1: 歴ネタななしさん
no title
最高だな

2: 歴ネタななしさん
マジでクズやろこいつ

4: 歴ネタななしさん
ヒャッハー

6: 歴ネタななしさん
耳削ぎやりまくったから天王寺から平野方面は耳塚が沢山ある

7: 歴ネタななしさん
乱取りは一般庶民対する人身売買以外もok
足軽は乱取りがメイン報酬のため戦とは無関係な村なども襲撃して金品を奪ったり最悪である、そして戦国武将は勝つために皆それを黙認した

11: 歴ネタななしさん
>>7
いや、織田信長と豊臣秀吉は乱取りを厳罰化したよ、信長上洛時には略奪を死罪とする程にね
信長と敵対する宗教勢力が操る一向一揆という例外はあれど、織田領内では占領地の領民による大規模な反乱は殆ど起きなかった。

甲州征伐の際、武田領の民達が織田軍を歓迎して武田領の道案内をしていたのも織田の統治は当時から評判が良かったから

12: 歴ネタななしさん
違法というか中世において
厳密には「禁制」が発令された惣村での略奪は大名権力で禁止された
関ヶ原の戦いでも勝敗がついたと広まったら周りの村々の代表が禁制の書状を求めに金品をもって家康の本陣に出向いた

14: 歴ネタななしさん
反対に戦国最強(笑)と名高い武田信玄と上杉謙信は乱取りを行ってたね
上杉謙信は関東へ侵攻する度に大規模な乱取りを行った為に次第に関東の民衆は上杉を恐怖の略奪者と認識し、結果上杉は人心を失い関東への影響力が低下することとなる

17: 歴ネタななしさん
越前一向一揆でも投稿した民衆は織田軍に連行されて
尾張、美濃で奴隷とした売却されたと信長公記にある

19: 歴ネタななしさん
織田信長は恐怖の大魔王どころか日本史上稀に見る名君だよ、当時は当たり前だった乱取りを厳罰化し軍隊に秩序を取り入れた点でも革新的と言うに相応しい

信長を保守的な人物と評する人間もいる、実際信長の実態は昔のイメージとは懸け離れているが十分革新的な大人物

23: 歴ネタななしさん
>>19
織田信長も禁制が実行されたなかった地域では京都や越前のように乱取りを行ったし他の勢力と全く同じ
乱取りどころか有岡城のように皆殺しもよく行なった
井沢元彦ベースの信長英雄史観にハマってそう

26: 歴ネタななしさん
>>23
乱取り無しで行けるシステムを作り出したのは事実だろう

29: 歴ネタななしさん
>>26
システムてもしかして井沢元彦ベースの「兵農分離」妄説?


●「兵農分離」の実態

90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。

兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員したのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する後北条氏の百姓総動員令のような徴収は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の仕事は普請等で直接戦闘に参加する機会は少なかった。

また畿内史に詳しい天野忠幸氏らは荒木村重ら幾人もの武将が信長に謀反した原因の一つとして、信長の家臣として要求される際限なき軍役への疲弊・不満を挙げている。
呉座勇一氏は織田家を「ブラック企業」と例えた上でその急拡大と謀反の頻発はセットであり
明智光秀とその他信長に謀反した武将達との違いは信長を直接討てる機会があったか否かの違いに過ぎなかった、と論説している。

47: 歴ネタななしさん
>>29
豊臣政権も朝鮮出兵のときに百姓に兵役を課した記録が残ってるから
織田信長の時代に兵農分離してたわけないんだよな

55: 歴ネタななしさん
屏風にも描かれとるからな

ネタ元: ・大阪夏の陣の徳川家康「乱取り(人身売買)は違法だけど今回は特別に許可するぞ!大阪人を奴隷にしろ!」