4: 歴ネタななしさん
ルックスはでかい
フィジカルは強い
メンタルはボンクラ
戦国時代IQは低い
フィジカルは強い
メンタルはボンクラ
戦国時代IQは低い
5: 歴ネタななしさん
どんどん評価が落ちる
6: 歴ネタななしさん
腹黒い家康にもてあそばれた悲劇の幼君みたいなイメージだったが
どうにか頑張って孫婿を助けようとしてた配慮を台無しにした暗君ムーブの塊
どうにか頑張って孫婿を助けようとしてた配慮を台無しにした暗君ムーブの塊
12: 歴ネタななしさん
家康から見ると孫婿でさらに義兄の息子だから
家康の方から攻撃する理由ないよね
右大臣にしてるし
家康の方から攻撃する理由ないよね
右大臣にしてるし
13: 歴ネタななしさん
大阪の陣で一回でも突撃してしとけば武力盛る事出来たのに
17: 歴ネタななしさん
座りしままに天下が転がりこんできた訳でも天下狙ってた訳でもなく
秀吉のポチを必死にやって
秀吉死後も秀吉の尻拭いと豊臣政権維持を頑張ってきただけなんだな
秀吉のポチを必死にやって
秀吉死後も秀吉の尻拭いと豊臣政権維持を頑張ってきただけなんだな
21: 歴ネタななしさん
身の丈にあった地位に落ち着いた方がいい人
自分の城の管理もできないのが天下の差配なんてとても…
自分の城の管理もできないのが天下の差配なんてとても…
26: 歴ネタななしさん
転生したら秀頼だった
とかなろうにありそう
とかなろうにありそう
29: 歴ネタななしさん
32: 歴ネタななしさん
関ヶ原直後に滅ぼされたわけでもなく徳川が征夷大将軍に就任してから10年以上経ってるんだよな
33: 歴ネタななしさん
父親が関白やってたんだから武家やめて貴族になっとけは安泰だったのに
54: 歴ネタななしさん
真田丸見てると秀忠より優秀そう
ただ大蔵卿のババアと大野兄弟はクソだが
ただ大蔵卿のババアと大野兄弟はクソだが
56: 歴ネタななしさん
織田が豊臣に下ったみたいに徳川に下れば宗家は残ったろうにな
浪人集めて武装したのは若くてイキってたのかね
浪人集めて武装したのは若くてイキってたのかね
60: 歴ネタななしさん
下るまでしなくても実権だけ渡して鎌倉幕府の将軍と執権みたいな関係を構築する事は出来たと思うよ
72: 歴ネタななしさん
くいっぱぐれた武士が大阪に集合してたから秀頼の意向は関係なかったんじゃないかって気がするんだけど
だいたい権威が徳川と豊臣と二つに分かれちゃってる状態だからどの道許されなかっただろうと
処さなきゃまた戦国時代に逆戻りっての全然あった
だいたい権威が徳川と豊臣と二つに分かれちゃってる状態だからどの道許されなかっただろうと
処さなきゃまた戦国時代に逆戻りっての全然あった
73: 歴ネタななしさん
淀殿も人生で2回籠城からの落城を経験してんのになんでまた籠城しちゃうかなあ
91: 歴ネタななしさん
秀吉「秀頼をよろしく頼む…」
家康「ははっ」
家康「ははっ」
95: 歴ネタななしさん
ポジションの割に秀頼の会話とか直筆の手紙とか
人となりを知る為の史料が全然ないの何故
人となりを知る為の史料が全然ないの何故
153: 歴ネタななしさん
こうしてみると時代も相手も違うけど
負けて素直に直接謝りに行った伊達政宗ってある意味ですげえな
負けて素直に直接謝りに行った伊達政宗ってある意味ですげえな
157: 歴ネタななしさん
日本人は判官贔屓なのに秀頼いまいち人気ないのはなんでだろう…
目立ったこと何もしてないからか
目立ったこと何もしてないからか
281: 歴ネタななしさん
大男だったらしいのに何でひ弱な坊っちゃん風にか描かれたんだろ?
297: 歴ネタななしさん
速攻家康に土下座して地方行けば楽勝人生
298: 歴ネタななしさん
土下座する必要すらなかったと思う
301: 歴ネタななしさん
結局どういう人物なのかよくわからない
ポジション的には悲劇の主人公的な逸話の盛り方は幾らでも出来るはずなのに…
ポジション的には悲劇の主人公的な逸話の盛り方は幾らでも出来るはずなのに…
305: 歴ネタななしさん
>土下座する必要すらなかったと思う
実際下手に動かなかったら6摂家になってたかもね
実際下手に動かなかったら6摂家になってたかもね
309: 歴ネタななしさん
お父さんが三法師を生かして三法師も秀吉に従順にしたのを見習えよ
329: 歴ネタななしさん
どうすればよかったのよ
333: 歴ネタななしさん
>どうすればよかったのよ
煽ってくる馬鹿を無視して公家として生きる
煽ってくる馬鹿を無視して公家として生きる
346: 歴ネタななしさん
秀吉は自分の死後家康が天下取るのは読み切ってたと思う
家康が世間の目を気にして秀頼を無碍に扱わないことも読み切ってたと思う
だけど秀頼と、秀頼周りが時勢を読めないのは読めなかった
家康が世間の目を気にして秀頼を無碍に扱わないことも読み切ってたと思う
だけど秀頼と、秀頼周りが時勢を読めないのは読めなかった
396: 歴ネタななしさん
>346
豊臣家を結果的に滅ぼして天下人になった事でこうせでは腹黒狸のレッテルを貼られる事が多い家康だけど
当時の常識なんかを考慮しつつフラットな目線で見ると
時として大名として生き残るために非情な事もするけど
基本的には律儀者だよなぁ
豊臣家を結果的に滅ぼして天下人になった事でこうせでは腹黒狸のレッテルを貼られる事が多い家康だけど
当時の常識なんかを考慮しつつフラットな目線で見ると
時として大名として生き残るために非情な事もするけど
基本的には律儀者だよなぁ
375: 歴ネタななしさん
関ヶ原の戦いから10年以上も徳川家は時間与えたのに意地張っちゃうのほんま
普通は現実主義になってへりくだる道を選ぶやろ
普通は現実主義になってへりくだる道を選ぶやろ
380: 歴ネタななしさん
どうも最近の書状とかの研究だと淀殿無関係に秀頼は大名に対しても花押まで省略したレベルの上から目線の手紙を平気で出してたらしいので自認天下人だった模様
384: 歴ネタななしさん
秀頼が家臣達に官位もバラまいてたな
勿論幕府には無断で
勿論幕府には無断で
519: 歴ネタななしさん
色白ぽっちゃり巨漢デブとなるとお爺ちゃんの長政の特徴が色濃く発現したのかね秀頼
まあ男の子は母方の特徴出やすいとも言うしそこまで不思議なケースでもないのか
まあ男の子は母方の特徴出やすいとも言うしそこまで不思議なケースでもないのか
523: 歴ネタななしさん
子供の頃からたらふく食わせてもらってたろうしな
529: 歴ネタななしさん
秀頼の責任と言えるのは大坂の陣の始末
536: 歴ネタななしさん
>秀頼の責任と言えるのは大坂の陣の始末
始末もそうだがそもそも大阪の陣始めちゃったことで
家康サイドがずっと警戒してた秀頼の悪い意味での影響力が現実の物になってしまったのがね
無論秀頼側にも言い分は有るのだろうがあの状況で全国の浪人集めてしまう事が自分で生かしておけない理由作ってしまった様な物だろうし
始末もそうだがそもそも大阪の陣始めちゃったことで
家康サイドがずっと警戒してた秀頼の悪い意味での影響力が現実の物になってしまったのがね
無論秀頼側にも言い分は有るのだろうがあの状況で全国の浪人集めてしまう事が自分で生かしておけない理由作ってしまった様な物だろうし
562: 歴ネタななしさん
秀頼は実を捨てても家を守るという豊臣の当主として一番大事な役割を投げ捨てたのが問題だろう
少なくとも徳川に下れば大名家として存続できたのは確実だし
少なくとも徳川に下れば大名家として存続できたのは確実だし
565: 歴ネタななしさん
>少なくとも徳川に下れば大名家として存続できたのは確実だし
本当に確実と言えるんでしょうか
本当に確実と言えるんでしょうか
566: 歴ネタななしさん
>>少なくとも徳川に下れば大名家として存続できたのは確実だし
>本当に確実と言えるんでしょうか
家康の代で滅ぼされることは無かっただろ
そのあとは知らん秀頼の立ち回り次第だ
>本当に確実と言えるんでしょうか
家康の代で滅ぼされることは無かっただろ
そのあとは知らん秀頼の立ち回り次第だ
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コメント
その中で「こうなったのは全部家康が悪い」と関ヶ原で豊臣家がやらかしたことをなにも反省していない強硬派と、戦争を起こしたい浪人衆が結びついて大坂の陣に至った
しかし激動の15年の中での秀頼の発給文書は何故か極めて少ないので、元々何かを積極的にやる能力はなかったのかもしれない
関ヶ原の時点で豊臣家には著名な侍大将が居らずに輝元に大坂城を占拠されてしまっている辺り、武門の棟梁として鼎の軽重が問われてしまうが、元はと言えば秀吉があかん。
そもそも秀吉が滅茶苦茶にして死んだのがダメだったのよ。
二人とも若くして亡くなったけど大分違いがある
潔いんだか愚図なんだかよくわからんとこあるけど
だが、秀頼が大阪城に集まった牢人たちを切り捨てられず担ぎ上げられて、本人も損切できず夏の陣になだれ込むという、豊臣滅亡は秀頼の自業自得。
その点、織田信雄は損切出来ただけ秀頼よりマシ。
多分だけど、家康の謀略は何もないよ
なんとしても豊臣を潰したい秀忠を抑え込むような形で和議を模索してたからね
なので大坂城の堀の埋め立てを主導したのは家康ではなく秀忠ではないかと思われる
母親のせいかどうかはともかく、日本史において母親や母系親族の影響力ってめちゃめちゃデカいのよ。貴族や武家どころか商家でも。
強力な影響力を持つグランマやビッグマザーのせいで当主が身動き取れないなんてよくある話。
母親が則天武后だったらどうすんだよ
そこんとこは徳川も一緒で奉行クラスまでの目端のきく重臣は全員大名になっとるよ
豊臣が立ち行かなくなったのはそいつら含めて家臣団が一致団結できなかったのが原因や
そんでそれは徳川のせいではなく秀頼の母として家中を統率すべき淀殿が
政治能力も実家も後見人も何も無い女だったのと旗頭の秀頼が現実見えてないボンボンに育ったせい
鎌倉の北条、室町の上杉みたいに最高権力者の妻や母の一族って大体政権の重要なポジションに付いてるしね
ただ、淀の実家の浅井は既に滅び、織田は秀吉が吸収して弱体化
結果頼れる身内がほとんどいないほぼ詰み状態になっているという
後家権って言ってあの当時に未成年の当主が立つとその生母が当主権を行使するのが通例なの
だいたいは実家や親族の力か自分の才覚を使って前当主以来の旧臣と協議して家を運営したんだよ
秀頼の時にこれを行使できる立場にいたのは第一位の正室だった北政所と生母の淀殿でな
二人の仲は悪くなかったけど北政所が身を引く形で淀殿が後家権を独占する結果になった
でもこれが豊臣にとっては致命的で淀殿は秀頼の生母という立場以外なーんもない女だった
浅井も柴田も滅亡してるし母方の織田家も衰退一途で摩阿姫のように有力な実家や親族がいない
じゃあ自分の才覚でどうにかしなきゃならんけど北政所のような政治力も指導力も胆力も無い
そのせいで大名衆や家臣団の統率がまーったく取れず大混乱をさせた結果が関ヶ原
秀頼が成人するまでにしっかりと秀吉のズタボロの遺産をさらにズタボロにしてしまった
なので秀頼の末路はだいぶ淀殿の責任も大きいんだよ
あと母親が淀殿以外ならなおよしかな
前田利家の娘の摩阿姫とかまともな実家持ちの人が母ならもうちょっとなんとかなったかもしれん
大阪の陣だと淀殿の世間知らずぶりはある意味責任者(せめて秀頼に城兵の命と交換に自害させるべきだった)だけど、関ヶ原だと淀殿の責任はあんま感じないな。
秀吉死後の第一権力者が家康(一門だしね)だってのは秀吉自身が決めたことだし。
あの状況で強権をふるえる後家になるには鎌倉北条氏並みのバックが必要だけど、そのバックになりえた秀長系も秀次系も浅井氏も織田氏もぶっ壊したの秀吉だし。
関ヶ原までは豊臣の没落の第一責任者は秀吉だと思う。
先主一族を保護したぐう聖趙匡胤が際立つな
ただ趙匡胤も反対派は叩き潰してるんだよね
秀頼はよりにもよって反対派の旗印になってしまった
だから保護したくてもできんよ
織田の血という価値なら淀殿である必要はないんだよなあ
秀吉の側には信長の娘で蒲生氏郷が後見人の三の丸殿や信長同母弟の信包の娘の姫路殿がいたわけだし
もちろん単に織田の血を引く女性というだけなら淀殿である必要はない。血縁の近さなら、28が言うように信長の実娘である三の丸殿の方が上だろう。ただ淀殿が別格になった理由は織田の血だけではなく、秀吉の男子を産みその男子が豊臣家の後継者になったことにある。三の丸殿や姫路殿は織田の血を持っていても、豊臣政権の男子後継者の母にはならなかった。秀頼は秀吉の公認された嫡男であると同時に、母方を通じて信長の近親でもあった。この二つが一人の人物に結合したことが重要かと。
豊臣を簒奪政権って観方は当時からされてたんだろうか?
秀吉は別に織田家の地位を横取りするために織田家を襲ったり家督を奪ったりしたわけでもなく、一方で自身が関白太政大臣になることで、織田家どころか足利将軍家も含めた当時のあらゆる武家権威(どころか公家権威も)を上回る地位に自ら到達し、朝廷権威を背景とした豊臣政権という新秩序を立ち上げただけなんじゃないの?
信長が死んだら他の奴らも遠慮してそこで立ち止まらなきゃいけないとは思わないし、秀吉もそうして粛々と前に進み続けた結果(信長を失って歩みが止まった)織田家の最終到達点をひょいっと追い抜いただけっていうかさ
確かに応仁の乱以来足利→細川→大内→細川→三好→松永→織田と天下は回りもの。土岐は斎藤、大内は陶、そして信長も斯波、足利と下剋上したから簒奪がむしろ普通と捉えられてはいたと思う。ただそういう時代だからこそ大義名分や血統というのものが重要視されたのも事実。実際三好、松永といった天下人も義輝を暗殺した経歴はあるが足利幕府自体潰してないし信長も義昭を追放したが息子の義尋を保護している。そして31が言うように秀吉自身も関白太政大臣になり旧主の織田家や足利将軍家を上回る権威を手に入れた。それでも秀吉には決定的に欠けていたものが血統ではないかと。そして織田家の旧臣や一門から見て信長個人に取り立ててもらったに過ぎない成り上がりものが織田家を乗っ取り関白になったという反発はあったと思う。その点信長の実子で秀吉の養子だった於次丸秀勝は豊臣政権を織田政権の後継政権であるとするに非常に価値のある存在だと思う。信長の葬儀で喪主を務め、秀長と同等もしくは上の官位や京都に近い丹波亀山を与え毛利との婚姻を結ばせたのも後継者ないしそれに近い地位に据えようとしていたのではないかと思う(ここは秀勝が若年で亡くなったから断定はできないけど)秀頼は秀吉の直系男子であると同時に母方を通じて信長の近親でもあった。於次丸秀勝が養子縁組によって担っていた織田から豊臣への継承を秀頼は血統と家督の両面で一身に担える存在になり秀吉は秀頼を後継者に指名したと思う
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