1: 歴ネタななしさん

関ヶ原はともかく山﨑の戦いが即終了はわけわからん
3: 歴ネタななしさん
関ヶ原こそ訳が分かんねーよ
なんで大軍同士で野戦してんだよ大坂に引きこもって守れよ
なんで長政活躍してんだよ家康殺せよ
なんで大軍同士で野戦してんだよ大坂に引きこもって守れよ
なんで長政活躍してんだよ家康殺せよ
4: 歴ネタななしさん
>>3
家康としては大義名分を守るために大阪城を攻められないんだよなぁ
家康としては大義名分を守るために大阪城を攻められないんだよなぁ
5: 歴ネタななしさん
関ヶ原はともかく山崎と賤ヶ岳は明智柴田が勝てる可能性ってあったんか
6: 歴ネタななしさん
山﨑の戦いは本来であれば圧倒的に明智有利なのに全くと言って良いほど地固めできてなかったの草
それに比べて秀吉方は優秀すぎたな
それに比べて秀吉方は優秀すぎたな
9: 歴ネタななしさん
>>6
丹羽長秀や筒井順慶がおらんかったしな
丹羽長秀や筒井順慶がおらんかったしな
42: 歴ネタななしさん
>>6
なんで明智は天王山を抑えなかったんだろうか
抑えてれば秀吉軍を隘路で撃破あるいは掃討の足止めもできたろうね
なんで明智は天王山を抑えなかったんだろうか
抑えてれば秀吉軍を隘路で撃破あるいは掃討の足止めもできたろうね
7: 歴ネタななしさん
近畿に駐留していて仕掛ける側なわけだからいくらでも自分のタイミングで根回しできたはずなのに手を打っても失敗
ましてや備えは柴田側に集中
何もかも間違ってたんだよなぁ
ましてや備えは柴田側に集中
何もかも間違ってたんだよなぁ
8: 歴ネタななしさん
【悲報】秀忠来ない
11: 歴ネタななしさん
後詰めが期待できない光秀と後詰めがあるのではと思ったり弔い勲功狙ったりする織田連合
19: 歴ネタななしさん
みっちゃん視点だと柴田勝家は上杉と交戦中、滝川一益は北条と対峙中、羽柴秀吉は毛利の城攻め、丹羽長秀は軍の再編中で方面軍全員動けないやん!でやっちゃったんやろ
根回ししてたら状況変わるからライブ感で本能寺の変起した
根回ししてたら状況変わるからライブ感で本能寺の変起した
24: 歴ネタななしさん
石田三成はなんで細川忠興味方にできなかったのか
27: 歴ネタななしさん
>>24
最愛の奥さんを自害に追い込んで無けりゃワンチャン、いや無いか
八つ当たりのせいか知らんが一時期家族と不仲になるんだよな忠興
最愛の奥さんを自害に追い込んで無けりゃワンチャン、いや無いか
八つ当たりのせいか知らんが一時期家族と不仲になるんだよな忠興
32: 歴ネタななしさん
>>27
そりゃガラシャをおいて逃げたって理由で息子の嫁を里に送り返し、その嫁を庇いまくる息子を廃嫡とかすりゃ反感買うやろ
そりゃガラシャをおいて逃げたって理由で息子の嫁を里に送り返し、その嫁を庇いまくる息子を廃嫡とかすりゃ反感買うやろ
30: 歴ネタななしさん
豊臣恩顧の癖に東軍についたキチガイやばすぎやろ
31: 歴ネタななしさん
>>30
福島「三成ぶっ殺す!」
↓
福島「こうなるなら三成殺さなきゃよかった」
福島「三成ぶっ殺す!」
↓
福島「こうなるなら三成殺さなきゃよかった」
33: 歴ネタななしさん
>>30
豊臣恩顧の連中は三成が憎かっただけで、それが豊臣家を窮地に追い込むなんて微塵も思ってなかったんだよ
豊臣恩顧の連中は三成が憎かっただけで、それが豊臣家を窮地に追い込むなんて微塵も思ってなかったんだよ
37: 歴ネタななしさん
三成とかあの小物があんだけ動員したのは凄いわ
まぁ内情はグッダグダのボロボロだけど
まぁ内情はグッダグダのボロボロだけど
39: 歴ネタななしさん
光秀は善政を敷いてたから領民には慕われてたって話だったのが学者が当時の記録を蒐集したら討ち取られたって聞いて餅をついて祝ったそうなんだが
やっぱただ裏切りもんの陰謀家だったんでは
やっぱただ裏切りもんの陰謀家だったんでは
43: 歴ネタななしさん
毛利が頑張って追撃して対秀吉戦の時期を数か月でも遅らせられたらもうちょい変わったかもって思ったけど家康がすでの尾張くらいまでに来てたからあんま変わらないか
44: 歴ネタななしさん
京は立地的にも防衛には不向きやからな
数の差もそうやがもっと西の方で迎え撃つ状況に出来なかった時点で負けや
後の賤ケ岳で、勝家がノッブから派遣されて清須会議後もなぁなぁで従ってただけの寄騎武将(前田とか)を
自分の家臣扱いして問題ないと勘違いして痛い目見たように
細川筒井あたりは光秀の部下ではあっても家臣や家来では無いのに、事を起こせば勝手についてくるだろうとノリで本能寺したのが敗因
数の差もそうやがもっと西の方で迎え撃つ状況に出来なかった時点で負けや
後の賤ケ岳で、勝家がノッブから派遣されて清須会議後もなぁなぁで従ってただけの寄騎武将(前田とか)を
自分の家臣扱いして問題ないと勘違いして痛い目見たように
細川筒井あたりは光秀の部下ではあっても家臣や家来では無いのに、事を起こせば勝手についてくるだろうとノリで本能寺したのが敗因
48: 歴ネタななしさん
>>44
確かに言われてみれば光秀と勝家の敗因って同じなんやな
おもろい
確かに言われてみれば光秀と勝家の敗因って同じなんやな
おもろい
56: 歴ネタななしさん
>>44
賤ケ岳は柴田直臣以外の旧織田家臣勢は基本後方の砦に篭ったままなんもしなかったもんな
前田だけは後方の砦から出張って前線に出て支えとして協力したのに江戸で前線にがっつり砦があったのに徹底したみたいな
勘違いか悪意ある捏造かしらんがを基にした裏切り的撤退とか言われだして通説になったのかわいそうではある
賤ケ岳は柴田直臣以外の旧織田家臣勢は基本後方の砦に篭ったままなんもしなかったもんな
前田だけは後方の砦から出張って前線に出て支えとして協力したのに江戸で前線にがっつり砦があったのに徹底したみたいな
勘違いか悪意ある捏造かしらんがを基にした裏切り的撤退とか言われだして通説になったのかわいそうではある
51: 歴ネタななしさん
なんで圧倒的優勢だった小牧長久手の戦いで秀吉は負けたんだろ
60: 歴ネタななしさん
>>51
あの一連の戦役としては
秀吉は家康との再戦の準備してたけど
天正地震の影響で大垣城にあつめた物資が燃えて
継続難しくなったんじゃなかったけ
あの一連の戦役としては
秀吉は家康との再戦の準備してたけど
天正地震の影響で大垣城にあつめた物資が燃えて
継続難しくなったんじゃなかったけ
62: 歴ネタななしさん
>>51
あと家康と組んでる信雄には
攻勢が成功して領土割譲させて有利な条件で講和してるから
戦略的には勝利してるといえる
あと家康と組んでる信雄には
攻勢が成功して領土割譲させて有利な条件で講和してるから
戦略的には勝利してるといえる
53: 歴ネタななしさん
賤ケ岳で秀吉を天下人にのし上げた子飼いの家臣が
関ヶ原で豊臣凋落の原因を作るっていう皮肉
関ヶ原で豊臣凋落の原因を作るっていう皮肉
54: 歴ネタななしさん
関ヶ原は秀頼を担いで来れなかったのが痛過ぎるし淀カスと輝元が馬鹿すぎたな
55: 歴ネタななしさん
>>54
輝元が出陣してたら小早川や吉川は西軍についたんかな
輝元が出陣してたら小早川や吉川は西軍についたんかな
59: 歴ネタななしさん
>>55
輝元は本能寺以降は豊臣に味方して来たのに乗っ取り画策されて秀秋養子に送り込まれたりしてるからやる気なかったのもしゃーないのかもしれん
輝元は本能寺以降は豊臣に味方して来たのに乗っ取り画策されて秀秋養子に送り込まれたりしてるからやる気なかったのもしゃーないのかもしれん
57: 歴ネタななしさん
豊臣軍とかいう最強大名が
秀吉死んだら軍隊どこ行ったのってレベルに弱くなったのなんでなん
秀吉死んだら軍隊どこ行ったのってレベルに弱くなったのなんでなん
63: 歴ネタななしさん
>>57
まず家康は秀吉が死ぬ前に禁止してた養子縁組を勝手に進めて自分の腹心の部下と豊臣方をどんどんそうさせた
そうやって徳川家に敵対し辛くしながら五大老も取り込んで行っていつの間にか豊臣方は淀殿と三成と大野くらいしかいなくなってしまった
まず家康は秀吉が死ぬ前に禁止してた養子縁組を勝手に進めて自分の腹心の部下と豊臣方をどんどんそうさせた
そうやって徳川家に敵対し辛くしながら五大老も取り込んで行っていつの間にか豊臣方は淀殿と三成と大野くらいしかいなくなってしまった
64: 歴ネタななしさん
関ヶ原は豊臣の家臣同士が勝手に喧嘩してただけ論が捗ってるが当事者たちには絶対そんな意識なかったぞ
他の大老連中がやる気無しで家康1人で大坂伏見に居座って政務を行っていたのもあるが
有力大名の取り込みや、三中老や五奉行も事実上家康に解体されたように、それ以前から既に家康>秀頼の形式はどんどん既成事実化してたからな
東軍大名は、ここで反家康派が一掃されたら完全に徳川>豊臣になると分かった上で徳川についたし
福島らがそんな時勢も読めないほどバカだったってのは流石にフィクションに毒されすぎや
他の大老連中がやる気無しで家康1人で大坂伏見に居座って政務を行っていたのもあるが
有力大名の取り込みや、三中老や五奉行も事実上家康に解体されたように、それ以前から既に家康>秀頼の形式はどんどん既成事実化してたからな
東軍大名は、ここで反家康派が一掃されたら完全に徳川>豊臣になると分かった上で徳川についたし
福島らがそんな時勢も読めないほどバカだったってのは流石にフィクションに毒されすぎや


コメント
佐久間盛政知らないで賤ケ岳の戦いを語ろうとする身の程知らずを初めて見たわ…
三成と正家の居城は近江国にあるのにそれを守らずして大坂に引きこもってたら将兵皆ガチギレするだろ
さらに家康が京都に着けば天皇らの勅令を頂いて西軍の大義名分は崩れ、東軍は戦わずして完勝
家康が豊臣公儀で唯一の大臣(内大臣)だということを忘れてるんじゃないかなあ
負けのきっかけ作った人ね
それ前線の茂山に移動しておきながら敵前逃亡をした前田利家ねw
戦う前の工作の時点で勝負決まってた感があるわ
佐久間が指示を守って守りを固めて動かないか、中川ぬっころしたらすぐ引いていれば退却からの壊走は無かったし、前田はやる気も踏みとどまる能もないくせにわざわざ前進しなければ壊走に巻き込まれたりしなかった。
小早川が東軍を攻撃していれば
大谷吉嗣は小早川の備えが必要なくなるので、北上して(東軍にとっての左翼)から側面攻撃できた。
赤座などの裏切り3人衆も北上して東軍を攻めだす。
お弁当たべてる宰相(毛利勢)も山を下りだして、山内など関ケ原の東側にいる連中に攻撃を開始する。
そうなったら、東軍総崩れで退却しだす。
関ケ原での東軍敗報をきけば、伊達と上杉が和睦して伊達は西軍に寝がえり、東北を荒らしだす。
佐竹も満を持して西軍として、小山にいる結城秀康を攻撃
単なるコウモリである北陸の前田家も恥かしげもなく西軍に寝がえり、西軍の丹羽と和睦
東軍から裏切者が続出して、石田三成の戦う前の工作が発動してただろう。
ガチで小早川秀秋が勝敗のカードを握ってた。
申し訳ないがその説はあまりに古い上に夢物語でしかない
秀秋は14日に西軍の兵を追い出してまで松尾山を占拠しているので、東軍を攻撃することはあり得ない
あと広家・秀元が南宮山を降りたとして、待ちかまえているのは赤坂に構えてる家康本隊の「真っ正面」だぞ
毛利吉川が家康の背後を突けばというが、配置的に絶対に無理
そもそも西軍は関ヶ原に着いてから1ヶ月間全く前進してないのに有利なはずがない
秀秋の動向に関係なく、家康が美濃に着陣する前に濃尾平野で軍を展開し東軍先鋒を叩けなかった時点で負けだよ
え?撤退しながら奮戦しているのに?
西軍がクーデター側や
>あと広家・秀元が南宮山を降りたとして、待ちかまえているのは赤坂に構えてる家康本隊の「真っ正面」だぞ
>毛利吉川が家康の背後を突けばというが、配置的に絶対に無理
いや、さすがに布陣図と、地形図を見てください。確実にあなたは間違っています。
毛利の布陣場所は、南宮山の頂上の東側です。
毛利が徳川本陣を直接攻めようと思ったら、60m下って、また60m山頂まであがって、そこから標高300m下らないと家康本陣にはいけません。
つまり、山の西側(家康本陣側)には降りれない、もしくはすごい時間かかる。地図見ればわかります。
素直に降りれば、家康本陣とは逆側におります。というかその備えとして池田+山内が置かれています。それは関ケ原の岐阜側、関ケ原の東側です。
家康本隊の「真っ正面」ではありえません。布陣図と地図を見てください。
>そもそも西軍は関ヶ原に着いてから1ヶ月間全く前進してないのに有利なはずがない
んん?
どういう意味?
西軍の主力部隊(石田三成、小西行長、宇喜多秀家ら)が関ヶ原に移動し、布陣したのは慶長5年9月14日の夜(西暦1600年10月20日夜)から翌9月15日(西暦10月21日)の朝にかけてです。そして、翌9月15日の早朝に東軍も到着し、天下分け目の戦いが始まりました。
とAIくんが回答くれました。
関ケ原についたのは、開戦の半日前ってとこじゃないですか??
1か月前とは???
前進してないというが、大垣城は関ケ原の東側にあります。前進はしてるのでは?
>秀秋は14日に西軍の兵を追い出してまで松尾山を占拠しているので、東軍を攻撃することはあり得ない
小早川秀秋は元から東軍だった と私も考えています。
あくまで、「西軍に寝がえり」東軍を攻撃したら の話です。
ここで言いたいことは、小早川秀秋が東軍を攻撃する可能性があったか否かではなく、小早川が東軍を攻撃したら西軍勝利の可能性があった。けして事前から東軍の勝利が確定してたわけではないですよ ということが言いたいことです。
まぁ、あなたはそれでも西軍の勝ち目がないという意見の持ち主なので、接点がないだろうなぁ。
物事って0か1じゃないし、あなたが東軍勝利の1しかないと断固されているけど
わたしは0.33 ※0が西軍の絶対勝ち!! ぐらいはあったと思ってる。それでも東軍が勝つかもしれないね。
可能性の水掛け論はまぁいいんじゃないんですかね。布陣図や地図など確実に誤解してるだろうことは指摘しておきました。毛利勢が直接西にはいけませんよ。地形図見れば無理筋です。
まず大前提として、あなたの考えている布陣図は二次史料によるものであり、明治時代に日本陸軍によって作られたものとされている
一次史料には家康が桃配山に移動したと記載されているものはない
移動が記載されてないにしても、4万の大軍を前進させ陣形を構えるのにはかなりの時間がかかり、霧の濃い早朝にそんなことができたとは思えない
関ヶ原の戦いは現在の暦で10月下旬であり6時でも暗いしね
以上より、家康は赤坂から動いてない可能性が非常に高い
そして、赤坂は南宮山を降りた先の北東に位置する。具体的な距離は直線距離でも8km程度だ
何処をどう下ろうと、家康の背後を突くのは絶対に不可能なり
AIに頼っているようではダメやで
そもそもそのAIが示してる根拠となる史料はなによ?という話
AIが出す史料名は架空のものを引っ張り出してくるから全く参考にならん
関ヶ原の前哨戦となる岐阜城の戦い(8月22日)では、織田秀信と東軍の福島・池田隊が戦闘を行ってるが、この時西軍は援軍を全く送ってない。大柿城に援軍要請を出しているにも関わらず
ここら辺の状況は書状が色々あり、三成が兵糧が足らんとぼやいてるものもある
少なくともこの段階で大柿城に三成がいることから、ある程度の軍が関ヶ原付近にいたのは間違いない
しかし西軍は岐阜城を見捨てた。家康がまだ尾張にすら到着してないにも関わらず
この段階で西軍は正面からぶつかっても東軍に勝てないと判断してるわけで、関ヶ原や小早川1人でどうにかなった問題ではない
コメントする