1: 歴ネタななしさん
〇今川義元
桶狭間で一回負けただけで愚将扱い
〇北条氏政
先代より版図を広げたのに低評価
〇武田勝頼
善戦した長篠の合戦も大敗と歪曲されてしまう悲劇の武将
〇姉小路頼綱
誰にも不可能と言われた飛騨統一を成し遂げたのに何時まで経っても弱小と言われ続ける
〇徳川秀忠
関ケ原に遅参しただけで腹を切れなどと言われる酷い言われよう
桶狭間で一回負けただけで愚将扱い
〇北条氏政
先代より版図を広げたのに低評価
〇武田勝頼
善戦した長篠の合戦も大敗と歪曲されてしまう悲劇の武将
〇姉小路頼綱
誰にも不可能と言われた飛騨統一を成し遂げたのに何時まで経っても弱小と言われ続ける
〇徳川秀忠
関ケ原に遅参しただけで腹を切れなどと言われる酷い言われよう
2: 歴ネタななしさん
【上杉房定】
史上最初の「戦国大名」にして戦国時代初期最大の重鎮。関東~北陸~京都にわたって軍事的にも政治的にも地理的にもその事蹟は限りなく大きい。過小評価以前に知名度が不当に低い。
【古河成氏】
三十年の大戦争「享徳ノ乱」発動で戦国時代の幕を切って落とした。また京都足利とは違って関東足利の戦国大名化を成し遂げた。戦中に於ける挙動からも歴史的意義からも英傑の名に値する。知名度はやや高いが「馬鹿殿」扱いは不当と云うしかない。
【武田信長】
上総武田氏の祖。その波瀾万丈の生涯と戦国大名権力体形成過程の鮮烈さに鑑みればこれも知名度が低過ぎる。学術研究対象としては重く扱われているだけに素人からの過小評価が惜しまれる。
【扇谷定正】
典型的な旧型武家貴族であった扇谷上杉氏を事実上一代で強大な戦国大名に作り変えた。その工程を共にした太田道灌を謀殺したことで古来愚将扱いされているが、これは実像から乖離した偏向評価である。
【堀越茶々丸】
過小評価と云うよりは「不当な悪名」か。伊勢宗瑞創業伝説で敵役となった為に才覚ばかりか人格まで貶められているが、伊豆国衆、山内顕定、武田信縄らを結び付けて足掛け六年間に及ぶ伊豆戦争を闘い抜いた武将が愚将、人格破綻者であるわけが無い。
史上最初の「戦国大名」にして戦国時代初期最大の重鎮。関東~北陸~京都にわたって軍事的にも政治的にも地理的にもその事蹟は限りなく大きい。過小評価以前に知名度が不当に低い。
【古河成氏】
三十年の大戦争「享徳ノ乱」発動で戦国時代の幕を切って落とした。また京都足利とは違って関東足利の戦国大名化を成し遂げた。戦中に於ける挙動からも歴史的意義からも英傑の名に値する。知名度はやや高いが「馬鹿殿」扱いは不当と云うしかない。
【武田信長】
上総武田氏の祖。その波瀾万丈の生涯と戦国大名権力体形成過程の鮮烈さに鑑みればこれも知名度が低過ぎる。学術研究対象としては重く扱われているだけに素人からの過小評価が惜しまれる。
【扇谷定正】
典型的な旧型武家貴族であった扇谷上杉氏を事実上一代で強大な戦国大名に作り変えた。その工程を共にした太田道灌を謀殺したことで古来愚将扱いされているが、これは実像から乖離した偏向評価である。
【堀越茶々丸】
過小評価と云うよりは「不当な悪名」か。伊勢宗瑞創業伝説で敵役となった為に才覚ばかりか人格まで貶められているが、伊豆国衆、山内顕定、武田信縄らを結び付けて足掛け六年間に及ぶ伊豆戦争を闘い抜いた武将が愚将、人格破綻者であるわけが無い。
3: 歴ネタななしさん
ついでに付け加えておく。
太田道灌は現状でも高い評価を得ているが、
実像・実績に鑑みればそれでもまだまだ「不当に過小評価されている」。
太田道灌は現状でも高い評価を得ているが、
実像・実績に鑑みればそれでもまだまだ「不当に過小評価されている」。
4: 歴ネタななしさん
秀忠はいくさ下手なだけで、統治能力は評価されてる。
5: 歴ネタななしさん
戦が下手って言われましても…
たったの3日-4日で上田城落とせる奴はそうは居らんぞ
大津城すら7日も持つんだし
たったの3日-4日で上田城落とせる奴はそうは居らんぞ
大津城すら7日も持つんだし
6: 歴ネタななしさん
茶々丸はいい歳して元服してないってのがな
7: 歴ネタななしさん
>>6
元服は一応していたらしい。
実名(じつみょう)が今に伝わっていないだけ。
江戸時代後期の編纂物には「政綱」と記されているようだが一次史料の裏付けを欠く。
元服は一応していたらしい。
実名(じつみょう)が今に伝わっていないだけ。
江戸時代後期の編纂物には「政綱」と記されているようだが一次史料の裏付けを欠く。
8: 歴ネタななしさん
元服したという資料が見つかったのか?
9: 歴ネタななしさん
>>8
史料 な。
そんなものは無い。
『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書)に於ける黒田基樹氏の推考からの受け売りだ。
史料 な。
そんなものは無い。
『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書)に於ける黒田基樹氏の推考からの受け売りだ。
13: 歴ネタななしさん
朝倉孝景
14: 歴ネタななしさん
宇喜多忠家
もうちょっと軍事面の数値が高くていいんじゃないか?
もうちょっと軍事面の数値が高くていいんじゃないか?
16: 歴ネタななしさん
常陸の不死鳥は生命力とカリスマ高いのにゲームだとゴミ扱い
18: 歴ネタななしさん
武将ではないが高水寺斯波家
岩手県八幡平市から花巻市までの広域が支配域だったのに
書籍とか動画では紫波郡だけとされる事が多い
岩手県八幡平市から花巻市までの広域が支配域だったのに
書籍とか動画では紫波郡だけとされる事が多い
19: 歴ネタななしさん
【小弓義明】
戦国時代前期後半の関東に於けるキープレイヤー。
その虚しい勃興と玉砕は関東戦国前期から後期への劇的な遷移のメルクマールであって歴史的意義も大きい。
戦国時代前期後半の関東に於けるキープレイヤー。
その虚しい勃興と玉砕は関東戦国前期から後期への劇的な遷移のメルクマールであって歴史的意義も大きい。
21: 歴ネタななしさん
水谷蟠龍斎もあまり知名度高くないよなー
26: 歴ネタななしさん
水谷政村はコーエーだと60~70くらいの比較的有能評価よな?
22: 歴ネタななしさん
朽木元ツナ
23: 歴ネタななしさん
金ヶ崎で秀吉光秀と一緒に殿つとめた池田勝正もあまり知られてない
28: 歴ネタななしさん
人気がないくせに宣伝もせず無名だと嘆く日々
41: 歴ネタななしさん
見方によっては、徳川家康。
世界史水準の事蹟に比べて世間の評価は不当に低過ぎる。
世界史水準の事蹟に比べて世間の評価は不当に低過ぎる。
43: 歴ネタななしさん
家康の評価が厳しくなりがちなのは、どうしても前任者の信長秀吉と比較されてしまうからだと思う。
45: 歴ネタななしさん
>>43
家康の功績は大したものだけど、地味で華やかさに欠けるから人気出にくいんだよな
家康の功績は大したものだけど、地味で華やかさに欠けるから人気出にくいんだよな
46: 歴ネタななしさん
>>43 >>45
統治体系や行政権力機構としての水準、
その後の歴史実績、
16世紀末から17世紀初頭に於ける同時代世界史的比較論、
どれを取っても織田羽柴とは次元が違う。
軍記講談に由来する英雄史観の弊害なのか、
恐らく徳川家康の真価を一番「解っていない」のは我々日本人ではないかと疑う。
統治体系や行政権力機構としての水準、
その後の歴史実績、
16世紀末から17世紀初頭に於ける同時代世界史的比較論、
どれを取っても織田羽柴とは次元が違う。
軍記講談に由来する英雄史観の弊害なのか、
恐らく徳川家康の真価を一番「解っていない」のは我々日本人ではないかと疑う。
47: 歴ネタななしさん
>>45
一族をむやみにぶっ殺したりしないことや
配下に大大名を作らないことなんか
地味だけど猿ではできない大切なことだよね
一族をむやみにぶっ殺したりしないことや
配下に大大名を作らないことなんか
地味だけど猿ではできない大切なことだよね
48: 歴ネタななしさん
>>43
マジレスすると太い狸爺さんのイメージが強いからや
松潤が家康やっても払拭されなかったからこの家康像を作ったやつの罪は重い
マジレスすると太い狸爺さんのイメージが強いからや
松潤が家康やっても払拭されなかったからこの家康像を作ったやつの罪は重い
49: 歴ネタななしさん
花の慶次に出てくる家康のイメージが一般的に強そう
50: 歴ネタななしさん
>>49
年配の人は司馬遼太郎の家康のイメージが多そう
年配の人は司馬遼太郎の家康のイメージが多そう
ネタ元: ・不当に過小評価されている戦国武将
コメント
山県昌景,馬場信春,内藤昌豊,真田信綱など有力武将の多くが亡くなっとるがな
これを大敗と呼ばずして何が大敗?
織田・徳川が来たからって川渡って城の前に主力で立ちはだかったせいで自ら包囲されに行ってしまった。
長篠敗戦は必然だった
とはいえ勝頼の政権基盤があまりに脆弱すぎて、戦争でしか国衆を従えさせる方法がなかったのも事実なので、信長が家康の支援をできるようになった時点で詰みかなとも思う
勝頼じゃなかったら武田は生き残れたのか?と言われるとそうとは思えないので
長男が早世して40手前でようやく次男が産まれる位だから、江戸時代だと次男が産まれる前に養子取る羽目になって養子派と実子派でお家騒動になりそう
いくら最大版図築いても評価は辛くなるわ
勝頼は
親ガチャ失敗
家臣ガチャ失敗
だから同情の余地あるけど、氏政は敢えて選択間違えてるから無能。最大版図と言ってもそれ無くしてるし
各地を転々として武功を上げてコレといったヤラカシも無い、ただ足場固められる前に動いた秀吉が凄いだけで相手が悪かった。あと信雄は馬鹿
信雄はスタッフ含めて能力が足りないのに自主企画で侵攻戦をした身の程知らず。
信孝は信長が命じた戦しかしない分別が有ったというだけで自主的な戦争計画では信雄と似たりよったり。
そもそも庄川上流域を支配してないから統一したとは呼べない
姉小路は北に佐々成政、北西に柴田勝家、南に織田信孝に囲まれててそっちに結びつかざるを得ないのに賤ケ岳の戦いの結果、金森長近の飛騨征伐というどう舵取りしてたら良かったのかという詰み状態に陥るのすこ
羽柴側に乗り換えようとした長男と弟を殺しちゃったのが運の尽きよな。時勢が読めん井の中の蛙よ。
ノフヤボのステータスしょぼない?
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