1: 歴ネタななしさん
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なぜなのか

2: 歴ネタななしさん
一乗谷城の防御に自信があったから
後の北条氏政も豊臣も同じ愚を犯した

86: 歴ネタななしさん
朝倉は上司の斯波や同僚の織田を追い出して名門無双になっちゃったからプライドが許さなかったのかな

88: 歴ネタななしさん
創作物とかではよく
「この名門の朝倉家が織田家のような成り上がりものに仕えられるか!」
って言ってるけど立場的には同じだよね
斯波氏の領土を乗っ取っただけ、兄弟みたいなもん

90: 歴ネタななしさん
>>88
信長になってやっと尾張一国を統一できた織田とだと、越前支配してすでに五代目の朝倉では織田を格下と想ってもある程度は仕方ないかと。
地理的にも京の次くらいに重要で当時日本中の憧れの地である越前と尾張とでは明らかに格差はあったかと。

89: 歴ネタななしさん
二条宴乗記に信長が上洛要請した各地の有力者達から朝倉氏の名前が漏れているという事を根拠に朝倉氏には上洛要請をしていない(織田とは既に対立関係にあった)という説を「麒麟がくる」では採用してるね

後世の軍記物扱いである朝倉始末記には朝倉土佐守が評定の席で織田家などには従えぬと強く主張するシーンが描かれてるんだけど、この辺りの真相はどうなんだろうね(信長からの上洛要請ではなく義昭ルートで上洛要請が2度あったとも言われてるようだが)
 
先代の頃からずっと足利幕府と繋がりを持ち続けて偏諱を受けたり教書を賜ったりしてた富樫氏なんかも声がかからなかったのかな(この頃なら本願寺家と織田家の対立もなかっただろうし)

91: 歴ネタななしさん
朝倉の下剋上は足利将軍に認められた正式な下剋上やからな
そこら辺の下剋上とは格が違うわ

92: 歴ネタななしさん
幕府としては孝景の選ぶ(斯波家の)人物を守護に認めるよってつもりで通達したのに
孝景の選ぶ(孝景自身も含む)人物って自分の都合の良い風に解釈してその座を奪っちゃったって感じかな

97: 歴ネタななしさん
朝倉義景の正室 鞍谷氏小宰相は、義持と将軍の座を争って命を失った、 足利中納言義嗣の忘れ形見である。

103: 歴ネタななしさん
刀根坂の戦いの時に
ひたすた敦賀まで逃走すればひとまずは無事だったのに
途中で軍議を開いたのがまずかったんだっけ?

それでも遅かれ早かれ滅亡はしただろうが。

108: 歴ネタななしさん
浅井援軍の時も信長以外誰も義景が逃げを選ぶと思ってなかったって話があるし義景としてはウラをかいたつもりだったのか(そんなことしてどうすんのかって話だが)

109: 歴ネタななしさん
義景としては敦賀に軍を待機させたまま状況を探るべきという
近臣達からの進言を退けてまで軍勢を近江にまで動かしたのに
いつもの朝倉氏が陣を構える場所が既に織田軍に占拠されていたために
通常時とは異なる浮足立った雰囲気は織田軍に勘付かれていたのではないかな

111: 歴ネタななしさん
この当時の敦賀の防御力は高かったんだろうか?  地形とか城塞とか。

112: 歴ネタななしさん
織田軍による天筒山城・金ケ崎城攻めの際に敦賀の町衆に籠城戦への協力を城主の朝倉景恒が要請したんだが、籠城戦への協力そっちのけで我先にと織田軍からの禁制を得ようとするばかりでそれらの事に失望した開城後の景恒は無念の末に出家するに至った。峻嶮さでもって防衛には適した城郭群だったのに民心掌握が出来ていなかったようだ

110: 歴ネタななしさん
上杉謙信と同じように国境の急峻な地形や雪の支障、一揆対応とかの不利もあって長期的な外征はできなかったんだろうな。
立ち回り次第では少しは滅亡は先伸ばしできかも知れんが、もう織田と敵対した時点で詰んでたな。

3: 歴ネタななしさん
浅井長政のおまけ

4: 歴ネタななしさん
地元でも人気無い人

5: 歴ネタななしさん
全くダメダメってわけでもないけど暗君寄り

6: 歴ネタななしさん
文化人ってことで地味に持ち上げられがちだけど
宗滴のおかげなだけのろくでもない政治屋ってイメージ

8: 歴ネタななしさん
金ケ崎で信長を取り逃がす
信玄に呼応せず兵を引く
従兄弟に裏切られて切腹
まあ暗愚だと思う

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