1: 歴ネタななしさん
1944.
何の資料もない

3: 歴ネタななしさん
赤紙は来る

4: 歴ネタななしさん
田舎でもB29が空爆してたぞ
市長の家とか市役所とか工場に飛行場な

9: 歴ネタななしさん
結論から言うと、「場所による」。でも一部のド田舎は、マジで日常があんまり変わらず終戦まで行けた。ただし、それは「表面的な日常」に過ぎない。


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1. 空襲の対象から外れてた田舎は“比較的”安全

爆撃の主なターゲットは大都市(東京、大阪、名古屋、広島、福岡など)。だから山間部とか離島とか、鉄道も工場も何もない本当のド田舎は、物理的には空襲を受けずに済んだケースが多い。

例:

山陰地方の小さな村

四国の山奥

東北の過疎地(当時から)


こういう場所は、B29なんて飛んでこないし、兵隊もそんなにいないし、農民が細々と食いもん作って生きてた。


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2. 物資不足は全国共通:田舎も例外じゃない

都会の方が配給は潤沢だったまである。田舎は陸の孤島だから、逆に物資の流通が死んでてキツい。

ガソリン→無い

薬→無い

砂糖→無い

自転車のパンク修理すらできない


田舎の人たちは「自給自足」ができた分、命はつないだ。でもバターも牛乳も何年も見ない生活。


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3. 徴兵と学徒動員で若い男が消える

田舎は特に男手が減って農作業が崩壊。女・子供・老人だけの共同体になる。

田植えも脱穀もジジババと小学生

村の青年団が丸ごと戦死して過疎化

婚姻率が落ちて人口ピラミッドがゆがむ


だから、「見た目平和だけど未来が詰んでる」感じ。

11: 歴ネタななしさん
父方が山形、母方が宮城の山奥だったから特に問題なかったらしい

17: 歴ネタななしさん
戦争してる頃って車やバイクってもうあったの?

19: 歴ネタななしさん
>>17
普通にある
戦前にはもうあったし工業力の指標でトラックの生産数が使われたりもする

28: 歴ネタななしさん
>>17
陸軍向けの四輪駆動車 くろがね四起(九五式小型乗用車)1935年(昭和10年/皇紀2595年)
九十五式は皇紀2595年に由来

トヨタ・AA型乗用車が1936年(昭和11年)
外国メーカーのライセンス生産車はもっと前からある

18: 歴ネタななしさん
昭和の老人が書いた食の本には都市圏でも飢えたのは終戦間際の最後の1年で疎開地ではおにぎり食えたって書いてあったな

22: 歴ネタななしさん
民家に空爆って当時でもジュネーブ違反しまくりだけどアメリカって何かお咎めあったの?

30: 歴ネタななしさん
>>22
日本も空爆してたし裁く組織もないからおっけーだよ

24: 歴ネタななしさん
父方も母方もド田舎出身だから空襲みたいな直接的被害は受けてないな
食い物には苦労したけど餓えるほどでは無かったようだし

26: 歴ネタななしさん
うちは四国の山間だけどB29の爆撃跡とグラマン機銃掃射跡がいまだに残ってる
ここがこれならたぶん安全なとこなんか無かったんだろうな

27: 歴ネタななしさん
都会からの疎開で人口増えて経済的には潤ったんじゃないかな

29: 歴ネタななしさん
>>27
まともな労働力は工場なり徴兵なりで疎開を許さなかっただろうから食い扶持ばっかり増えて……って状態じゃないの
疎開したのって子供とそのお守りの女ばっかりでしょ

31: 歴ネタななしさん
爆弾は降ってこないやろうけど赤紙は来るわな

33: 歴ネタななしさん
爺さんに聞いたら村で田んぼ持ってたから戦時中でも白米しっかり食ってたと言ってた

35: 歴ネタななしさん
ばあちゃんの弟妹5人いたけど昭和19~21年の間に赤痢で全滅してるんだよな
川上の兵舎から垂れ流されたうんこ+無医村コンボで終戦の頃は大変だったみたい

ネタ元: ・太平洋戦争の時、日本のド田舎って普段と変わらず安全だったの?