1: 歴ネタななしさん

知らなかった
5: 歴ネタななしさん
1回目鎌倉軍がボコボコにされたのに謎の撤退して台風
2回目は寄せ集め元軍相手に防塁作ってゲリラ戦して足止めさあ本隊が合流して上陸って時に台風
2回目は寄せ集め元軍相手に防塁作ってゲリラ戦して足止めさあ本隊が合流して上陸って時に台風
7: 歴ネタななしさん
>>5
>>6
どっちが正しいんや
>>6
どっちが正しいんや
6: 歴ネタななしさん
ビビッて逃げたつーより、弓が強すぎて撃退されたんや
うんで沖合で対策練ってたら台風直撃した、まあ実際騎馬で強かったやつらが海から攻めてもそりゃ弱いやろと
うんで沖合で対策練ってたら台風直撃した、まあ実際騎馬で強かったやつらが海から攻めてもそりゃ弱いやろと
8: 歴ネタななしさん
てか元寇自体本気じゃなかったんだぞ、支配した国の兵士を無理やり送って反乱するパワーを削ぐためにやったから日本に勝てなくても目的は果たせた。勝てたらラッキーぐらいの戦争だったんや
22: 歴ネタななしさん
>>8
負けるほうが各地の反乱分子が活発化するぞ
負けるほうが各地の反乱分子が活発化するぞ
10: 歴ネタななしさん
なんかエスカレートしとるよな
14: 歴ネタななしさん
実際なんでモゾモゾ海上で待ってたん?言う話だし
普通に攻めあぐねてたんやろ
普通に攻めあぐねてたんやろ
15: 歴ネタななしさん
あんなのに支配された日本みたくなかったし
勝手に撤退してくれてよかったわ
日本もヨーロッパも陸の端っこは運がいいな
勝手に撤退してくれてよかったわ
日本もヨーロッパも陸の端っこは運がいいな
17: 歴ネタななしさん
最初の攻撃で万が一九州で勝てたとして瀬戸内海から京都に鎌倉とあと三回は死闘が確定しとる
そもそも本土の鎌倉武士はまだ到着しとらんで九州武士だけで撃退されとる
そもそも本土の鎌倉武士はまだ到着しとらんで九州武士だけで撃退されとる
18: 歴ネタななしさん
元は日本には2回ビビって逃げたけど高麗には6回もビビって逃げた
20: 歴ネタななしさん
南宋には何回ビビって逃げたか分からんくらいや
23: 歴ネタななしさん
元「ヒャッハー!高麗雑魚過ぎ!」
高麗「もういじめといてください。あっちにいい国ありますよ、あそこ行きましょう」
元「あ?じゃあ、お前らでいけや」
高麗「おかのした!」
高麗「もういじめといてください。あっちにいい国ありますよ、あそこ行きましょう」
元「あ?じゃあ、お前らでいけや」
高麗「おかのした!」
24: 歴ネタななしさん
そもそもどちらも台風でやられたなら
上陸できない状態だったのでは?🤔
上陸できない状態だったのでは?🤔
25: 歴ネタななしさん
防衛戦争やから恩賞になる土地ないから
台風のおかげに無理矢理したんや
台風のおかげに無理矢理したんや
26: 歴ネタななしさん
元寇しにきた兵士ってモンゴル帝国の本軍じゃなく
モンゴル帝国に制圧されて服属してた高麗の兵士達がさあ行って来いって送り込まれただけやし
モチベなんか元々0や
モンゴル帝国に制圧されて服属してた高麗の兵士達がさあ行って来いって送り込まれただけやし
モチベなんか元々0や


コメント
陸続きの襄陽落とすのに5年かかってるくらいだから
蒙古の騎兵は黄河や長江を船で渡るのも嫌がったってくらいだから
海なんて当然渡って来るのは難しいのだろうね
博多から赤坂や水城の辺りにまで撤退していたとあるな
当時は正確な地図があるわけじゃないし、数万を超える軍勢を支える飯なんぞ全軍が上陸できなければ現地調達は無理に等しい
元・高麗軍には日本侵略のための緻密な戦略があったように見えんしな
平坦が問題になる前に、初手から日本にボロ負けしてるじゃん。
上陸したのに橋頭堡も築けずに船に戻るって完敗という意味だぞ。
全く同列じゃねえな
そんな局地的な話されてもな
上陸に大失敗してすぐに遠征軍が帰ったのであればそれが原因になりうるだろうけど、そうでないのなら「出鼻を挫いた」だけの話だろう
その後もしばらく遠征軍は海上で滞留していたのだし
文永と弘安がごっちゃになってる
文永の役は九州本土への上陸こそできたけどちょっと進軍してすぐに陸戦で敗北、その日のうちに船に戻って夜に撤退してるよ
そんな有様なのに何で勝てたの?我々の祈祷のお陰です!!!!!って記録は些か信憑性が
なぜか鎌倉武士でマンセーホルホルしてるけど結局そんなもんだと思うわ
士気の低さと兵站が困難しかも大昔だと船旅もしんどいし
歴史の上ではたびたび超自然的な現象も起こるもの
特に歴史が動くような大きな事件にはその傾向があったりするものよ
海を越えた遠征や湿潤地帯の攻略はほとんど成功してない
ベトナム,ジャワ島,タイ,インドなど、ことごとく攻略失敗
成功例としては、南宋をかなり苦戦しながら攻略できた程度
よって、我が日本についても
神風が吹いたからとか、武士が強かったからと言う事に関係なく
普通に撃退できたものと思われる
いや普通に勝ってる
いつまでたっても上陸できてないのは兵站関係なく普通に負けなのよ
普通に勝ってないねえ
資料には元軍は博多に上陸して武士団を破りながら赤坂や水城まで進軍していったとあるね
てつはうも装備していたしやっぱり強かったと思う
どうせただの構ってちゃんだから相手しなくていいかと
他のマトモな史料の知名度が低かっただろう昭和までならともかく今の時代、それもネット上で他の史料を差し置いて八幡愚童訓を全肯定する神風説の狂信者とかいくらなんでも現実味が無い
元寇の時の台風は別に超自然的な現象でもなんでもないよ
確実に台風が吹いた弘安の役は8月なんだから現代もそうだけど台風シーズン真っ最中
しかも開戦は5月で2か月以上も海にいればそりゃ台風来るしその前に上陸拠点作れてなかったら大打撃も受ける
むしろ超じゃなくただの自然現象と自明の理と、台風が来るまで持ち堪えた武士の防戦と、防塁などの事前準備の賜物
文永の役の時は台風シーズンから外れてる(たまに来るし平成に同時期に来たことがある)がそもそもこっちは台風なのか不明(戦争中なのか撤退した後なのかも不明)
高麗史に大風で船が崖にぶつかったり溺死者が出るなどの被害があったとはあるがあのあたりの海は台風じゃなくても大風で荒れるからこっちもそう不思議なことではない
緻密な戦略を立てるほどの情報と調略のチャンスが得られなかったんじゃないかな
他の戦でもモンゴルは事前に使者などを派遣して調査して、不満を持つ王族や有力者がいればそれを調略して取り込むことを得意としてる(ベトナムや高麗でも使った手)
日本では元寇前の使者は九州で止められ文永の役後~弘安の役前の使者は処刑されてるので九州以外の情報を使者が偵察して持ち帰ることはできず、京や鎌倉などで皇族や執権の縁者を調略することもできなかった
この状況だと元は日本の正確な面積と人口や国力すら把握してたかどうか
てつはうも実際の所どれだけ効果があったかは不明
てつはうによって討ちとられた武士がいたのかも不明だし加筆説もあるがてつはうが描かれてはいる蒙古襲来絵詞もあの場面含めててつはうによって武士が死傷したり敗因になるほどの効果があったという描写はない
一応サルベージされたてつはうの調査から鉄片や銅片混ぜて威力を挙げてたのでただの音響兵器ではなかったことまではわかってるけど
もう歴史学者でも史料としての価値を問題視はもちろん否定する人すらいるんだよね八幡愚童訓
日本の武士はや~や~我こそは○○の○○なり~みたいに名乗りを上げて一騎打ちしたけどそんなの無視して集団戦法のモンゴルにボコボコにされたってのも他のマトモな史料にも当の武士が描かせた蒙古襲来絵詞にもないから疑問視されてるし今の元寇についての説は昔とは変わってる
何の効果もないものを果たして元軍は装備していたものだろうか
特に宗教関連に多い
それを全否定してちゃ歴史は成立しないレベル
一例でユダヤ一地方の分派宗教に過ぎなかったキリスト教が
ローマ帝国の国教にまでなったのは何故か?
上陸地点に船内の物資を陸上げ出来てれば暫く持つだろう
現地調達も可能だがそれにはイナゴみたいに食べ歩く必要があるから
上陸地点から動けなければいずれ壊滅やな
この世は科学でわかるものとわからないもの2つが並立してる世界らしいよ
歴史も同じくわかる出来事とよくわからない出来事2つが混在
歴史上の超自然を否定するなら科学も否定しなきゃならない
>>27
ここはオカルトまとめじゃないのよ〜
オカルトだって歴史の一部
オカルトは妄想、歴史は科学
科学では不確定性といって科学でもわからない現象がある事を認めている
あれも元軍側史料でそんな意図があったなんて全く言ってない(むしろそうじゃないと取れる話のほうがまだある)ただのトンデモ説なんだけどなあ
史料と言えるかも怪しい誇張まみれの物語とはいえ近い時代の書物に出典がある神風説のほうがマシなレベル
その結果、敵の首魁ルーズベルトはどんどん体調悪くなって急死し、またルソン島の戦いで展開していたハルゼー艦隊をコブラ台風の神風が直撃し米空母5隻に大損害を与え、駆逐艦3隻撃沈、戦艦アイオワや空母エセックスも被害を受け、多数の艦載機と人員も失い大打撃を受けた
神様は、日本軍よりも頑張った
でもアメリカの物量には神様でも勝てなかったよ
フビライくん3回目もやる気満々で準備させて反乱起こされてるもんな
だいたいにして現場はやる気なかったんだとか言う奴もいるけどバレたら処刑モンなのにな
最初の元寇の時の元はまだ南宋と戦争中だから次に、本格的に攻め込めるのが
何時になるのかわからない状況だし実際二度目まで7年かかってるからなあ
威力偵察だったら日本の状況が変わらないうちに早々に再戦しないと古い情報が役に立たなくなりそう
その間に日本は防塁建造して中国四国に北条氏を送って執権の指示を通りやすくして
長門(二度目で襲来説がある)防衛も固めて本所一円地住人を入れて戦力増やしてと
状況も変わってるし前より攻めにくくなってる
蒙古襲来絵巻だと本によく載ってるあの場面の戦も武士側が勝ってたりするよ
八幡愚童訓って元寇当時の史料ではないし書いたのも参戦してた武士などの当事者ではないし、当事者の武士が描かせた蒙古襲来絵巻と比較すると戦況に矛盾もあってそもそも内容の信憑性が疑われてる
ガダルカナルの日本軍だな
>あれも元軍側史料でそんな意図があったなんて全く言ってない(むしろそうじゃないと取れる話のほうがまだある)
それってどの史料なん?
高麗軍と南宋軍が6月15日に合流する計画で高麗軍は5月3日出港、南宋軍は6月18日出港でおれたちは本気の元を倒したんだ!って言われてもハイハイって感じなんだがw
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