1: 歴ネタななしさん

漫画みたいな家
11: 歴ネタななしさん
晩年の老害っぷりが目立つが城主主任した辺りから残虐性あるエピソードが多い
13: 歴ネタななしさん
羽柴なんて名字にした時のままでいられた方が幸せだったのかもしれない
17: 歴ネタななしさん
信長が健在だった場合はそのまま織田家の宿老で終わってたのかな
23: 歴ネタななしさん
IFでしかないけど織田体制は少なくとも信忠の代までは武断政治のまま穏便に継承されてるからね
宿老以上になる余地はなかったと思う
宿老以上になる余地はなかったと思う
24: 歴ネタななしさん
秀勝養子にしてるから一門衆として残ったとは思う
まぁ秀勝が子供残せるかは微妙だけど
まぁ秀勝が子供残せるかは微妙だけど
26: 歴ネタななしさん
割と死ぬ前位は家臣の勢力削る方向に動いてたから…宿老ではあるけど地方に飛ばされてそう
もしくは近くで名誉職で実権を削るか
もしくは近くで名誉職で実権を削るか
32: 歴ネタななしさん
裏切り当たり前の世界でノブに忠義尽くして最後まで走り回ってたのは本当だしな
33: 歴ネタななしさん
織田家自体がブラック企業だしそこで出世するのもブラック上司
30: 歴ネタななしさん
「人たらし」ってどこまで信じていいのやら
34: 歴ネタななしさん
人望で人を引き付けるタイプじゃなくて利益で懐柔するタイプだったと思う
31: 歴ネタななしさん
まじで人懐っこい陽キャのイメージってどこから来たんだろうな…
55: 歴ネタななしさん
手紙なんかを見るに稚気というか茶目っ気というか愛嬌のある感じの文面ではある
40: 歴ネタななしさん
信長への忠誠心は篤かったろうが
織田家への忠誠心は微妙
信忠はどんなもんだったのだろか
織田家への忠誠心は微妙
信忠はどんなもんだったのだろか
47: 歴ネタななしさん
本能寺から小田原まで打つ手が神がかってる
打つ手が敗着だとしてもそれを好手に変える底力がとんでもない
打つ手が敗着だとしてもそれを好手に変える底力がとんでもない
48: 歴ネタななしさん
「槍を肛門から口まで差し貫いて磔にして晒せ」
「耳と鼻を削いでから首を斬り落として利休に届けよ」
「聚楽第門番の斬首の前に耳と腕を斬り落とせ」
「耳と鼻を削いでから首を斬り落として利休に届けよ」
「聚楽第門番の斬首の前に耳と腕を斬り落とせ」
49: 歴ネタななしさん
言うても乱世で清廉潔白な大名や武将がどれだけいたかというと
51: 歴ネタななしさん
家康も大坂の陣の後に生首街道とかやってるしな
58: 歴ネタななしさん
巨大な戦国大名が形成されるまでは惣村も一つの軍事勢力だし
脅迫や牽制の為に村人を惨殺するのは普通にあっただろうね
脅迫や牽制の為に村人を惨殺するのは普通にあっただろうね
61: 歴ネタななしさん
農民なのにどこであそこまでの軍略とか築城知識とか経済の流れを身につけたのだろう
67: 歴ネタななしさん
秀吉って農民…とはいうものの我々が思っているような農民じゃないんだろ?
89: 歴ネタななしさん
下級武士も百姓として言われたりしてる時代だしね
親父が下級武士だったって話が有力だってね
だから全く教育の下地が無かったわけではない
築城とかまで行くと本人の努力なり才なんだろうけど
それも多分周りの補助だよなぁ
親父が下級武士だったって話が有力だってね
だから全く教育の下地が無かったわけではない
築城とかまで行くと本人の努力なり才なんだろうけど
それも多分周りの補助だよなぁ
87: 歴ネタななしさん
壁の落書きか
86: 歴ネタななしさん
最近ってストレートに庶民の人気者じゃなくて
サイコで黒めに描かれるよね
サイコで黒めに描かれるよね
90: 歴ネタななしさん
残ってる史料を元にしたらそうなっちゃうんだもん
112: 歴ネタななしさん
秀吉は立派まで行かずとも武士階級なら嫁さんもらう時に上司が介入してようやくな位こじれたのが意味状況証拠というか
117: 歴ネタななしさん
寧々の実家と絶縁だもんなぁ…
145: 歴ネタななしさん
明るく陽気で人の好感と関心を得る振る舞うタイプなのは間違いないと思う
ただそれはそういう性分ってわけじゃなくて
損得もキチッと考えてやってるから
同時に冷酷で非道なこともやるタイプ
どっちかに偏ってたらあそこまで登りつめてないんじゃないかな
ただそれはそういう性分ってわけじゃなくて
損得もキチッと考えてやってるから
同時に冷酷で非道なこともやるタイプ
どっちかに偏ってたらあそこまで登りつめてないんじゃないかな
172: 歴ネタななしさん
身分も国籍も問わず数寄の心ある者はことごとく集まれとの趣旨で北野天満宮での大茶会を企画するあたりは
信長譲りだなと思う
信長譲りだなと思う
182: 歴ネタななしさん
秀吉評価はやたら評価されてる時期とやたら低く見られてる時期のターンが交互に来てる感じする
194: 歴ネタななしさん
これまでの主導権はブームを作る出版社やテレビ局側にあったけど
今は末端の歴史ファンまで史料に触れて直接調べる人が増えたから評価は比較的平準化していくと思う
今は末端の歴史ファンまで史料に触れて直接調べる人が増えたから評価は比較的平準化していくと思う
196: 歴ネタななしさん
後世から見ると小田原征伐までトントン拍子に行きすぎて
大陸への野心抱かせた結果うまく行かなかったように感じる
もう少し時間かかって寿命長くないと悟ってたらきっと別の未来だった
大陸への野心抱かせた結果うまく行かなかったように感じる
もう少し時間かかって寿命長くないと悟ってたらきっと別の未来だった
205: 歴ネタななしさん
晩年はあれはあれで逆に凄いんだけどな
次代への基盤を壊してるからダメってのも当然なんだけど
その上であそこまで暴れたのに当人の排除だけは寿命しかなかったというのは
個人の栄華としては三英傑で一番ヤバかったと思う
次代への基盤を壊してるからダメってのも当然なんだけど
その上であそこまで暴れたのに当人の排除だけは寿命しかなかったというのは
個人の栄華としては三英傑で一番ヤバかったと思う
222: 歴ネタななしさん
秀吉が典型的な成金趣味してたのもイメージ良くない
223: 歴ネタななしさん
引き合いによく出される黄金の茶室も訪問した人みんな素直に感動してるのが日記とかに残ってるから成金趣味ってのは後世の現代人からみた感覚であって当時の人はそう感じてないんだよ
そもそも金ピカにするのが下品っていうなら金箔塗りした建物やら仏像やらは当時からいっぱいあるし
そもそも金ピカにするのが下品っていうなら金箔塗りした建物やら仏像やらは当時からいっぱいあるし
254: 歴ネタななしさん
室町期の寺は廃寺になった所も多い→木下家の過去帳が見つからない
今川等の大名家を経て織田家に仕官→滅亡大名家なので行政文書が散逸
よって織田家に仕えてからの史料しか見つからないのだろう
今川等の大名家を経て織田家に仕官→滅亡大名家なので行政文書が散逸
よって織田家に仕えてからの史料しか見つからないのだろう
265: 歴ネタななしさん
本能寺後の朝廷関連の立ち回りみてると政治センスは相当だよなスレ画
ただ豊臣政権自体がスレ画の継承不可能なセンスだけで成り立った政権の感は否めんし
そこにダメ押しで自分で作った継承スキーム壊しちゃうしでもうどうにもならんといったところか晩年は
ただ豊臣政権自体がスレ画の継承不可能なセンスだけで成り立った政権の感は否めんし
そこにダメ押しで自分で作った継承スキーム壊しちゃうしでもうどうにもならんといったところか晩年は
267: 歴ネタななしさん
自分がいなくても回る官僚機構作るのもまた恐怖だったんかね
275: 歴ネタななしさん
>自分がいなくても回る官僚機構作るのもまた恐怖だったんかね
そもそもそんな機構作るほどの寿命もない
たった8年で死んでるから試行錯誤の段階で死んでる
そもそもそんな機構作るほどの寿命もない
たった8年で死んでるから試行錯誤の段階で死んでる
276: 歴ネタななしさん
豊臣政権は官僚機構への転換ができる状態じゃなかったからね
上の方にもあるけど上位の職階の人がごっそり空位になっていて
内大臣の家康と大納言の利家が最上位という状態
下位から昇進させたくても昇進要件を満たしてない人物ばかりで詰みという…
上の方にもあるけど上位の職階の人がごっそり空位になっていて
内大臣の家康と大納言の利家が最上位という状態
下位から昇進させたくても昇進要件を満たしてない人物ばかりで詰みという…
280: 歴ネタななしさん
そのたった8年をほぼ外征に費やしてるのはちょっと
282: 歴ネタななしさん
一代の英雄がガーッとのし上がるけど後継者育成とか体制構築に失敗してあえなくポシャるのは古今東西どこにでもあることだしな
ネタ元: ・


コメント
なにわのことも 夢のまた夢
ちょっと辞世は出来すぎてる気もする
つまり秀吉の出身階層である一般庶民(非武家)の感覚では当時の日本の権力者層を抑え続ける事はできなかったのだろう
秀次とその周り処罰したのは悪くない
そもそもエッチ大好きで子供作ったのがミス
太政大臣:秀吉
関白左大臣:秀次
右大臣:菊亭晴季
内大臣:家康
と、大臣は充足してるんだよな
秀次事件の後、秀頼を関白にするためには、五摂家の連中を右大臣、左大臣にしてしまえば関白になってしまうので、秀頼が成人するまで家康が内大臣でずっと蓋をしてもらうことになった(もちろん家康が右大臣になられても困るから…)…。
秀吉は何も構築してないので違いますね…
家を組織化する時間が無かったんだよな
だから完全に秀吉個人運営の家だった。
だから後継者の粛清もすんなりできたし、死後家の統率はとれなかった。
徳川幕府みたく既存の機構から脱却したものは結局作れなかった
江戸幕府の鉄板体制を作ったのは秀忠と彼の官僚達
家康はそうしたものを嫌い、これと見込んだ部下に権限を与えて動かすのを好んだ。それが特に活きたのが関ヶ原。家康に指揮権を設定された軍監がよく軍を統率した
この2つがなければ政権を維持できた可能性が高いだろう
秀次を粛清しちゃって残されたのが5歳の秀頼ではな
そりゃ、実子に後を継がせたい気持ちも分かるが
あの時はググッと我慢してもう少し秀頼が成長するのを待つべきやった
幕藩体制のベースは秀吉だぞ
ただ家康は、かつての十八松平の内ゲバの影響かわからんけど、大きな兵権を部下に与えることはしなかったのよね
5,000以上を率いたことがあるのが鳥居元忠(上田城の戦い)、徳川秀忠(関ヶ原中山道方面)、結城秀康(同江戸城留守居役)くらいしか浮かばない
全然違いますね…
その因果関係でいいなら奈良時代とかになるんじゃない?
前もって作るし添削してもらってるからね
十人衆→合議で政治を決めろ
徳川→伏見で政務をみろ、東日本を任せる
前田→大坂で政務をみろ、帰国したら三年上洛免除
上杉→帰国したら上洛免除
毛利→西日本を任せる。帰国自由
宇喜多→大坂で秀頼を守れ
奉行衆→伏見と大坂にいろ
政治を合議制にして前田と上杉が帰国したら一つ決めるのにどんだけ時間掛かるんだよって話になる
本人が優秀過ぎて家臣にやらせるより自分でやる方が良いから全部自分でやっちゃって、権力が個人に集約されて依存するから本人が亡くなるとどうにもならなくなるパターン
秀次事件だけならその評価もアリだが朝鮮で家臣団に亀裂が入ってく状況で幼君確定したんで別の争いの種が蒔かれるというね...
お家騒動やってた方がどちらか片方の豊臣は後世に残ったかもしれない
土地と武士を切り離して中世と近世を分けたのが幕藩体制のベースになるぞ
いわゆる荘園の解体だ
この記事とそのコメ欄は秀吉を含む羽柴家がほぼ一代で滅んだ事について、どんな要因でそうなったのか、何が問題だったのかを考えてみるところで
特定の誰か歴史上の人物の好き嫌いでウヨだのサヨだの決めつける記事じゃねーんだわ
幕藩体制とは関係無いですね
コンプラよりも成果を求め続けた
日吉丸の出世物語である太閤記とかの影響かな? そこから大河ドラマとかでポジティブな面のみクローズアップされて描かれて、よりイメージが強化されて再生産され続けたからじゃないだろうか。
そういえば、以前スタートアップ企業のサイコパス社長みたいというコメントをどこかで見たが、確かにしっくりくる例え。表面上は人を惹きつける魅力’(おそらく計算ずく)があるが、内面は酷薄で反社会的みたいな。
豊臣秀吉叩いてそう
スレ違いやめてくれって内容でなんでこんな返しされんの?
何もわかってないじゃん
生まれついての日本人で、日本語しか喋る事が出来ないのに日本語が理解出来ない人って多いよね。
江戸時代初期の軍記物の時点からそういうイメージだったみたいよ
秀吉が自分でプロデュースしてたキャラ付けがそのまま否定されず使われてたっぽい
秀頼はともかく秀吉まで否定したら秀吉に尽くした家康公はなんだったんだよって話になるので幕府も規制しなかったんだと
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