1: 歴ネタななしさん
無題
困窮している訳でもないのに、一代限りの天皇という立場からの脱却、自らの皇統に対する執念のあまり、鎌倉幕府を倒し、南北朝動乱という前代未聞の戦乱の時代を招いた

同じく一代限りの天皇だったにも関わらず、その立場を受け入れ、皇位継承予定者だった甥の量仁親王(後の光厳天皇)に熱心な教育を施し、その甥から尊敬されていた同時代の花園天皇とはかなり対照的だよな

2: 歴ネタななしさん
名前に醍醐、を自分で入れるぐらいだからね
天皇親政じゃないとやーやーなのって感じだもんな

3: 歴ネタななしさん
>>2
当時の歴史を見ていると、後醍醐天皇の執念、バイタリティはすごいなと思う

10: 歴ネタななしさん
>>2
おくりなだと思うんだけど
天皇の名前って死んだあと付けられるんだよ

12: 歴ネタななしさん
>>10
確か後醍醐天皇は生前から自分で決めていたはず
延喜天暦の聖代として理想化されていた、10世紀の醍醐天皇、村上天皇の時代に対する憧憬からきている
だから息子は、後醍醐天皇に次いで後村上天皇と

16: 歴ネタななしさん
>>12
でもあくまで「おくりな」だから
後の人がうっせーぼけ!っていえば変えられるわけで
やっぱり皇族のなかでは人望があったのでしょう
武士からは嫌われていたかもしれないけどね

21: 歴ネタななしさん
>>16
後醍醐天皇の崩御は南朝にとっては大きな痛手だったしな
南朝にとっては非常に大きな存在だったのは確か

4: 歴ネタななしさん
あの人親政にこだわりすぎて武士から反感買ったしその親政も結局天皇だけじゃ政務担い切れないからいろんな機関に委託することになったんだっけ
あまりにも理想を追いすぎて失敗した、権力者あるあるかもしれないけど

9: 歴ネタななしさん
>>4
だいぶ前に読んだ内容だからまた確認しないといけないけど、確か最近の研究の進展で、後醍醐天皇の建武の新政はそれまでの政とは特別違ったものではなく、鎌倉幕府の政治機構とかの在り方を踏襲したものだったことが明らかになってきているらしい
武士に対する恩賞も実は特別薄くはなかったとあったような

つまりかつて網野善彦が唱えたような、後醍醐天皇の「異形性」みたいなものは否定されつつあるみたいだね
ただ、天皇のバイタリティ、執念の凄さは否定しようがないけど

20: 歴ネタななしさん
>>9
えーそうなんだ、初耳
じゃあ運営自体に深い問題はなかったのか
どこで間違えたんだろあの人、尊氏相手に諦めず戦おうとしたところか

23: 歴ネタななしさん
>>20
例えば足利尊氏より新田義貞を選んだ事とか?
武士から強い人望を集め、戦も負け知らずだった足利尊氏を敵に回さず、新田を見捨てていればまた違ったかもな

26: 歴ネタななしさん
>>23
そもそも尊氏側は後醍醐天皇をどれくらい受け入れていたんだろうな、
もしかしたら最初から親政にこだわる後醍醐天皇と戦うつもりだったのかもしれない

29: 歴ネタななしさん
>>26
どうなんだろう
またそのあたりは本読んで確認したいけど、尊氏は後醍醐天皇と戦うつもりなんて元々なかったんじゃないかな

後醍醐天皇から謀反認定され追討軍を仕向けられた時、寺に籠もって戦う意思がないことを主張しているくらいだし

30: 歴ネタななしさん
>>29
そうなのか、まあ確かにわざわざ天皇相手に喧嘩売って正面からぶつかるのは得策ではないか

31: 歴ネタななしさん
>>30
朝敵になっちゃうからね
ただ尊氏のすごいところは九州に逃れた時、九州で勢力を築くだけじゃなく、持明院統の光厳院と交渉を行い、再び京に上った時、光厳院の弟の光明天皇を即位させ、正当性を確保したことだよね

34: 歴ネタななしさん
そもそも高氏は何で鎌倉幕府にこ謀反つかまつったんだろう
北条家以外で一番の御家人になった以上、いずれ言いがかりで族滅の憂き目に遭うだろうからってことなのかな

38: 歴ネタななしさん
>>34
もともと幕府を作る野望があったのかな
そのときに今の北条氏率いる鎌倉幕府は邪魔になってしまう、そんなときに後醍醐天皇が倒幕しようとしたから良いタイミングだと思ったのかな

40: 歴ネタななしさん
>>38
尊氏の動きは自分の幕府作りたい人の動きには見えない

躁鬱なのか知らんけどヤル気が足りない

6: 歴ネタななしさん
でも!



こいつがいなかったら、時代はうごかなかた

7: 歴ネタななしさん
でも二度とも失敗したんよね、けれどもそれでも諦めずに三度目にしてなんとか倒幕するという、どこから来るんだこの熱意

11: 歴ネタななしさん
>>7
二度目も失敗して、隠岐に流されたのに、また隠岐から自力で脱出するのは凄い

17: 歴ネタななしさん
はっきり言って大覚寺統でもピンチヒッターだったのに
皇位を自分の子孫で独占しようとしたのが謎すぎる
海音寺潮五郎が「我欲旺盛」と評していたがその通りだと思う

25: 歴ネタななしさん
>>17
花園天皇は一代限りの天皇である自分の運命を受け入れ、皇位継承予定者である甥に熱心な教育を施していたくらいだったのにな
花園天皇が後醍醐天皇に失望するのも当たり前としか…

28: 歴ネタななしさん
>>25
今のサウジアラビアの国王が後醍醐帝みたいで
初代のイブン・サウードの子供たちが順々に継承していったのを自分の子供を王太子にしちゃったんだよな

19: 歴ネタななしさん
持明院統の主、後伏見院からすれば、倒幕計画まで立てて、一向に皇位を明け渡さない天皇は非常に目障りな存在だっただろうな…

22: 歴ネタななしさん
鎌倉武士の生き残りに怨念持たれてるだけって感じするのは私だけ?

24: 歴ネタななしさん
源氏はもとをたどれば皇子さまだしね
武士っていえば武士だけどルーツ敵には皇族
武士=平家に嫌われてるに過ぎないのでは?
しらんけど

27: 歴ネタななしさん
>>24
平氏も元を辿れば皇子なんだよね
きちんと確認している訳じゃないから分からんけど、中世前期の由緒正しい武士達って元を辿れば皇子さまという家系がかなり多いと思う

36: 歴ネタななしさん
毎日午前中から口頭弁論数件聞いて日付が変わる頃までに全部判決書くとか
現代の判事にやらせたら次々鬱になって自害するわ

ネタ元: ・ぶっちゃけ後醍醐天皇は南北朝動乱の戦犯だよな