「もしも敵の軍勢が稲村ヶ崎を突破したら鎌倉は危ない」と予言して回る武士がいた
誰一人として「稲村ヶ崎は断崖絶壁で軍勢が通れる道などない」と耳を傾けず、幕府も稲村ヶ崎は大丈夫だろうと放置していた
果たして、武士が予言してから10年後、新田義貞の軍勢が稲村ヶ崎が手薄なのに目をつけて突破して鎌倉に雪崩れ込み、幕府は滅亡したのであった
鎌倉幕府の滅亡にまつわる不思議な話

134: 歴ネタななしさん
>>24
稲村ヶ崎は頼朝の時代は海が深くて渡れなかったが
鎌倉末期は寒冷化により海岸線が後退し干潮時は渡れるようになってたらしい

26: 歴ネタななしさん
新田は足利の家来として参加しただけ。家系が良かっただけ

30: 歴ネタななしさん
>>26
家来ではない。分家。
ある時に兄が新田を立ち上げ、弟が足利を継いだ
新田家が長く地位が低かったのは確か。


将軍のための幕府

御家人のための幕府

御内人のための幕府 

ここで御家人たちに鎌倉幕府が倒された

108: 歴ネタななしさん
>>30
新田も足利も、八幡太郎義家の子、義国の息子が興した家。新田が兄で足利が弟。
新田は別に足利の分家でも家来でもなかったのだが、源頼朝が挙兵した時、足利は積極的に協力したが、新田はプライドが高く頼朝の元に参じるのが遅かったため、鎌倉幕府で足利は重用され、新田は没落して足利家預かりみたいな身分に落ちてしまった、というのが真相。

35: 歴ネタななしさん
つか足利尊氏の人望が凄過ぎて鎌倉までの道中どんどん兵力が膨らんで行った

85: 歴ネタななしさん
>>35
清和源氏総本家が断絶してから足利家が清和源氏筆頭分家として実質清和源氏代表だったしな
北条氏がダメだとなると自然と当主の足利尊氏に期待が集まる

北条氏も実質清和源氏代表の足利家にはずっと気を使ってた

51: 歴ネタななしさん
鎌倉炎上は大河屈指の神回。

53: 歴ネタななしさん
>>51
防衛戦からの高時以下北条家臣団の自決シーンは見事だった

69: 歴ネタななしさん
>>51
鶴太郎あの頃大村益次郎とか甘粕正彦とか
歴史上の人物よくやってたころ

63: 歴ネタななしさん
謎多き新田義貞
でもこいつが鎌倉幕府を壊滅させた

74: 歴ネタななしさん
尊氏は西国で決起していて鎌倉幕府を直接滅ぼしたのは新田義貞の功績だが
尊氏のクソガキが総大将だったのでフラストレーションが溜まっていた

86: 歴ネタななしさん
>>74
尊氏のクソガキを総大将に担がないと武士たちが集まってこないから仕方なかったな
新田義貞としてはそりゃフラストレーション溜まるわな。それを鎌倉幕府にぶつけたわけだ

77: 歴ネタななしさん
親兄弟同族で殺し合うのが源氏で一族郎党結束するのが平家
北条はその平家の悪いところが出て一族郎党で利権がめつく独占しすぎたから恨み勝って滅ぼされた
鎌倉時代後期は守護の三分の二が北条一門だったからな

ネタ元: ・新田義貞か自身の氏神神社で挙兵してから鎌倉滅びるまで2週間かかっていないって早すぎだろ? [194767121]

ネタ元: ・鎌倉って源頼朝が認めるくらい攻めにくい土地なのに