1: 歴ネタななしさん
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浅草とか日本橋辺りに片道5.6kmとか歩いていってたんか?
帰り道とかどうしてたんや?

2: 歴ネタななしさん
飯屋なんかそこら中にあるだろ

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https://honkawa2.sakura.ne.jp/7840.html

3: 歴ネタななしさん
>>2
そなんか、盛り場ってそこらにあったんか?

4: 歴ネタななしさん
朝帰りよ

6: 歴ネタななしさん
素泊まりできる宿屋が沢山あったんや、価格競争も激しくて安かったらしいで

12: 歴ネタななしさん
>>6
なる、飲んだら帰らんのやね

10: 歴ネタななしさん
時代劇の居酒屋って想像上のセットらしいな
実際はあんなテーブルがあったかわからんのでは

27: 歴ネタななしさん
>>10
居酒屋でもテーブルは無かったらしい
畳の上に座りお膳で飲み食いしてたそうな

29: 歴ネタななしさん
>>27
御膳ってちっちゃいテーブルやね

57: 歴ネタななしさん
>>29
小さいテーブルとも言えるし、脚の付いたお盆とも言える
江戸時代の飲食店で料理を供する形態を高級な順に並べると、
お膳で出す店>お盆で出す店>器だけで出す店>串焼きなど器の無い料理の店
となる

15: 歴ネタななしさん
ワイんときは帰り道辻斬りに追いかけられて焦った

19: 歴ネタななしさん
店で酒飲むのは金持ちだけやで

20: 歴ネタななしさん
>>19
そなんか?
貧乏長屋住みは娘に買ってこい!なんか

23: 歴ネタななしさん
昔は日本酒水で薄めたやつ飲んでたんやで

24: 歴ネタななしさん
基本は宿屋で酒も出してたんやない?
たそがれ清兵衛って映画ではそんな感じやった

30: 歴ネタななしさん
お膳は畳用テーブルみたいなもんだよな
使いにくいけど

32: 歴ネタななしさん
さすがに江戸くらいになればどこにでも店あるやろ

61: 歴ネタななしさん
>>32
酒と料理を出す店くらいなら、どこの町内にも少なくとも2~3軒はあったらしい
江戸の街は独身男性が多く暮らしていて、外食需要がとても高かったので

33: 歴ネタななしさん
>>32
今で言う渋谷新宿なんて野原やろ
池袋なんて野原以下やろ

104: 歴ネタななしさん
>>33
新宿はその名の通り江戸時代に新しくできた宿場町や
遊女もいた

106: 歴ネタななしさん
>>33
内藤新宿やから宿場町みたいなもんやろ

34: 歴ネタななしさん
江戸の一般的な町民は薪代を抑えるため朝の一度に夕食分まで飯を炊く始末で
外食やら酒浸りの余裕なんてあまりなかった

35: 歴ネタななしさん
二八そばとか蕎麦屋の屋台もあったんかな

店に行けるんは金持ちだけやろ

39: 歴ネタななしさん
>>35
金持ちは今でいう料亭に行ってたんやで
居酒屋に行くのは肉体労働者や
男あまりの江戸では妻子持ちが少ないし、江戸っ子は宵越しの金は持たんから底辺でも通えたってわけやな

51: 歴ネタななしさん
>>39
そやね悪代官とか料亭やもんな

38: 歴ネタななしさん
家飲みだろ
落語だと嫁に酒屋まで買いに行かせるシーンあるし

43: 歴ネタななしさん
一膳飯屋とかいうのも時代劇で見たことあるで
酒は出してないかもやけど

44: 歴ネタななしさん
長屋のそばに屋台とか飲み屋とかあったんやろ

47: 歴ネタななしさん
一膳飯屋とか屋台とかでも酒出してそうやしな
女は吉原以外に夜鷹がそれなりにおったんちゃうの、大久保公園のタチンボよりリーズナブルやったとか

48: 歴ネタななしさん
親父!もう一本!

52: 歴ネタななしさん
江戸時代、浅草や日本橋あたりに酒を飲みにいくのは、確かに5~6km程度の距離を歩くのが一般的だった。江戸の町は徒歩文化が基本で、庶民は基本的に歩いて移動していた。以下、ポイントを整理:移動手段:徒歩:江戸の庶民は、5~6km程度なら普通に歩いた。1時間半~2時間程度の距離で、日常的な移動範囲内。酒を飲みにいくのに、このくらいの距離は特別遠いとは感じなかっただろう。
 
駕籠(かご)や馬:金持ちや武士は駕籠を使うこともあったが、庶民には高価で現実的じゃなかった。馬も同様。船:隅田川沿いの浅草や日本橋なら、船での移動もあった。特に荷物や人を運ぶ「渡し船」が一般的で、酒場に行くのに使う人もいた。

酒場文化と場所:浅草や日本橋は盛り場で、酒屋や居酒屋(煮売屋)が集まっていた。特に浅草は寺社参詣ついでの飲酒スポットとして人気。日本橋は商人や旅人の集まる商業地で、酒場も多かった。5~6kmの距離は、例えば深川や本所から浅草、日本橋から神田や下谷あたりまでの距離感。これくらいなら、昼間に歩いて出かけ、夜までに帰るのが普通。

帰り道:酔っ払って歩く:酒を飲んだ帰りは、酔っ払ってフラフラ歩いて帰るのが一般的。江戸の夜は比較的安全で、夜道を歩くのも珍しくなかった。ただし、酔っ払いは掏摸(すり)や喧嘩に巻き込まれるリスクもあった。

仲間と一緒:グループで飲むことが多く、連れ立って帰ることで安全を確保。酔っ払いを介抱しながら帰る姿もよく見られた。
 
泊まり:遠方から来る場合、宿屋や知人宅に泊まることも。浅草近辺には旅籠や木賃宿が多かったから、そこで一泊して翌朝帰るパターンもあった。船や駕籠:金があれば、帰りは船や駕籠を使うこともあったけど、庶民はコスト的に厳しかった。

当時の感覚:江戸っ子は歩くのに慣れていて、5~6kmは「ちょっと遠出」程度。現代の感覚だと遠く感じるけど、当時は日常茶飯事。酒を飲むのは社交の場でもあり、仲間とワイワイ歩きながら行くのは楽しみの一つだった。帰りも、酔っ払いながら歌ったり喋ったりして帰るのが、江戸の風情。

結論:5~6km歩いて浅草や日本橋に酒を飲みにいくのは普通だった。帰りは酔っ払って歩くか、仲間と一緒か、場合によっては宿に泊まったり船を使った。江戸の庶民にとって、酒場までの道のりも含めて「遊び」の一部だったんだ。

54: 歴ネタななしさん
>>52
ほぇ、識者現る
飲みに行くのに5.6kmとか命がけやったんやね

58: 歴ネタななしさん
>>52
べろべろになって船から落ちたりするやついたんかな
おもろいな

60: 歴ネタななしさん
>>52
お前それGPTやろ

56: 歴ネタななしさん
時代劇だと蕎麦屋で飲んでたぞ

63: 歴ネタななしさん
歩きの時代の人にとったら5km 10kmは近場やろ

64: 歴ネタななしさん
江戸時代は街灯もないし夜歩いてたら強盗とか多くて危なそう

65: 歴ネタななしさん
暴れん坊将軍のめ組が行ってるような店が結構あったんやろなあ
飯が美味そうなのは鬼平犯科帳

68: 歴ネタななしさん
江戸の深夜は危険とか聞いたことがあ

71: 歴ネタななしさん
その辺の町でもいわゆる場末のお店はあるやん同じことよ
屋台もあったりな

73: 歴ネタななしさん
なんで浅草や日本橋にしか店が無いと思ってんだ
そこら中に蕎麦屋とかあって酒飲めたやろ

74: 歴ネタななしさん
ぶっちゃけ一部の陽キャだけやろな
大概の庶民はちょこっと底辺仕事してあとは長屋でゴロ寝や

79: 歴ネタななしさん
>>74
長屋にしろ自分の家を持っているのは上級やで
大抵の奉公人は自分の勤め先である武家屋敷や商家の中に住み込みや

78: 歴ネタななしさん
江戸時代って酒蔵から酒を買った酒屋が水で薄めて飲み屋でさらに水で薄めて提供されるから度数3%以下だったらしいぞ

81: 歴ネタななしさん
江戸の平民の平均歩行距離は30~40km/日とかやろ
新宿で飲んで赤羽に歩いて帰るのとか朝飯前ら

82: 歴ネタななしさん
いまの江東江戸川エリアなんかだと思ってる以上に日本橋に向かう水運も発達してたりしてな
川沿いに遊べる泊まれるちょうどいい集落もいくつかあったんだ

84: 歴ネタななしさん
古典落語の『貧乏花見(長屋の花見)』に
酒が買えないから番茶を飲んで「お茶け」というくだりあるよな

92: 歴ネタななしさん
酒屋なんてどの町内にもあったからわざわざ遠出なんてせんよ
基本的に仕事場や自宅の近くで飲んでたやろな

93: 歴ネタななしさん
天ぷら食って酒飲んで浄瑠璃観ていう「映える」文化だけが後世に伝えられてるんや
令和の庶民は仕事終わったらなんGせこせこやってたなんて事実は未来では闇に葬られてるやろ

96: 歴ネタななしさん
>>93
どんなスレ建てられてたんやろなあ
やきうないから相撲のスレとかで盛り上がってたんかな

98: 歴ネタななしさん
>>93
レスバの果てに果し合いを始めて斬り合ってそう

114: 歴ネタななしさん
当時は関東平野に酒の名産地とかあったんかな
いい酒飲む人はいちいち灘から船で運ばせてたんやろか

ネタ元: ・江戸時代って酒飲むのに