『本能寺の変』を記録したさまざまな史料とは 〜信長の最期を伝える歴史の断片
https://article.yahoo.co.jp/detail/827a63e5158a0d3c263d10818e7a91d885803b28
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3: 歴ネタななしさん
明智の家紋は水色桔梗な
6: 歴ネタななしさん
誰が記録したんだろうか
62: 歴ネタななしさん
>>6
女はくるしからず
女はくるしからず
24: 歴ネタななしさん
>>6
非戦闘員は見逃されてるから目撃証言多数
あと光秀のほうは鳥羽にいて直接本能寺襲撃してなかったみたい
非戦闘員は見逃されてるから目撃証言多数
あと光秀のほうは鳥羽にいて直接本能寺襲撃してなかったみたい
17: 歴ネタななしさん
>>6
女が逃げてるのでそれを聞いて太田牛一が記録
女が逃げてるのでそれを聞いて太田牛一が記録
32: 歴ネタななしさん
>>17
あいつほんとうに有能だな
あいつほんとうに有能だな
11: 歴ネタななしさん
このハゲーっ!
12: 歴ネタななしさん
でも理不尽な状況に文句言うヤツって嫌いだわ
男らしくないというんだろうか
今それ言っても仕方ないじゃんみたいな
男らしくないというんだろうか
今それ言っても仕方ないじゃんみたいな
18: 歴ネタななしさん
森長可の子供?
19: 歴ネタななしさん
>>18
弟だよ
親父は森可成
弟だよ
親父は森可成
20: 歴ネタななしさん
光秀は過大評価され過ぎてたな
信忠も思い込みでガバガバ謀反を用意周到と思い込んで討ち死に
信忠も思い込みでガバガバ謀反を用意周到と思い込んで討ち死に
46: 歴ネタななしさん
>>20
城攻め(兵糧攻め)は得意だが野戦は下手というか、指揮官としての活躍が文献にあまり残ってないこと、娘婿の細川忠興に「多少、身をかばう傾向があった」と評されていることとかな。
城攻め(兵糧攻め)は得意だが野戦は下手というか、指揮官としての活躍が文献にあまり残ってないこと、娘婿の細川忠興に「多少、身をかばう傾向があった」と評されていることとかな。
21: 歴ネタななしさん
全力で信長か信忠逃げたら逃げ切れただろうな
23: 歴ネタななしさん
是非に及ばず😡
25: 歴ネタななしさん
是非もなし
39: 歴ネタななしさん
>>34
実際は光秀もノリノリで坊主を虐殺してたんだがな
実際は光秀もノリノリで坊主を虐殺してたんだがな
53: 歴ネタななしさん
>>39
信長も光秀も懇意にしてる僧や尊敬してた僧は事前に避難させてたからね。
秀吉なんてチャッカリ金品取って逃がしてた。
結局「信長恐るるに足らず!」なーんてナメて自分達を過大評価してた連中が斬られてた。
信長も光秀も懇意にしてる僧や尊敬してた僧は事前に避難させてたからね。
秀吉なんてチャッカリ金品取って逃がしてた。
結局「信長恐るるに足らず!」なーんてナメて自分達を過大評価してた連中が斬られてた。
101: 歴ネタななしさん
>>53
ほー
ほー
110: 歴ネタななしさん
>>101
俺も詳しい話は忘れたが比叡山には西棟と東棟?があって、ドッチかのトップの坊さんを信長は信奉していた。
信長の手紙「比叡山焼き討ちするからどいて下さい」
高僧の返事「私が下山したら貴方は本当に焼き討ちするでしょう。ならば私が盾となって比叡山を守りましょう」
信長の返書「どかないなら貴方ごと焼きます」
高僧の返事「ならば延暦寺と運命を共にしましょう」
信長の手紙「寺は焼けても再建できますが貴方ほどの僧は簡単には現れません」
高僧の返事「そうは言っても山を降りても行く場所がありません」
信長の手紙「貴方の為に京都内に新たに寺を建てました。ソチラへ移って下さい」
高僧の返事「私を慕う大勢の弟子がいます、彼らを捨てていく事は出来ません」
信長の返書「貴方の弟子達なら皆立派な僧達なのでしょう。何人いても入れるほど立派な寺にしてありますのでお弟子さん連れて降りて下さい」
高僧の返事「そこまで丁寧な対応されたら断れないなぁ」テレテレ
こんな感じのヤリトリが残ってると2ch時代の歴史板で読んだ事がある、
俺も詳しい話は忘れたが比叡山には西棟と東棟?があって、ドッチかのトップの坊さんを信長は信奉していた。
信長の手紙「比叡山焼き討ちするからどいて下さい」
高僧の返事「私が下山したら貴方は本当に焼き討ちするでしょう。ならば私が盾となって比叡山を守りましょう」
信長の返書「どかないなら貴方ごと焼きます」
高僧の返事「ならば延暦寺と運命を共にしましょう」
信長の手紙「寺は焼けても再建できますが貴方ほどの僧は簡単には現れません」
高僧の返事「そうは言っても山を降りても行く場所がありません」
信長の手紙「貴方の為に京都内に新たに寺を建てました。ソチラへ移って下さい」
高僧の返事「私を慕う大勢の弟子がいます、彼らを捨てていく事は出来ません」
信長の返書「貴方の弟子達なら皆立派な僧達なのでしょう。何人いても入れるほど立派な寺にしてありますのでお弟子さん連れて降りて下さい」
高僧の返事「そこまで丁寧な対応されたら断れないなぁ」テレテレ
こんな感じのヤリトリが残ってると2ch時代の歴史板で読んだ事がある、
43: 歴ネタななしさん
>>34
信長が本当に焼いたか怪しいみたい以前焼いたのは細川政元だし
信長が本当に焼いたか怪しいみたい以前焼いたのは細川政元だし
92: 歴ネタななしさん
>>43
その前は足利義教が焼いてる。間接的にだが
その前は足利義教が焼いてる。間接的にだが
52: 歴ネタななしさん
>>34
江戸時代の学者の新井白石は金まみれの堕落しきった比叡山を霊場とし再生するには必要だったみたいなこと言ってるし
仏教を盾に好き放題してきたし滅ぼされて当然
江戸時代の学者の新井白石は金まみれの堕落しきった比叡山を霊場とし再生するには必要だったみたいなこと言ってるし
仏教を盾に好き放題してきたし滅ぼされて当然
54: 歴ネタななしさん
>>34
浅井朝倉の兵も延暦寺を拠点にしていた
その兵を差し出せば被害は少なかったかも?ハマスガザと被るな
浅井朝倉の兵も延暦寺を拠点にしていた
その兵を差し出せば被害は少なかったかも?ハマスガザと被るな
71: 歴ネタななしさん
>>34
明らかに焼き討ちは光秀主導
その直後の出世具合から言っても
明らかに焼き討ちは光秀主導
その直後の出世具合から言っても
77: 歴ネタななしさん
>>71
>>34の攻める理由を光秀が下から言って信長を説き伏せた感じならイメージしやすいな
>>34の攻める理由を光秀が下から言って信長を説き伏せた感じならイメージしやすいな
79: 歴ネタななしさん
光秀が和田氏に書いた書状が有名だね。
「仰木の事是非ともなでぎり仕るべく候」
↑
「比叡山は皆殺しにして欲しい」から「やってくれれば恩賞は望むだけ与える」と続く。
ちなみに秀吉軍の兵は独自判断で女子供を逃してるが信長はそれを咎めてない。
↑
空気を読む天才秀吉(竹中半兵衛)は「こりゃ逃した方がウケいいな」と考え、強い指示をしなかったと思われる。
「仰木の事是非ともなでぎり仕るべく候」
↑
「比叡山は皆殺しにして欲しい」から「やってくれれば恩賞は望むだけ与える」と続く。
ちなみに秀吉軍の兵は独自判断で女子供を逃してるが信長はそれを咎めてない。
↑
空気を読む天才秀吉(竹中半兵衛)は「こりゃ逃した方がウケいいな」と考え、強い指示をしなかったと思われる。
95: 歴ネタななしさん
>>71
だな。近江坂本を領地にもらって織田家での出世頭になったしな
その時にちゃっかり皇族領(荘園)を横領してる(信長に申し出て許しは得てたろう)
保守派のように言われてるが、それも違うようだ。下手すると信長以上の天下布武派
だな。近江坂本を領地にもらって織田家での出世頭になったしな
その時にちゃっかり皇族領(荘園)を横領してる(信長に申し出て許しは得てたろう)
保守派のように言われてるが、それも違うようだ。下手すると信長以上の天下布武派
58: 歴ネタななしさん
秀吉も秀吉で色々と行動が早すぎて怪しいからな
66: 歴ネタななしさん
>>58
秀吉の行動が早い理由は解明されてる。
勝利は確定していたが、信長に花を持たせると同時に、家康がやった富士遊覧接待を上回る大接待を企画していた。
街道を整備し、地方豪族に指示してセキュリティ強化、宿泊ポイント毎に砦を作り、景観の良い場所を選んだ食事処を設置、最終的に人工湖の上に浮かんだ美しい高松城を見せた上で清水宗治の美しい切腹で締める予定だった。
↑
このルートを駆け抜けて姫路城に向かうが、道路も食事も全て完備されていた。
また、接待都合で出発時刻と通過点を知る必要があり、信さんの様子を京都から伝える伝令システムを作っている。
秀吉の行動が早い理由は解明されてる。
勝利は確定していたが、信長に花を持たせると同時に、家康がやった富士遊覧接待を上回る大接待を企画していた。
街道を整備し、地方豪族に指示してセキュリティ強化、宿泊ポイント毎に砦を作り、景観の良い場所を選んだ食事処を設置、最終的に人工湖の上に浮かんだ美しい高松城を見せた上で清水宗治の美しい切腹で締める予定だった。
↑
このルートを駆け抜けて姫路城に向かうが、道路も食事も全て完備されていた。
また、接待都合で出発時刻と通過点を知る必要があり、信さんの様子を京都から伝える伝令システムを作っている。
84: 歴ネタななしさん
>>66
それでも無理だな
歩兵部隊が時速70km/hで走らないと
間に合わないw
それでも無理だな
歩兵部隊が時速70km/hで走らないと
間に合わないw
87: 歴ネタななしさん
>>84
諸説(6月4日出発説)あるが、6月6日出発で、22キロ離れた沼城に当日到着、翌日70キロ離れた姫路城に到達、ただしこれは>>66で用意された中間点で馬を乗り換えて行った行軍になる。(これが中国大返し)
秀吉は姫路城に6月9日まで滞在するが、これは徒歩で姫路城に向かう本隊2万人を待ったため。
ここからは偽手紙を書いたり軍勢を整えながら進軍するが、6月12日大阪到達なので、そこまで速い行軍ではない。
諸説(6月4日出発説)あるが、6月6日出発で、22キロ離れた沼城に当日到着、翌日70キロ離れた姫路城に到達、ただしこれは>>66で用意された中間点で馬を乗り換えて行った行軍になる。(これが中国大返し)
秀吉は姫路城に6月9日まで滞在するが、これは徒歩で姫路城に向かう本隊2万人を待ったため。
ここからは偽手紙を書いたり軍勢を整えながら進軍するが、6月12日大阪到達なので、そこまで速い行軍ではない。
60: 歴ネタななしさん
単純に信長と信忠を一気に葬り去るチャンスが来たから殺っただけだよ
あのまま信長親子が天皇と謁見して秀吉のとこ行かれたら二度とあんなチャンスは来なかった
あのまま信長親子が天皇と謁見して秀吉のとこ行かれたら二度とあんなチャンスは来なかった
70: 歴ネタななしさん
第一声は「誰だ?」じゃなくて「信忠か?」
少なくても身近な人はそう思ってたらしい
少なくても身近な人はそう思ってたらしい
74: 歴ネタななしさん
「謀反ガバガバだから不自然」ってよく言われるけど、逆に計画的にしっかり準備してたら途中で警戒されるから謀反しても荒木村重みたいな「一家臣の反乱」で終わってたんじゃない?
80: 歴ネタななしさん
現代でも話に尾ひれがつくのに、あの時代だったらほぼ創作だろ。
81: 歴ネタななしさん
>>80
信長の三段撃ちが有名だけど、江戸期に作られた創作が多いんだよね。
↑
有名な雑兵物語もそうだけど、江戸初期に戦国ブームがあって「亡くなったじいちゃんから聞いたんだけど、本当に怖かったらしいぜ」「信長ってのが怖くてさ、髑髏で作った盃を...」。
そしてこれを聞いた人が本を書くw
例えば「信長が光秀を殴ったらズラが飛んだ」
↑
作者わからず
信長の三段撃ちが有名だけど、江戸期に作られた創作が多いんだよね。
↑
有名な雑兵物語もそうだけど、江戸初期に戦国ブームがあって「亡くなったじいちゃんから聞いたんだけど、本当に怖かったらしいぜ」「信長ってのが怖くてさ、髑髏で作った盃を...」。
そしてこれを聞いた人が本を書くw
例えば「信長が光秀を殴ったらズラが飛んだ」
↑
作者わからず
97: 歴ネタななしさん
>>81
3倍鉄砲を用意しなきゃいけないのに
何が画期的な戦法なのか昔から疑問だった
3倍鉄砲を用意しなきゃいけないのに
何が画期的な戦法なのか昔から疑問だった
100: 歴ネタななしさん
>>97
三段撃ちは長篠から30年後に書かれた甫庵信長記に記述されたのが初めてですが、この本は信長公記をソースとし、これに創作を加えた本なんです。
そして信長公記には三段撃ちの記述はありません。
ただ、複数人を1班とし、腕の良い班長が射撃を行って弟子達に渡し、彼らが次弾をこめた可能性はあるようです。
↑
狭い射撃スペースを有効活用でき、射撃精度も効率も高くなる。
三段撃ちは長篠から30年後に書かれた甫庵信長記に記述されたのが初めてですが、この本は信長公記をソースとし、これに創作を加えた本なんです。
そして信長公記には三段撃ちの記述はありません。
ただ、複数人を1班とし、腕の良い班長が射撃を行って弟子達に渡し、彼らが次弾をこめた可能性はあるようです。
↑
狭い射撃スペースを有効活用でき、射撃精度も効率も高くなる。
106: 歴ネタななしさん
>>100
そういうやり方ならわかる
そういうやり方ならわかる
86: 歴ネタななしさん
津田信澄「やってらんねえよ」
94: 歴ネタななしさん
光秀なら仕方がないて感じなのか
コメント
信長LOVEの太田牛一が聞き取り調査をして詳しく記録したらしい
よって信長公記の本能寺の変辺りの記述はかなり信ぴょう性があるらしい
将軍宣下 太政大臣 関白就任ど騙されで
おびき出されたんだんべが
僕は信長公さ尊敬しとる
だすけ敵さ取りてぇ
だどもそのまんま名乗っても申し訳ねぇすけ
尾多延永名乗っかな
三段打ち→やってません
楽市楽座→似たことはすでに他の大名がやってます。
兵農分離→実はほとんど分離してません
天皇を退位させようとした不忠者→天皇や朝廷が院政をを望んでました。
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