1: 歴ネタななしさん
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2: 歴ネタななしさん
すわっ!

3: 歴ネタななしさん
好かれてなかったらここで譜代の家臣がこんなに討ち死にしてなかった

34: 歴ネタななしさん
>>3
これ
嫌われてたならみんな先に逃げてるよ

37: 歴ネタななしさん
>>34
最期はみんな逃げ出してたけど

5: 歴ネタななしさん
脇腹の子だからじゃね?
毛利元就も正妻の子以外はほぼ奴隷みたいな扱いしてたみたいだし

15: 歴ネタななしさん
>>5
元就も多治比にいた頃は奴隷みたいな扱いされたし多少はね

6: 歴ネタななしさん
>>1
長子優先はまだこの時代じゃ定まってないでしょ

23: 歴ネタななしさん
>>6
とは言え長男・武田義信の排除は能力ウンヌンと言うより今川家との関係を断つという外交的な要因が大きい。
武田信玄は独裁者では無かったから家臣団との立場が弱く、いつ家臣に寝首をかかれるかワカラン不安定な立場だったから仕方ない部分もあるが、
あまりにも外交・対外戦争政策が「目の前の小銭を必死に拾う」感のセコい方針が多い。

28: 歴ネタななしさん
>>23
でも当時、武田家が躍進するには南に侵攻するしかなかったし
義信と今川から嫁いだ正室の子は武田・今川両家の血を引くわけだから
それをいずれ立てて両家を合わせるという名目で駿河侵攻を義信が受け入れていたらな
あの頃はまだ織田も美濃を手に入れておらず義元の仇を討つという大義を掲げる
こともできたんだし

47: 歴ネタななしさん
>>23
海を手に入れるのは武田の悲願なのと、国内の金山の産出量が減って駿河の金山狙う必要あった
甲斐や信濃で重税かける代わりに住民は戦に参加すれば略奪OKご褒美沢山という「ニンジンぶら下げる」統治やってる信玄からすると 

7: 歴ネタななしさん
昔は嫡男かどうかが重要
勝頼は信勝が元服するまでの繋ぎ

25: 歴ネタななしさん
>>7
実際、信玄は勝頼に冠位を与えていなかったしな。
コレでは家臣団から軽く見られても仕方ない。信長の挑発としてワザと馬鹿にしたように手紙の宛名に
『武田四郎へ』と書いていた。
信玄が朝廷や将軍に勝頼の冠位を与えてくれるように頼んで無かったんだから仕方ない。
アレで武田家がどれほど損していたか計り知れない。

8: 歴ネタななしさん
義信が死んでなければ勝頼なんて家臣から相手にもされなかったろう

9: 歴ネタななしさん
諏訪御寮人の息子だから庶子だしな勝頼は
名前も武田の通字「信」は貰えてないし
後継といっても嫡男信勝が成人するまでの
代理扱い

11: 歴ネタななしさん
信玄と正室の三条夫人はおしどり夫婦だった
小説やドラマだと仲の悪い夫婦とされるが、5人子供産まれてるし、自分が埋葬される場所も三条夫人が葬られてる寺を指定

12: 歴ネタななしさん
嫡男かどうかじゃなくて正室の子供だったかどうかが重要
織田信秀や伊達政宗の長男は庶子だったから
後継者になれなかった

14: 歴ネタななしさん
諏訪氏絡みで本心は忠誠心高くない
奴は恐らくおったやろな。

24: 歴ネタななしさん
勝頼が後を継いだころには、もう織田と武田は絶望的な勢力差があったし、挽回不可能だろ

上杉謙信といい、信玄はいい時期に死んだよ
おかげであとを継いだ二人が苦労することに

29: 歴ネタななしさん
>>24
家康「まあ跡継ぎは皆苦労するモンですよ、ウチの秀忠以外は」

44: 歴ネタななしさん
勝頼はどんどん味方に裏切られて、最後は数十人になって、織田方に討たれるんだよな

義経みたいな滅びの美学はあるかもな
大河ドラマばえするかも

53: 歴ネタななしさん
>>44
父親が偉大過ぎた(やらかし過ぎた)せいで後始末に苦悩してかつての仇敵上杉と同盟してまで生き残りを模索する勝頼に惹かれるんだよね
最後はそれこそ手下が十数人になるまで追い詰められて妻子は自害、勝頼自身は足軽に討ち取られるとか一年間ドラマでじっくりと描いて欲しい人だわ

54: 歴ネタななしさん
信玄は父親の信虎を追放して当主となったが 信虎は信玄より長生きして 信玄没後 勝頼に「甲斐へ戻りたい」という書状を何度も送っていたのたそうな
そう言われて勝頼も困っただろうなあ

55: 歴ネタななしさん
>>54
一応引き取ったけど諏訪に滞在させて甲斐には入れなかったと
勝頼や重臣達と面会時に持ってる刀を示して「これで〇〇を手打ちにした」と語りだし座が凍りついた(信虎に手打ちにされた人が重臣の親類だった)、これで信虎ヤベーと

56: 歴ネタななしさん
武田軍は全軍連れてきたら2万5000くらいになるのに
長篠に居たのは15000だけ。三河攻撃して帰る予定で決戦する気無いのに決戦になった。

58: 歴ネタななしさん
>>56
北の上杉に備える必要あるから全軍なんて連れていけない上杉と結ぶのは御館の乱の後からでそのときは織田と上杉は同盟に近い関係だった
あと季節的に農繁期で人連れて行ったら米の収穫が減る

62: 歴ネタななしさん
「武田信玄」(88年大河ドラマ)のラストの方、勝頼が広い部屋でひとりぼっちで座っている場面が印象的だった。
勝頼の末路の暗示だな。

66: 歴ネタななしさん
これ考えると他家に行った香川や津野じゃなく実家にいた四男盛親と後継にした長宗我部は正しかった
まぁ死ぬ時期が悪くて家が滅びたのは武田信玄と同じだが

67: 歴ネタななしさん
金山の採掘量が落ちた
家臣団からは諏訪殿とよばれ関係性が薄かった
古くさい躑躅ヶ崎館が限界で近世的な新府城に居城を移すのに膨大な費用がかかった

戦を繰り返して領土拡張をしていくしか領国経営の選択肢がなかった
信玄に自分の死期や没後を見通す才覚が家康の半分でもあれば勝頼は武田を滅ぼすことはなかっただろう

68: 歴ネタななしさん
勝頼は正式な後継者じゃなく信勝の後見人
名前に「信」を入れることを許されない立場で元々武田四天王とかより下っ端の先手衆
好かれる云々の前に見下されて家臣の統一が出来て無かった

80: 歴ネタななしさん
家臣団が実質支配しててただの神輿だから血縁者ならなんでもよかったんだろ

83: 歴ネタななしさん
>>80
その家臣団の制止を振り切って信長の挑発に乗って長篠の戦いに突入して殆ど討ち死にしたしな

84: 歴ネタななしさん
>>83
長篠城攻略に予想外に時間がかかったからな
立て籠もっていた奥平信昌が戦功第一として
信長や家康から破格の激賞されたのも長篠城で粘ったから

ネタ元: ・武田勝頼は武田信玄の長男ではないからやはり家臣に好かれてはいなかったんかね? [194767121]