1: 歴ネタななしさん
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本能寺で親父がキャンプファイヤーやってる最中にさっさと逃げてれば天下貰えたやん?

2: 歴ネタななしさん
自らの手で明智光秀討たないと信雄信孝と似たような立場か
なまじ嫡男ですでに家督も受け継いでたから真っ先に粛清対象よ

3: 歴ネタななしさん
逃げてさっさと明智討伐の兵上げればええ

4: 歴ネタななしさん
情報ゼロだからな
なんか大軍に攻められてて首謀者が最高司令官的な奴らしいってなったら諦めるだろ

6: 歴ネタななしさん
武田勝頼勢や投降してきた家臣達を問答無用で殺したからな その報いを受けたんだろ

7: 歴ネタななしさん
1500の兵で明智の1万の兵を相手では
逃げるの無理

10: 歴ネタななしさん
>>7
本能寺と妙覚寺同時襲撃してないから光秀は信忠まで京都にいるって当初知らんかった可能性高い
本能寺襲撃してる最中にさっさと逃げてれば楽勝

8: 歴ネタななしさん
落ち武者狩りが恐いもん
本当に怖いのはそこら辺の農民

18: 歴ネタななしさん
>>8
家康がヤバかったもんな穴山も殺られてるし
光秀自身も最後土民に殺られてるし

14: 歴ネタななしさん
25歳の若輩者で気性が荒かったからな
逃げる事を良しとしなかっただけだろう
親父は度々尻尾を撒いて逃げてたのにね

19: 歴ネタななしさん
信忠は信長の宿所である本能寺を明智光秀が強襲した事を知ると、本能寺へ救援に向かうが、信長自害の知らせを受け、光秀を迎え撃つべく異母弟の津田源三郎、京都所司代の村井貞勝や重臣斎藤利治ら側近と共に皇太子誠仁親王の居宅である二条新御所に移動した。信忠は誠仁親王を脱出させると、手回りのわずかな軍兵とともにそのままそこで籠城した。しかし、明智軍の伊勢貞興が攻め寄せると、織田信忠は敵兵の数の多さに勝ち目がないと思い、その場で自刃した。

20: 歴ネタななしさん
>>19
なるほど逃げずに敵討ちに出て即詰んだのか
脳筋か

30: 歴ネタななしさん
>>19
>手回りのわずかな軍兵とともにそのままそこで籠城

兵力がぜんぜん足らんのすぐ計算つくやろ
篭城の選択肢が間違いや

21: 歴ネタななしさん
叔父の有楽斉が自刃を勧めた
ところがその後に有楽斉自身は「これ逃げれるんじゃね?」となって逃げた

22: 歴ネタななしさん
ボンボンだからすぐ諦める

24: 歴ネタななしさん
普通に考えると信忠が無事に逃げて家臣をまとめてから光秀を討つと思うんだが
みんな勝手に動きすぎじゃね

25: 歴ネタななしさん
後世の人は色々言えるけど
当時の限られた情報の中で判断しないといけないからな

27: 歴ネタななしさん
光秀のことだから逃げ道は封鎖されているだろうと思いこんだ。
実際はすぐに行けば安土城に行けただろう

34: 歴ネタななしさん
朝廷幕府長宗我部
いろんな説があるな

35: 歴ネタななしさん
謀反を起こしてまで安定した地位を捨てるもんかね
光秀ですらその後の運命はあれだったんだし

38: 歴ネタななしさん
戦わずに逃げれば 後継者の資格はないし 情報を収集し 勝てないと判断したら逃げればいい

とか言ってる間に包囲されてどうにもならなくなったんだろうね

40: 歴ネタななしさん
秀吉が盛られすぎてるのがいかんのよ
大返しとか大したスピードじゃないのに

48: 歴ネタななしさん
光秀の最大の誤算は信長の首が見つからなかった
後でひょっこり出てきたら謀叛人だから細川は光秀についてたよ

55: 歴ネタななしさん
>>48
細川はわからんよ
光秀は信頼し切ってたような態度だったけど世渡りの天才の家系だから光秀の動向だけじゃなく徳川も秀吉も将軍も毛利もみんなの顔色を冷淡に観察してどこにも付かず離れずを続けてたと思う
戦国を無事に渡り切って細川の氏をそのまま存続させ末裔細川護熙は総理大臣にまでなった

49: 歴ネタななしさん
秀吉が裏にいる説はその後一番得をしてるのは誰?というところからでしょ

6/27は清洲会議の日らしい

54: 歴ネタななしさん
今から考えればすぐに京都から逃げるべきだった
そして安土城に入って光秀討伐の旗を揚げるべきだった
しかし当時は光秀の兵力数は分からないし何よりも天皇がいる京都を失いたくなかったんだろう

ネタ元: ・なんで織田信忠ってさっさと逃げなかったの?