1: 歴ネタななしさん

4: 歴ネタななしさん
本土防空戦にしか使ってないから割とよく見つかるな
なぜか五式戦は見つからないけど

5: 歴ネタななしさん
>なぜか五式戦は見つからないけど
なぜかもなにも敗戦の時にほとんどスクラップ処分にされてる

7: 歴ネタななしさん
海没した機体の引き上げとかないんですか
陸軍機だからないのかな

12: 歴ネタななしさん
厚木基地の中の川に埋めた奴を掘り出せば…
ジュラルミンは地中に埋まってれば腐食せんわい(レッドスカルより)

14: 歴ネタななしさん
no title

雑に処分したから無理かな
紫電改取扱説明書 復刻版
野原 茂
太田出版
2021-09-22


16: 歴ネタななしさん
結構きれいに残ってるもんだな

21: 歴ネタななしさん
no title

終戦時も飛行機自体は結構残っていたのである
アメリカの高級軍人に日本機オタがいなかったのが惜しまれる

28: 歴ネタななしさん
no title

>21
戦後一定数は向こうに持っていっている
写真は護衛空母に載せられてパナマ運河を渡る日本機たち

22: 歴ネタななしさん
たった水深3mに地点に今までずっと放置してたなんて

23: 歴ネタななしさん
とりあえずパイロットは墜落時を見てた近所の住人により救出されたそうだよ
だけど結局お亡くなりになったそうな

24: 歴ネタななしさん
神奈川県出身の林大尉が搭乗した紫電改。1945年4月、アメリカ軍のB29編隊と交戦し1機を撃墜したあと阿久根市折口の海岸近くに不時着、林大尉は命を落としました。

苗字しか明らかになっていないのか?それにしてもパイロットが死ぬような不時着…B-29の反撃によって撃墜されたのでは?

26: 歴ネタななしさん
>苗字しか明らかになっていないのか?
林喜重(よししげ)大尉
戦死による一階級昇進で最終階級海軍少佐

30: 歴ネタななしさん
不時着つっても滑走路どころか原っぱすらないだろうからそりゃね

34: 歴ネタななしさん
引き揚げたら素早く保存処置しないと急速に風化していくみたいね

35: 歴ネタななしさん
逆に沈んだままにしようって人もいただろうからそういう人を説得なりするのに時間かかったんじゃない
今回のケースは知らんけれど十和田湖に沈んでたやつも反対する人いたし

42: 歴ネタななしさん
存在は判明してるけど回収されてない戦争遺跡?残骸?どれくらいあるんだろう

45: 歴ネタななしさん
不時着時に地面や海面に機体が接触したときに急制動がかかって顔面や頭を照準器にぶつけることはよくあったらしい
ひたいや頭がカチ割れるほどの衝撃でそのままお亡くなりになるケースもあった
滝沢聖峰さんの作品にもそのことが描かれてるのがあるね

49: 歴ネタななしさん
no title
紫電改343 コミック 1-9巻セット
須本壮一
講談社_
2023-04-21


50: 歴ネタななしさん
主翼と20mm機銃が奇跡的に良く残っていると言ってたが
代わりに胴体はぼろぼろやな...

59: 歴ネタななしさん
武藤少尉機と言われる機体も揚がってるし
紫電改は343空で集中運用されたのと戦闘詳報が残ってるのが幸いしたな

61: 歴ネタななしさん
no title

92: 歴ネタななしさん
no title

さっき出水市の築港に白龍丸(クレーン船)がいるのを見つけて撮影してきた
本物だ!本物の紫電改だ!誉のシリンダーブロックだ!

94: 歴ネタななしさん
>本物だ!本物の紫電改だ!誉のシリンダーブロックだ!
生紫電改見たんかそらテンション上がるわ

100: 歴ネタななしさん
有名な第三四三海軍航空隊(通称343空)に特攻の下問が来た際
司令官の源田實(実)中佐が飛行長の志賀淑雄少佐に相談した時のやり取り

源田「うちに特攻に出せと言って来たよ」
志賀「誰が言いました?」
源田「………」
志賀「良いですよ、やりましょう。私が先頭で出ます。優秀な士官兵は全員出しましょう。若い予備士官は出しちゃいけません。司令、あなたは最後に出撃してください」
志賀「それと一つ、条件があります。」
源田「なんだ?」
志賀「その特攻に出せと言って来た参謀を連れて来てください。私の後ろに乗っけてやりますから。特攻がどういうものか最期に知って貰いましょう」
源田「…全くだ」

それ以降、三四三空に特攻の打診が来る事は二度と無かった。

103: 歴ネタななしさん
>それ以降、三四三空に特攻の打診が来る事は二度と無かった。
源田の風見鶏っぷりに笑っちゃう
反対しなきゃ絶対特攻させてただろうな

104: 歴ネタななしさん
源田ソースは坂井三郎ソース並みに理解した方が良い
本当マジで

107: 歴ネタななしさん
上の特攻の話は源田ソースじゃなくて隊員達がソース
源田はどちらかと言えば特攻に肯定的

113: 歴ネタななしさん
343空の紫電改も45年に入ってからは迎撃に出ても9機落とされて撃墜0とか地獄みたいになってるよな…

114: 歴ネタななしさん
いい勝負出来たのは最初だけだからね…

116: 歴ネタななしさん
日本本土上空の迎撃戦があまりにも一方的過ぎたので45年半ばからは本土決戦に備えて戦力温存のために迎撃すら殆どしなくなるという…

118: 歴ネタななしさん
なぜ迎撃側が優位高度も取れず一方的にやられるのか

119: 歴ネタななしさん
発見が遅い

120: 歴ネタななしさん
本土での迎撃戦なのに迎撃しようとしたら離陸中をP-51に撃たれてそのまま墜落戦死ってエピソード多すぎ問題

126: 歴ネタななしさん
ソビエトだと陸に監視置きまくって、アイボールセンサー連絡網でどうにかなるんだけど、日本はほぼ海だから無理だし、アイボールセンサー置くべく漁船並べて監視してたら、等間隔に置いてるもんだから、端から一隻ずつ航空攻撃で沈められるっていう
しかも戦後の保証もない

127: 歴ネタななしさん
no title

昭和54年に引き上げられた愛南町の紫電改
40年の差は大きいね

129: 歴ネタななしさん
no title

ここまできれいにして展示されてる

147: 歴ネタななしさん
no title

こういう時、慌てたほうが負けなのよね。

150: 歴ネタななしさん
no title

メジャーな機体だし現存機もあるのに
飛行中に尾輪が出ていたか収納してたかが
今となっては解けない謎になってると聞いた
(収納式だったのを量産中のどっかの段階で固定式にしたって説も)

←数十年前に引き上げた海上墜落機は尾輪が出ていた

154: 歴ネタななしさん
no title

まあでも実際に飛んで空戦してそのまま落ちた実物(画像)の尾輪が出てたってことは
飛んでるときも出しっぱなしだったが正解な気がする

159: 歴ネタななしさん
no title

改じゃない方はぶっちゃけ駄作機にあたる

160: 歴ネタななしさん
>改じゃない方はぶっちゃけ駄作機にあたる
烈風が全然完成しないから
水上機の強風からフロート取っ払って新型戦闘機にしよう
って無茶な経緯だからしょうがないでしょ
改で日本軍機としてはトップクラスの性能になっただけマシ

163: 歴ネタななしさん
改になる前の紫電も速度と火力が零戦よりはずっと良かったし…

165: 歴ネタななしさん
まあ欠点と言っても着陸時の脚周りで空戦では問題なかったし

170: 歴ネタななしさん
紫電は脚が弱くて長距離航行に向かないんだけど
無理にフィリピンに進出して脚をボキボキ

172: 歴ネタななしさん
紫電は会社の生産体制が駄目すぎて未完成機体が溢れて三菱から熟練工を回してもらって
生産体制を整えたが遅れてる時期に機体の再設計をやって改を作ったからな

176: 歴ネタななしさん
紫電はアニオタの大好きな「実戦投入された試作機」だったり
紫電改は実質ただの制式採用版だったりする

178: 歴ネタななしさん
俗に言う量産体制の整ってない増加試作機状態の生産

187: 歴ネタななしさん
紫電11型:強風からとりまフロート取り払っただけだったので微妙だった
紫電21型:11型が微妙だったので徹底的に改善しようと中翼から低翼にして中央胴体全取り換えのほぼ新型機
陸軍だったら別の型式になってた

189: 歴ネタななしさん
末期の話だと
紫電改がP51やP47に瞬殺される目撃談が多いんだよね
4式は聞かない

190: 歴ネタななしさん
四式戦はそもそも実戦投入機会が…

191: 歴ネタななしさん
というか米軍(連合軍)側が四式戦をあんまり識別できてない

192: 歴ネタななしさん
誉を零戦に搭載すればそれなりの馬力向上効果はあったかも知れない
馬力増加分を機体の大型化で食ってしまって無意味化したのが紫電改

193: 歴ネタななしさん
零戦は機体構造が脆弱だからそれやるの不安だなぁ…

194: 歴ネタななしさん
軽量なのはもとより柔さを武器にする機体だからその懸念はあたっているが
かといって高オクタン価+添加剤を使う米英軍機に低オクタン燃料*水エタノールで対抗する選択が正解だとも思えない
撃たれ弱さを低コストでしのいで数を出すしかなかったんじゃないか

195: 歴ネタななしさん
つかB29に対する迎撃を放棄した理由が燃料不足・朝鮮半島との内線航路切断による融通不良とか言う時点の話で飛ばない飛行機の機体性能云々自体ナンセンスだろな

196: 歴ネタななしさん
誉を作った努力は誰しも認めるがその必要性に関する認知は10年遅かった
日中戦争に関わった期間の出費が開発に対するデバフとなり
その時代の就役機と比べるだけにとどまって先を見てはいても
そこへ向かうだけの余力はなかったと言えるだろう
F4Uが1942年5月に量産を開始されたころ誉はやっと形が見えてきた段階で量産戦闘機に搭載されるのは更に2年遅れ しかも機体自体に多くの問題を抱えた紫電と言う欠陥機で多くのエンジンを無駄にした

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