1: 歴ネタななしさん
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3: 歴ネタななしさん
俺なら家康に全賭けするけどな
当時でも100%勝つのを予想するのは容易い

6: 歴ネタななしさん
>>3
小早川次第で負けてたぞ

17: 歴ネタななしさん
>>6
明治の初めの頃に、ドイツ陸軍から教官を招いて陸軍の士官を育成してたんだけど、その時に関ケ原の初期配置を見せたら西軍の勝ちだと言い切ったそうな

22: 歴ネタななしさん
>>17
メッケルならその後「調略は別だ」と述べた。
小早川秀秋や吉川広家の動向を何も知らされず布陣だけ見て答えたんじゃないの。
寝返り勢や最後まで戦闘に加わらなかった勢を除外すると実際には西軍 36,100人 対 東軍 39,600人の戦闘でしかなかった。

58: 歴ネタななしさん
>>22
半分以上が関ヶ原の戦い見てただけのギャラリーやし半日程度でお開き
あんな大人数じゃ直ぐ兵糧切れで戦どころじゃなくなるし

5: 歴ネタななしさん
甲冑も渋いし地獄上等の六文銭の家紋も格好良すぎるわ
家康キラーだし

7: 歴ネタななしさん
長男の嫁は家康の重臣の娘
次男の嫁は三成の同僚の娘

それだけだぞ

16: 歴ネタななしさん
>>7
実際に三成と仲良かったのは兄ちゃんの方だけどな
家康の下賜品の中に
三成の手紙を隠していた話とか好き

8: 歴ネタななしさん
戦国時代を生き抜く知恵だろう

9: 歴ネタななしさん
国人領主なんてそんなもんだろ

10: 歴ネタななしさん
真田家が凄いと思われるのは
池波正太郎のおかげ

11: 歴ネタななしさん
大名でなく土着豪族なんだから
土地に執着しないと
小県(ちいさがた)の響きは好き

12: 歴ネタななしさん
>>1
単なる常識
敵味方に加えて中立の寺にも出す。

13: 歴ネタななしさん
日本の戦国土豪の極致みたいな能力者だった

27: 歴ネタななしさん
>>13
でも同じ戦国土豪の毛利元就には劣るけどな
戦国土豪の極致は毛利元就だよ

14: 歴ネタななしさん
関ヶ原で西軍が勝ってたら信濃一国貰えてたんだからな
惜しかったね

28: 歴ネタななしさん
>>14
期待された仕事はキッチリやったんだけどな
徳川本軍の到着を待たずに家康が主力決戦で一気に決着をつける好機と判断して関ヶ原に突入し、西軍有利になるまで待つつもりだった
小早川秀秋に鉄砲撃ちかけて寝返りを促すという強引なやり方で勝ってしまったのは運が悪かったな。まあ、真田一族まるまる徳川に付けなかったのが判断ミスではあるが…

31: 歴ネタななしさん
>>28 問い鉄砲は後世の創作

33: 歴ネタななしさん
>>31
そうなのか?、どの書物で創作されたの?

34: 歴ネタななしさん
>>33
AIに尋ねれば回答してもらえると思うけど別府大学の論文から引いてみる。

『関原軍記大成』、『落穂集』、『改正三河後風土記』、『関ヶ原御合戦当日記』、『五本関原日記』、『濃州関原合戦聞書』、
『関ヶ原合戦誌記』、『東西記』、『武徳安民記』、『黒田家譜』、『石田軍記』、『徳川実記』、『天元実記』、『朝野旧聞裒藁』

「問い鉄砲」やその類義語に触れられているこれら全て二次史料(江戸時代に編纂されたもの)で
一次資料(同時代資料と言い換えてもいい)には記載が無い。

39: 歴ネタななしさん
>>34
なるほど、ありがとう。一次資料に記載が見つからず、二次資料のみなら後世の創作の可能性は十分あるね

15: 歴ネタななしさん
ただのリスクヘッジじゃね

18: 歴ネタななしさん
長野・群馬県境付近の辺境の小勢力で、
元からあっちについたり、こっちについたりで、表裏卑怯の者と言われてたのよね
邪魔で生意気だから大軍で攻めたら、小勢で何回でも撃退しやがるから、もうさわるな、危険!扱いだったのよ

19: 歴ネタななしさん
蜂須賀家だって割れてるよ

21: 歴ネタななしさん
辺境の豪族で尚且つ生き残っていくのならそんなもの
優秀(いぎたない)な人間が育ちやすい
というか優秀じゃないと生き残れない

24: 歴ネタななしさん
黙れ小童!

26: 歴ネタななしさん
家の存続の為の権謀術数

30: 歴ネタななしさん
国衆ってのはそうやって生き残りを計ってきた人たちだからな
その中で特に有能だったのは確かだろうけど

42: 歴ネタななしさん
し…小県

北信土人だけど、わいの地元に帰省した時に、暇潰しに上田城に行って草笛で蕎麦食わしとけば嫁子供は満足しとるんや

46: 歴ネタななしさん
>>42
ち・・・ちいさい県。上田は大好きで上田城は勿論真田町にも足を伸ばす事もしばしば。
グルメを堪能したら今度は上田の女の子と一戦つかまつりたいものです。

44: 歴ネタななしさん
武士団なんていわば地場のヤクザの集合体みたいなもんだからな
それを信長、秀吉が転封というシステムを考え武士という木の植え替えを始め徳川幕府にも受け継がれた
徳川はあんなに盛んに植え替えをやらなけりゃ廃藩置県はもっと手こずったかもしれん

45: 歴ネタななしさん
真田昌幸というと丹波哲郎が出てくる

48: 歴ネタななしさん
>>45
真田太平記→真田丸の流れを作った三谷幸喜は分かってる

51: 歴ネタななしさん
親父は西軍で一緒に戦いたかったみたいだがな

52: 歴ネタななしさん
信之は91まで生きて身体も頭もしっかりしたままだった
藩でお家騒動が起きて幼い当主の後見人となったがその無理がたたって亡くなった
家光や頼宣のような血気盛んな人たちは度々屋敷に信之を呼んで戦国時代の話を聞かせてほしいとせがんだという

55: 歴ネタななしさん
no title

56: 歴ネタななしさん
部下の生活を守る必要があるからな

60: 歴ネタななしさん
確か真田宗家は血筋が途絶えており、現在は伊達政宗の血筋だったような
信繁(幸村)の血筋は現代も残ってるそうだが

62: 歴ネタななしさん
>>60
信之の方は大学の先生じゃなかったかな?

幸村の方はなんか宮城と東京行ったり来たりしてる姿をよくFBに投稿してたり本出したりと精力的なおじいさんだった気がする

ネタ元: ・真田昌幸って土地を守る執念が凄いよな。長男を家康に出して、次男を秀吉に出すとか。