1: 歴ネタななしさん
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3: 歴ネタななしさん
信長に蹴鞠技を披露しつつ実は命を狙ってたかもしれぬ

4: 歴ネタななしさん
朝廷工作の名手だからな…家康も幕府開いてからは結構頼りにしてた

21: 歴ネタななしさん
>朝廷工作の名手だからな…家康も幕府開いてからは結構頼りにしてた
氏真を活用出来たか否かが徳川と北条の分岐点だったかもしれん

5: 歴ネタななしさん
ちなちゃんとサッカーの神として京都では祀られているのである

6: 歴ネタななしさん
信長の野望だとたまに有能になる

8: 歴ネタななしさん
>信長の野望だとたまに有能になる
でもこの人が有能はないよな
凡人なりに頑張った結果駄目だったんだから…
ただし後世に安全圏からバカにしてるやつが氏真と同じ立場になったとして結果が出せるかというと絶対そんなことはないのは言える

9: 歴ネタななしさん
no title
 
蹴鞠の技術も政治の能力の一つだぞ

10: 歴ネタななしさん
戦国のならいなので信長に恨みはないけど武田は絶対許さないマン

11: 歴ネタななしさん
奥さんに捨てられないぐらい愛されてたんやね

14: 歴ネタななしさん
蹴鞠ってリフティングの更に難しいバージョンで結構大変そうなイメージ

13: 歴ネタななしさん
no title
 

12: 歴ネタななしさん
高家として血筋つないでるんだから有能だろ
軍事だけで有能無能決めてるんか?

15: 歴ネタななしさん
>高家として血筋つないでるんだから有能だろ
そしたら有馬土岐畠山とかほかの高家武将たちも評価してやってくれ

16: 歴ネタななしさん


18: 歴ネタななしさん
新生だとたまに家宝を拾ってくる
スキルで優遇しようという試みが見える

23: 歴ネタななしさん
ちゃんと血筋残してるんだから時代考えたら有能よ
最後まで付き従った部下や武将も居たからね

27: 歴ネタななしさん
地元の先輩

28: 歴ネタななしさん
だから静岡がサッカー大国なんですね

54: 歴ネタななしさん
>だから静岡がサッカー大国なんですね
実は!
特に関係ない

29: 歴ネタななしさん
中国にも蹴鞠で皇帝に気に入られたのおったね

32: 歴ネタななしさん
>中国にも蹴鞠で皇帝に気に入られたのおったね
あれ、メッチャ風評被害なんですよ・・・

38: 歴ネタななしさん
>>中国にも蹴鞠で皇帝に気に入られたのおったね
>あれ、メッチャ風評被害なんですよ・・・
「高俅のために宋国が滅ぶ…」

31: 歴ネタななしさん
no title
 
大戦は相変わらずブレねえな

36: 歴ネタななしさん
>大戦は相変わらずブレねえな
完全に時代考証とか無視するようになったか

33: 歴ネタななしさん
島津の誰かだったが朝鮮出兵でずっと蹴鞠してて敵味方からあいつ馬鹿なのかなと思われてたら戦闘始まった瞬間に敵船に乗り込んで乗っ取ったんだっけ

39: 歴ネタななしさん
島津の蹴鞠狂いは周囲にも伝わっててスレ画は尊敬すべき先人

40: 歴ネタななしさん
島津は都言葉使えるし蹴鞠や和歌、笛など嗜む文化人だからな

46: 歴ネタななしさん
ないない、親父死んでもお前が行けば松平(徳川家康)の反乱は抑えられてたのに
馬鹿息子なのは変わらない

47: 歴ネタななしさん
no title
 
教養があったら評価は変わっただろうか

50: 歴ネタななしさん
>教養があったら評価は変わっただろうか
烏丸文麿「隠れていても、獣は臭いでわかりまするぞ」

51: 歴ネタななしさん
新生じゃ数奇に
家宰が金特性でまぁ優遇されてるよな

52: 歴ネタななしさん
戦国大名としてはダメダメだがそれ以外の部分で有能
ゲーム的には数値に現れないやつだな

53: 歴ネタななしさん
戦国で蹴鞠だと蹴鞠の布教に努めた飛鳥井雅俊雅綱親子はもっと有名になるべき

59: 歴ネタななしさん
結局今川さんてどうなったのかと調べたら
江戸時代は高家待遇で徳川に仕えてたけど
明治になって士族のまま華族になれず貧窮して跡取りもなく絶えてた

60: 歴ネタななしさん
>明治になって士族のまま華族になれず貧窮して跡取りもなく絶えてた
そんな...

63: 歴ネタななしさん
高家は禄高が低いので全員華族になれてない
一人だけ嘘ついて華族になった奴はいるがバレて処された

61: 歴ネタななしさん
>そんな...
今川焼「いるさ!ここにひとりな」

62: 歴ネタななしさん
>今川焼
今川橋(地名)定期

65: 歴ネタななしさん
武家としての才能は無かったけど
生き抜く知恵はちゃんとあったから

66: 歴ネタななしさん
それも戦国の最終勝利者の幼馴染という運に助けられた面が大きそう

69: 歴ネタななしさん
>明治以降国広に与えられた中大夫、触頭の地位は、いずれも太政官の官職ではなく、国広に政府官僚たる地位が与えられることはなかった。しかし、国広は、その後も働かず、いつ廃止されるかも分からない封建的特権の残滓である75石の家禄だけで生活しようとしたと見られる。国広は明治2年に妻、明治5年に嫡子に先立たれ、明治8年に今川家の没落を見かねた観静寺が旧領から集めた義捐金20円を受け取り、明治20年に後継ぎなく死去したという。これにより高家今川家は絶家した。
最後まで筋金入りのニートだな今川家

72: 歴ネタななしさん
戦国武将としての才能はカケラとして無かったが芸術家としての天分は恵まれていたのだ

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