1: 歴ネタななしさん

織田信長といえば尾張の国を拠点に、天下の覇者まで躍り出た武将というイメージを、抱く方も多いです。しかし実際は1国の大名ですらなく、尾張の何分の1かを領有する、1地方勢力からのスタートでした。
そして信長の歩みが語られるとき、しばしば京都へ上って、数々の戦国大名と火花を散らした歴史がフォーカスされますが・・それ以前に尾張を統一するのに約14年と、じつはここに人生における、大きなウェイトが占められています。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0205d2b36109e56c7691dc4479bae895b55de040
そして信長の歩みが語られるとき、しばしば京都へ上って、数々の戦国大名と火花を散らした歴史がフォーカスされますが・・それ以前に尾張を統一するのに約14年と、じつはここに人生における、大きなウェイトが占められています。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0205d2b36109e56c7691dc4479bae895b55de040
1: 歴ネタななしさん
桶狭間の合戦では、信長が率いていた兵力は2〜3千という少数でしたが、これも尾張統一の途中であったからと言うことができます。その状態で、東海3カ国を支配する大大名を破ったのですから、日本中が震撼したのも頷けます。
それにしても、その信長が14年もかけた尾張統一とは、果たしてどのような歩みだったのでしょうか。この記事では、この部分について分かりやすくお伝えしたいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0205d2b36109e56c7691dc4479bae895b55de040
2: 歴ネタななしさん
手下の手下みたいな
5: 歴ネタななしさん
織田の本家で朝倉と同格くらい?
7: 歴ネタななしさん
>>5
守護代だから。
守護代だから。
26: 歴ネタななしさん
>>7
朝倉も元は斯波家の越前守護代だろ
朝倉も元は斯波家の越前守護代だろ
6: 歴ネタななしさん
織田信長がすごいのは間違いないが
山地だらけの日本で、有数の広さとを誇る濃尾平野がすごいのである
日本の中心に位置し京都にも近い
港町堺ほど湾深くにない
自然の産物も豊富な奇跡の土地
山地だらけの日本で、有数の広さとを誇る濃尾平野がすごいのである
日本の中心に位置し京都にも近い
港町堺ほど湾深くにない
自然の産物も豊富な奇跡の土地
8: 歴ネタななしさん
親父さんが熱田の港を押さえて金持ちだったから、守護代でも力関係は既に斯波家より上だった。
9: 歴ネタななしさん
信長も凄えけど信長のパッパも凄えのよ
本家の枝の枝の枝から今川やら松平とやり合うくらいまで持って行ったんだから
本家の枝の枝の枝から今川やら松平とやり合うくらいまで持って行ったんだから
13: 歴ネタななしさん
>>9
経済政策とか親父さんのやり方を引き継いでるからな。
経済政策とか親父さんのやり方を引き継いでるからな。
10: 歴ネタななしさん
斯波の朝倉・織田とか細川の三好みたいなポジって畠山だとどの家になんの?
12: 歴ネタななしさん
>>10
遊佐神保じゃね?
遊佐神保じゃね?
17: 歴ネタななしさん
>>12
そういわれるとなんかすごい格が落ちるな…
そういわれるとなんかすごい格が落ちるな…
15: 歴ネタななしさん
もう尾張だよこの国
16: 歴ネタななしさん
信長のパパが凄いんだろ
18: 歴ネタななしさん
尾張守護斯波家の家老格が伊勢守家と大和守家、信長の弾正忠家はその下の家臣格
弾正忠家は織田の分家の一つに過ぎなかったが、父信秀の時代に交易で富を増やし頭角を表し三河や美濃との戦いでも戦功上げてた
この時代から桶狭間までを大河ドラマでやってほしい
弾正忠家は織田の分家の一つに過ぎなかったが、父信秀の時代に交易で富を増やし頭角を表し三河や美濃との戦いでも戦功上げてた
この時代から桶狭間までを大河ドラマでやってほしい
19: 歴ネタななしさん
斯波家家臣時代に朝倉家から家紋の意匠を譲り受けたのに朝倉家を滅ぼした織田さん
21: 歴ネタななしさん
弾正忠家は祖父から父にかけて熱田や津島の両港を押さえた嗅覚が凄いわ
22: 歴ネタななしさん
斯波は足利の庶兄で宗家を継げなかったから分家では別格の扱い
23: 歴ネタななしさん
応仁の乱で当主が京都に出向いている間に領地を代わりに納めていた
守護代が力を持つようになり…とか日本史で習ったでしょ
守護代が力を持つようになり…とか日本史で習ったでしょ
28: 歴ネタななしさん
えっと…守護の部下の守護代の家臣の家老って…他に有名な人って誰?
29: 歴ネタななしさん
>>28
松永久秀とか
松永久秀とか
30: 歴ネタななしさん
織田信長は源氏の足利家と対抗するために平氏を自称したが、
父信秀は藤原氏を称していて
現代に学術的には忌部氏と推測されている。
これはこれで古墳時代から続く歴史ある氏族だが。
下剋上の時代だしな。
武家社会の秩序がいろいろと入れ替わった時代なんだ。
父信秀は藤原氏を称していて
現代に学術的には忌部氏と推測されている。
これはこれで古墳時代から続く歴史ある氏族だが。
下剋上の時代だしな。
武家社会の秩序がいろいろと入れ替わった時代なんだ。
コメント
ただし鎌倉時代の御家人の家系ではないので、その分ちょっと低い
織田本家と三好を比べたら、小笠原流(自称)三好の方が上、尼子が三好と同格かな
浦上が織田本家と同格っぽいけど、赤松は一度滅びてるからなぁ
斯波氏自身は管領職などがあるので京都にいる事が多く
領国は守護代に任せていたんだな
でぇ、越前は朝倉氏、尾張は織田氏、遠江は甲斐氏に任せていたんだが
越前は朝倉氏に乗っ取られ、尾張は織田氏に乗っ取られ、遠江は今川氏に攻め取られた
(甲斐氏はどっかに消えちゃったもよう)
遠江を攻められた時、斯波義達は積極的に遠江に遠征したんだが
遠征に反対した織田守護代は義達に攻められて没落
義達自身も今川氏にボロ負けして没落
結果、守護代の家臣である織田弾正忠家(信長の血筋)が漁夫の利を得たわけだ
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