1: 歴ネタななしさん
no title

2: 歴ネタななしさん
信康派の人間だったけど神輿の信康が処分されて出世の道があやしくなったんで

31: 歴ネタななしさん
家康が今川から独立した時にまだ人質として築山殿と信康が今川家にいたけどそれを救ったのが数正だからね
時期当主の信康が失脚して数正も将来の予定が狂った

4: 歴ネタななしさん
同じタイミングで徳川古参の武将からは石川数正以外に誰も寝返ってないから謎

5: 歴ネタななしさん
裏切った後に豊臣家で特に何もしてないしむしろ持て余されてる感じすらする石川さん

9: 歴ネタななしさん
マジで謎だよな
優秀な人間だったのは事実だけど
秀吉も引き抜いた後は別に優遇もしてないし
結果だけ見ると裏切ったフリなんかな

11: 歴ネタななしさん
引き抜いてその家を疑心暗鬼に出来りゃいいだけよ

12: 歴ネタななしさん
最終的に徳川家が天下取るっていう結末を知ってるから不思議に思うだけで当時の状況だと普通に秀吉に付いた方が有利

13: 歴ネタななしさん
出奔前の岡崎城代だった頃の石川数正の石高は記録にないため不明だが、石川と並んで東三河の旗頭とされた酒井氏が関東入府後3万石ちょっと、数正の後任の岡崎城代の本多重次が数千石だから大した禄はなかったろう

それが信州10万石だからそれなりに優遇しているといえる

14: 歴ネタななしさん
それはそうだろうけど
鉄の団結と思われていた三河衆の一角が崩れたっていう
イメージは強かったんでは

15: 歴ネタななしさん
金箔仕様の豪華な松本城を立てた

17: 歴ネタななしさん
忠義の三河武士って後世の創作だと思う
家康の祖父は家臣に殺されて父親もそういう説があるし

20: 歴ネタななしさん
石川数正出奔以外にも三河一向一揆や大賀弥四郎事件など、
三河武士に家康が背かれたケース結構あるしね
江戸時代の美化だと思う

21: 歴ネタななしさん
信康事件も徳川家内の岡崎派と浜松派の対立だったりね
全く一枚岩じゃない

19: 歴ネタななしさん
家康の伯父の水野を殺したんで家康母から恨まれてたなんて説もあったな

22: 歴ネタななしさん
なんか三河の連中て変な二面性があって気持ちの悪い奴らだ

18: 歴ネタななしさん
山岡荘八の小説だと秀吉と戦っても益が無いのに脳筋だらけの徳川家にいたままじゃ止められないから秀吉の所へ行って防波堤になろうって感じだった

23: 歴ネタななしさん
石川数正の出奔に何か裏があったとされるのは山岡荘八の小説以降だと思う
家康自身は天正十三年十一月十五日付の北条氏直向け書状で、
「数正が上方に調略され出奔した、北条も油断するな」と送っている

25: 歴ネタななしさん
数正の二人の息子は関ヶ原で東軍について大名になったけど兄が大久保長安事件の連座で兄弟揃って改易
弟はその後の大坂の陣で豊臣方につき戦死

24: 歴ネタななしさん
交渉役だったんで戦力差に絶望した

26: 歴ネタななしさん
>交渉役だったんで戦力差に絶望した
同盟者は揃いも揃って頼りにならない奴揃いだしな

27: 歴ネタななしさん
この後で天正大地震がなけりゃ徳川攻めやって多分徳川家滅びてた可能性高いからねぇ
家康公は強運

28: 歴ネタななしさん
その後時期を待って力攻めしなかったのはなんで?

30: 歴ネタななしさん
>その後時期を待って力攻めしなかったのはなんで?
大友から援軍要請が来てたからだと思う
臣従したのに助けないとかだと豊臣が瓦解する恐れがある

32: 歴ネタななしさん
そもそも三河一向一揆で寝返った連中のトップが数正の父親だもんな
元々石川家は家康からすれば信用ならない

34: 歴ネタななしさん
家成はその時でも家康についたからかこっちの家系は生き残ったな

35: 歴ネタななしさん
西三河と東三河で酒井忠次と並び称されるけど最初は数正じゃない石川家の人だったっけ

37: 歴ネタななしさん
どうする家康でいう夏目吉信みたいに「最期は私が囮になって死ぬ事でチャラにしてくだされ…」
といった相殺目的の捨て身な献身もなかったのならまぁ信用しきれなくなるわね
そして親父もさる事ながらその息子の数正当人「も」後々裏切るんだし(その動機は諸説あるが今もハッキリしないし)
それなら疑われてもしゃーなし

40: 歴ネタななしさん
御由緒家なら改易されても子孫が旗本ぐらいにはなれるもんだが、全く取り立てられていないので徳川家としても遺恨はあったと思われる

51: 歴ネタななしさん
本多重次は秀吉に嫌われて蟄居させられたが、秀吉死後に息子を旗本から大名に取り立てている
石川数正は息子たちが東軍に属して功績を挙げたのに大久保長安事件に連座して改易だからな
数正出奔が家康の内意を受けてのものだったら逆に家康が冷酷すぎる
普通に出奔されてその腹いせをしたというならまだ人情として理解できる

54: 歴ネタななしさん
言うて服部半蔵の一族も改易されたし里見家も難癖つけられて改易されたしな長安事件の裁定自体やけに厳しい

55: 歴ネタななしさん
>大久保長安事件
これも良く分からん
長安死後に色々発覚したんだっけ?
政敵の本田正純の難癖説だったり実際どうなんだろう?

41: 歴ネタななしさん
家康が許そうとしてしても他の人がね

42: 歴ネタななしさん
井伊直政はあからさまに嫌ってたみたいね

47: 歴ネタななしさん
>42
爽やかイケメンなのにめっちゃ熱い男だからな
裏切りはぜったい許せない

43: 歴ネタななしさん
裏切ってよそんち行った奴なんか好きでいるバカいないよ

44: 歴ネタななしさん
「家成の家があるしあんな裏切り者の方は別にいいだろ」

46: 歴ネタななしさん
まぁ家康の重用された元裏切者の本多正信も嫌われてた

50: 歴ネタななしさん
徳川家康の次男で後の結城秀康が秀吉の養子になったとき
石川数正の次男康勝も従ったそうだからなんかここらで含みありそうだね

52: 歴ネタななしさん
と思ったら長男康長も結城秀康に従って大阪行ってるじゃん

65: 歴ネタななしさん
母方の従兄でもある家成を差し置いて庶子の息子の数正が石川の家督とかねえよなあ?

66: 歴ネタななしさん
出奔当時53歳となると自分のことじゃなく子供二人が秀吉のもとにいたから
徳川陣営では冷遇間違いなしでもうどうしようもなくなったとかかねえ

67: 歴ネタななしさん
実際康長と康勝は外様扱いだったし

68: 歴ネタななしさん
三河武士は忠義者というのがそもそも捏造という

77: 歴ネタななしさん
そもそも三河武士なんて石川に限らずしょっちゅう家康に叛いてるだろ
直接弓引いてない分むしろ穏健といえる

82: 歴ネタななしさん
数正出奔で焦ったのは家康だと記録に残っているのに
松平家忠日記では数正出奔が明らかになった
11月13日には深夜にも関わらず家臣を招集したとある
というか秀吉の陪臣重用は毛利=小早川、安国寺、龍造寺=鍋島、上杉=直江を筆頭に割と成功例多いよ
明確に失敗したのは伊達の片倉くらい、これも江戸時代以降のソースだし
徳川も酒井忠次が隠居後秀吉の禄を食んでいる

84: 歴ネタななしさん
秀吉の大名間離間策
徳川→スレ画 伊達→鬼庭綱元出奔+奉公構え・伊達成実?
毛利→小早川隆景が主家毛利家から独立大名になる
上杉→直江兼続→特になし
島津→伊集院忠棟 主君の忠恒に殺害され後に内乱になる

脅威の成功率

85: 歴ネタななしさん
佐竹義久や立花宗茂の例もあるな
秀吉からしたら重用した陪臣のルートで外様大名が親豊臣になれば大きいし、
反豊臣の大名が陪臣粛清してもお家騒動で力を削ぐことができる
基本負けのない秀吉有利すぎる賭け

87: 歴ネタななしさん
ていうか
戦国時代が進むにつれて大名に従属度強められた
もと国人たちは
守護の権威が低下してた
戦国時代初期のようにもともと城主や領主として
裁量をとりもどしたい向きもあって
秀吉関白の直臣ぽくなることで
独立できるチャンスでもあるのよ

これは江戸時代初期でも
家康にとりいって家老クラスが成功してるだろ
主君と違って東軍につけた
宇喜多秀家の家老クラスたちがやってる

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