●28日滋賀・長浜
戦国随一の豪傑で知られ、現在の滋賀県で繰り広げられた「姉川の戦い」で討ち死にした石川ゆかりの武将の子孫が、勝利した織田・徳川連合軍の末裔(まつえい)と450年の時を経て「歴史的和解」を果たす。この武将は越前朝倉家に仕えた真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうさえもん)で、子孫に当たる真柄建設(金沢市)の真柄卓司社長(53)が28日、長浜市で営まれる慰霊祭に初出席する。真柄さんは「交流を深めるきっかけにしたい」と「先祖の敵」との面会を心待ちにしている。
姉川の戦いは1570(元亀元)年に近江国(現滋賀県)の姉川流域で行われ、織田信長・徳川家康の連合軍が浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った。十郎左衛門は身長約2メートルの巨漢で、約3メートルの大太刀「太郎太刀」を愛用して数多くの戦場で功名を挙げたという。
真柄さんによると、十郎左衛門は姉川の戦いで劣勢の味方を逃がすため、単騎で徳川陣営に突撃。奮闘したが徳川の武将「匂坂(さきさか)(向坂)三兄弟」の攻撃を受けて力尽きた。絶命の際には「我が首を御家の誉れにせよ」と自ら首を献上したとの逸話も残っている。十郎左衛門の子孫はその後、石川や新潟など全国に散り散りになったという。
慰霊祭は姉川古戦場跡の周辺住民が中心となって明治時代以来、合戦があった6月28日に開催している。本来は合戦から450周年を迎えた2020年に、敵味方の武将の子孫を呼んで「時代を超えた和解」を演出する計画だったが、コロナ禍のため、5年後ろ倒しとなった。
慰霊祭実行委員会によると、戦国の合戦場で敵味方の武将が参加する慰霊祭は全国的にも珍しい。静岡県磐田市に住む、十郎左衛門を討った「匂坂三兄弟」の子孫も出席する。
自身も先祖の研究を進めている真柄さんは、慰霊祭を通じて多くの人に郷土の歴史に興味を持ってもらいたいとし「敵方の武将の子孫に会うのはとてもどきどきしている。今回の『和解』で今後の交流促進につなげたい」と意欲を見せた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1da187a59a4c84a882237b399bcc12e85e49e64a
戦国随一の豪傑で知られ、現在の滋賀県で繰り広げられた「姉川の戦い」で討ち死にした石川ゆかりの武将の子孫が、勝利した織田・徳川連合軍の末裔(まつえい)と450年の時を経て「歴史的和解」を果たす。この武将は越前朝倉家に仕えた真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうさえもん)で、子孫に当たる真柄建設(金沢市)の真柄卓司社長(53)が28日、長浜市で営まれる慰霊祭に初出席する。真柄さんは「交流を深めるきっかけにしたい」と「先祖の敵」との面会を心待ちにしている。
姉川の戦いは1570(元亀元)年に近江国(現滋賀県)の姉川流域で行われ、織田信長・徳川家康の連合軍が浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った。十郎左衛門は身長約2メートルの巨漢で、約3メートルの大太刀「太郎太刀」を愛用して数多くの戦場で功名を挙げたという。
真柄さんによると、十郎左衛門は姉川の戦いで劣勢の味方を逃がすため、単騎で徳川陣営に突撃。奮闘したが徳川の武将「匂坂(さきさか)(向坂)三兄弟」の攻撃を受けて力尽きた。絶命の際には「我が首を御家の誉れにせよ」と自ら首を献上したとの逸話も残っている。十郎左衛門の子孫はその後、石川や新潟など全国に散り散りになったという。
慰霊祭は姉川古戦場跡の周辺住民が中心となって明治時代以来、合戦があった6月28日に開催している。本来は合戦から450周年を迎えた2020年に、敵味方の武将の子孫を呼んで「時代を超えた和解」を演出する計画だったが、コロナ禍のため、5年後ろ倒しとなった。
慰霊祭実行委員会によると、戦国の合戦場で敵味方の武将が参加する慰霊祭は全国的にも珍しい。静岡県磐田市に住む、十郎左衛門を討った「匂坂三兄弟」の子孫も出席する。
自身も先祖の研究を進めている真柄さんは、慰霊祭を通じて多くの人に郷土の歴史に興味を持ってもらいたいとし「敵方の武将の子孫に会うのはとてもどきどきしている。今回の『和解』で今後の交流促進につなげたい」と意欲を見せた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1da187a59a4c84a882237b399bcc12e85e49e64a
【討ち死にした朝倉方の真柄十郎左右衛門の子孫、討ち取った織田・徳川方の子孫と邂逅】の続きを読む